指男の噂 8

 ──指男が京都タワーを殺害するすこし前

 

 黒塗りの高級車センチュリーが爆速で復興が進む京都を駆け抜ける。

 老舗茶屋のすぐ近くの公道に駐車し、颯爽と降りて来るのは真っ黒いコートに真っ黒なスーツを着込んだ年若い少女。

 通りかかる女子高生が思わずふりかえる夢女を生産する凛とした美少女だ。


 彼女は餓鬼道と呼ばれている。

 下の名前は誰も知らない。


 財団からエージェントGと呼ばれるこの少女は、ついに指男の正体にたどり着いた。

 彼女はふところから写真を取りだしてまじまじと眺める。

 餓鬼道の保有する直属の部隊Gスクワット隊長の雀ちゅんさんが撮影したものだ。

 写真を修羅道にたまたま覗かれたところ、どうやら写真の人物が赤木英雄なる人物であると判明した。


 その写真、よく見れば、ダンジョンキャンプ付近でよく会うあの青年が映っているではないか。

 どうして今まで気づけなかったのか。

 エージェントGはなにか大きな陰謀が動いている気配を敏感にかぎつけていた。


「私は騙されない」


(財団にうまく取り入り、自前の部隊を動かすまでに勢力を拡大したみたい。その裏には大きな思惑が隠されている。指男、いや、赤木英雄。修羅道に地獄道は騙せたみたいだけど、私はそう簡単にはいかない)


 サングラスをかけ直し、いざ最後の聞き込みへ。

 エージェントGは指男に接触するつもりであったが、そのまえにアポイントメントを取ってしまっていたので、話だけでも聞くのだ。それが礼儀というものだから。


 本日の協力者は茶屋にいた。


 30代後半の男性だ。

 清潔感があり背広をパリッと着こんでいる。

 普通のサラリーマンのように見えた。


「こんにちは」


 エージェントGは普通に挨拶をする。

 最近、彼女は修羅道のススメでコミュニケーション教室に通い始めたので、知らない人と話す時は、挨拶が誠実な大事であると知っているのだ。


「あっ、こ、こんにちは、あなたが餓鬼道さんですか? はじめまして、坂巻です」


 坂巻良太さかまき りょうたは探索者である。

 彼は先日、恐ろしい体験をしたという。


「あれは俺がいつものようにパーティで探索してた時でした」


 坂巻は語り始めた。


 彼はパーティ『焔の鳥』のリーダーだ。

 メンバーは前衛剣士の湯川(男)、前衛盾使いの古山(男)、後衛弓使いの坂巻(男)、後衛支援の井上(女)である。


「ごく普通の面白みのないありきたりなパーティ……っと(メモメモ)」

「が、餓鬼道さん? な、なにか怒らせるようなこと言いましたかね、僕……?」

「リーダーはきょどきょどして伺ってばかり。まるで風見鶏……っと(メモメモ)」

「……さ、先を続けますね」


 エージェントGはコミュニケーション教室で『とりあえず口に出してみましょう! じゃないと相手には伝わりませんよ!』との学びを得たので、思い出した時は、積極的に口に出すようにしているのだ。言いたいことは声にしよう。


「俺たちは全員がCランクの探索者でして、結成して4年目のベテランでもあるんです。昔はあんまり稼げなかったからとても専業じゃやれてませんでしたけど、Cランクにあがって、ようやく軌道に乗り出して、羽振りがよくなって来たから、脱サラして、SNSでメンバーを集めたんです。それで、その時集めたメンバーとこれまでずっとやってきて、今回はクラス5なんてとんでもないダンジョンだって言うから挑戦しようってことになって、先日、解禁されるなり、すぐに乗り込んだんですよ。そこで見たんです……都市伝説の軍団を……」

「黒い指先達」

「そうです」


 エージェントGはペン先を止める。

 

(指男の私兵部隊。戦力は未知数)


「それは9階層でひとつの激戦を乗り越えたあとのことでした──」


 坂巻は克明に当時のことを語りはじめた。















 

「坂巻! 頼む!」

「押さえてるうちにさっさと射ちやがれ!」


 湯川が魔法剣を腹にさし、古山が大盾で身体を支える。

 9階層のダンジョン・フレンチブルドッグ相手に『焔の鳥』は疲労困憊であった。


「動くなよっ」


 坂巻は和弓を構え、引き絞り、矢を射る。

 高校大学と弓道部に所属した坂巻が覚醒させたスキルはいまや進化し『弓道 Lv2』になっている。その一射は探索者パーティ『焔の鳥』の最大攻撃だ。


 矢が放たれ、モンスターを射抜き、なんとか倒すことができた。


「さっきモンスター2体と同時に戦ったばっかりなのに、さらに2体追加で来るとか、やばすぎだろ、クラス5ダンジョン……」


 湯川はがっくりとへたりこみ、肩で息をして、水筒の水を飲む。

 呼吸を整えて、次に回復薬の粉を口に含んで、もうひと口水をあおった。

 これで30分もすればHPは1,000ほど回復する。

 回復薬は探索者にとっての心強い味方だ。


「井上さん、マッサージを」

「任せて!」


 元整体師の井上はスキル『足つぼ』でメンバーを回復させるのが仕事だ。

 通常、疲労がたまった探索者はHPの上限値が大きく減少する。

 湯川の場合、9階層の攻略を行っている時点でHP最大値は60%ほどにまで落ち込んでしまっていた。

 しかし、スキル『足つぼ』で施術を受ければ、最大HPは80%ほどまで戻る。

 

 元整体師の井上がいるだけで、パーティの耐久力は大きく向上するのである。


 迷宮の傍らにブルーシートを敷いて、見張りをひとり立たせ、残りは休憩に入った。

 前衛の古山のダメージがとりわけ大きかった。

 彼はかつて『煽り運転の古山』と恐れられ、一度民事訴訟を起こされてから真人間になった異色の経歴の持ち主だ。

 結果として覚醒したスキル『煽り』により、いまではモンスターの攻撃を一手に引き受けるパーティの大黒柱たるタンカーとなった。

 本人は「罪滅ぼしさ……ふっ」と格好つけて、率先してモンスターに殴られているので、今日も『焔の鳥』はこうして迷宮の奥でも生き残れているのだ。


「しかし、普段の9階層よりずいぶんモンスターが強く感じるぜ。HPはかわりないが、こう、タックルの衝撃が骨にひびきやがるんだ」

 

 古山は井上にマッサージされながら、盾をずっと構えていた腕をさする。

 重量のある盾を持つせいで、すっかり蒼い痣ができていた。


「そろそろ、いったん引き挙げるか……もう半日もぐりっぱなしだしな」

「私もそれがいいと思います。回復薬も結構使っちゃいましたし」

「俺も魔法剣の切れ味が落ちて来た。12体くらいは斬ったような気がする。十分だろう」

「こっちも矢が残り7本だ。帰ったほうがいい」


 メンバーの総意で帰還が決定され、一同はもう少しばかり休息をとってから帰ることになった。


「わんわん」


 そんな時だ。

 悪魔の鳴き声が聞こえて来たのは。


 煽り屋の古山はマッサージされながら横になって、その視線の先に、フレンチブルドッグがじーっとこちらを見つめているのを発見した。ガバっと起き上がる。


「やべ! きやがった!」

「伏せろ!」


 弓使いの坂巻がとっさに和弓を手に取り、速射した。

 フレンチブルドッグは矢を噛み砕き、突っ込んできた。

 すぐに二射目を放つ坂巻。

 フレンチブルドッグは軽々と避けてせまってくる。


「くっ! やっぱり、押さえてもらえないと当たらねえ!」

「ちょ、ちょっと待てよ、あいつ、なんかデカくねぇーか?」


 迫って来るフレンチブルドッグはずんずんサイズを増していく。

 否、遠近感をうまくつかめていなかったせいで、元からそのサイズだったのだろう。

 そのモンスターは10階層より上がって来たモンスターであったのだ。


「まずい……っ、俺、10階層のモンスターなんて戦ったことねぇ……!」


 古山が怯える一方で、湯川は勇敢にたちあがり、魔法剣を手に駆け出した。


(坂巻の火力支援だけが頼りなんだ。あいつの『弓道 Lv2』があれば10階層のモンスターも倒せない敵じゃないはずだ!)


「湯川……!」

「湯川さん!」

「湯川、頼むッ!」


 湯川とフレンチブルドッグが激突。

 血塗れの湯川がダンジョンに転がった。


「ごふっ……、なんで、ブルドックだ……」

「「「湯川ァー!」」」


 メンバーの顔色が蒼白に変わっていく。

 通常の探索者にとって、1階層の差というのは残酷なまでに厳しい。

 Dレベルがひとつ違えば、戦闘能力は大きく変わってしまう。


 『焔の鳥』のメンバーは絶望する。


 自分たちは間違っていたのか。

 本来なら8階層が適正なのに、すこし背伸びして9階層まで足を延ばした罰があたったのか。

 

「だと、しても……っ」


 煽り屋の古山は盾を手にはしりだし、湯川をかばい、フレンチブルドッグへ挑む。

 ブルドッグタックル。踏ん張ろうと腰を落とす。

 ダンプカーの衝突。──と、勘違いしてしまうほどの衝撃。


「ぐぅうう?! なんだこりゃああ!?」


 血反吐を吐きながらギリギリで受け止めた。

 古山は充血した目で、必死に訴えかける。

 (坂巻、速く!)──と。


 坂巻の矢がフレンチブルドッグへ飛んでいく。

 これなら目に突き刺さる。そう確信した時だった。

 フレンチブルドッグは目を閉じた。

 矢がまぶたに刺さる。


 フレンチブルドッグは普通に目を開けた。


「嘘だろ……俺のスキルで強化した矢が……」

「勘弁してくれよ」


 古山は坂巻の火力でもどうにもならないと悟り、次の瞬間には湯川とおなじく、床を転がっていた。


 あまりにも強すぎた。

 これが10階層のモンスター。


 絶望に元整体師の井上が涙さえ流せずに震える。

 坂巻は諦観を抱きながら、されど弓を構え、矢をつがえた。

 

 坂巻はかつてブラック企業の企業戦士であった。

 だが、財団から封筒が届きすべてが変わった。

 同期はみな辞めた。

 安い給料とサービス残業、家に帰っては眠るだけの生活。


 ある日、灰色の命に意味が与えられたんだ。


 人生を変えてくれたダンジョンへの感謝。

 探索者という生き方への感謝。

 友達への感謝。


 覚悟して来たんだ。

 社会保障なんかない人類にひたすらの試練を与え続ける迷宮の奥へ。

 

 だから、坂巻は矢をつがえた。

 一射当たれば、1秒くらいは動きが止まる。


 ああ、矢が切れた。

 すぐ目の前までモンスターがやってきた。

 走って逃げるのは不可能。走力が違う。


 結局、矢を放ち続けたのは無意味だったのか。

 目の前でフレンチブルドッグは口を開き、坂巻の頭をかじり取ろうとした。


 坂巻の背後、槍が飛んできた。

 黒く歪にねじれた槍は、モンスターを串刺しにし絶命させた。


 振り返ると、そこで見た。


 迷宮を埋め尽くす黒き戦士たちを。

 

 坂巻はそこで気絶してしまった。

 極度の緊張により、心身共に限界を迎えていたのだ。


 


















「あとで井上が教えてくれた話なんですけど、どうやらあの黒い怪物たちが俺たちを入り口まで運んでくれたらしくて……それで財団の人に聞いてみたら、あれが都市伝説の『黒い指先達』──指男の前触れだって聞いて興奮しちゃって」


 坂巻は少年のようにキラキラした目で嬉しそうに言った。


「なるほど」

「指男ってすごく恐い怪人って噂ですけど、どこか優しい心が残ってるんだなって」

「それは勘違い」

「ぇ、そ、そうなんですか?」

「指男の浸透工作。彼に人の心はない。主食は人の肉。たぶんピーマンは嫌い」

「ごくり……(財団のエージェントが言うなら間違いない、よな……?) 危ない、騙されるところでした……そ、そうですよね。火のないところに煙は立たないと言いますし、指男がそんな生易しい人だったら、こんなに恐れられてない、ですよね?」

「わかってくれて嬉しい」


 エージェントGはメモ帳を閉じて「ご協力どうも」と言って席を立った。

 

(そう、火のないところに煙は立たない。指男は裏の顔を持っているはず。私はそれを掴む。なにを企んでいるのか、必ず暴いて見せる)

 

 火のないところに大量の煙を生み出しているのはエージェントG自身なのであるが、そのことに彼女が気づく日はまだまだ先のことになりそうだ。


 このあとは指男にいよいよ接触するつもりであった。

 半年にわたる周辺調査を本日ついに終え、彼女は言葉で彼を知る。

 

 その緊張からか、一度カフェでゆっくりして、なんなら神社仏閣巡ってから指男にいざ会おうと思い立った。


 いくつかの観光名所をまわり、災害からゆっくりと復興をしていく街を横目に指男が破壊したことで新しいブランドが付与された伏見稲荷大社へやってきた。


「わあ! これが指男が壊したことで有名な指男破壊鳥居か!」


 千本鳥居の中腹辺り、観光客と思わしき外国人は感心したようにまとまって折れた鳥居やら傷ついた鳥居を写真に収めている。


 おかしなこともあるものだ、と餓鬼道は観光客の隣を通り過ぎようとする。


「──意外とまぬけなんだな、エージェントって」


 餓鬼道のお腹を分厚い拳が突き刺した。

 爆発が起こった。少女の華奢な体は爆風に吹っ飛ばれ、鳥居をへし折って吹っ飛んでいく。

 外国人観光客はニヤリと笑みを浮かべる。


「エージェントG。ダンジョン財団の犬。リストにあった顔だ」


 その男は濃厚な死の香りを放っていた。

 分厚い体のこの外国人の名はデストル・ノーデンと言う。

 ブラックオーダーの標的にされている脱獄死刑囚のひとりであった。

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