長谷川鶴雄の帰還 黒き指先の騎士団
戦場から離れ、長谷川鶴雄はその日、ゴルフ場へと赴いていた。
かつてAランク第9位『正義の議員』と呼ばれた男は平穏を謳歌していた。
最近は若い女の子の間でゴルフが流行っているらしいとのこと。
女子高生の娘がすこし興味があるとのことなので、ついでに息子と妻も連れて、長年メンバーを務める
横浜の自宅を午前5時30分に出発し、カントリー倶楽部が運行しているバスに乗り換えて、午前6時50分には倶楽部に到着した。
元気のよいキャディさんたちに出迎えられ、荷物をトランクから下ろしてもらい、メンバーさんたちと会うたびに軽く挨拶を交わす。
「老人ホームみたい」
と、娘が口走ろうものなら鶴雄の妻は「やめなさい」とたしなめた。
実際、倶楽部会員の平均年齢は73歳であるので鶴雄は否定はしなかった。
もろもろの手続きを済ませ、7時40分にはゴルフカートにバッグを積んでもらい、55分にはアウトコース1Hでティーショットを振っていた。
鶴雄にとって、本来ゴルフは政界でのコミュニケーションの手段として身に着けただけの趣味であった。
ただ、家族とともに一緒にカートに揺られていると、高い年会費を何十年も払い続けた甲斐があったな、と静かに思うのだった。
連日、コソ練したおかげか、鶴雄のスコアは午前中をまわった段階で6アンダー。
何分パワーがあるのでロングホールもショートホールもあんまり変わらず、2打あれば十分に終わるのだ。
大学生時代ラグビー部なのに、ゴルフ部に混ざってちいさな大会にでたらなぜか優勝してしまうほどには天才であったが、今日は一際である。
「パパ、プロゴルファーになれば?」
娘に聞かれ、鶴雄は苦笑いで「探索者はスポーツ選手にはなれないよ」と返した。
ダンジョン因子により人間離れした身体能力がスポーツ界に持ち込まれたら、きっと数々の記録が塗り替えられることになるだろうが……多くの問題が発生するのは日を見るより明らかだ。
午後0時30分、コースをまわり終えた鶴雄とその家族は、昼食にそば屋に立ち寄り食事をしていると、一本の電話がかかって来た。
ダンジョン財団からであった。
すでに探索者を引退した身であったが、彼のもとへはたびたびメールが届いていた『貴方の力が必要です』──と。
その度に彼は丁寧に断っていたが、彼は気づいていた。
求められるたびに、熱き正義の心がうずくのを。
電話の内容は先日のダンジョンブレイクに関してであった。
どうやら京都で大事件を引き起こしたダンジョンが、クラス5ダンジョンと判断されたらしいと知り、鶴雄はその異常事態に顔を険しくした。
「20年ぶりのクラス4……あの青年がいたからなんとかなったと言うのに、時を置かずに今度はクラス5の出現か」
鶴雄は確信している。
若き正義の味方はきっとなんとかするだろう、と。
だが、心のどこかでは私だけ平和な時を過ごしていていいのか、と問いかけてくる自分がいる。
「え? Vtuberと探索者、どっちが似合ってるかって?」
「ほとんど誘導尋問じゃん……父さんどうしたの?」
娘と息子にたずねたところ「やっぱり探索者をやってるほうがカッコいいよ」と言われた。
国会議員から探索者になり、人生の第三章としてなにをするか、どうやって世の中を正していくかを考えた結果、まずは影響力を手に入れようと思い、イケおじ系Vtuberとして爆誕した。若干迷走気味ながらも登録者3万人をすぐに突破、生配信では毎回2,000人程のリスナーを集めるようになったが、どうにも家族からの評判はあまりよくなかったらしい。
唯一、鶴雄の妻だけは「鶴雄さんはなにしても素敵ですよ」と大和撫子の微笑みで全肯定してくれていたので気づいていなかったのだ。
「いや、ママはパパのこと大好きだし……」
「母さんに甘やかされすぎでしょ」
いつも半歩後ろをついてくる妻に甘やかされすぎていたらしい。
「ふふ、実は私も戦っている鶴雄さんのほうが好きですよ」
妻に尋ねてみたら、本音を言われてしまった。
というわけで、鶴雄は自分の居場所を再認識するべく、いまの地位を捨てることにした。
行動力の塊でもって実は自分が「正義の議員」長谷川鶴雄であることを告白し、その夜の生配信をもって、リスナーを裏切ることを謝罪した。鶴雄は誠意の男であった。嘘をついたままであることは日本男児としてふさわしくないと思っていた。
結果として登録者は一晩で40万人を突破し、謝罪配信では11万人の同時接続を記録し、切り抜きは100万再生し、フリー素材としてMADを作られまくり、Vtuberとして盛大にバズってしまうことになろうとは鶴雄自身まったく予想していなかった。
その日、長谷川鶴雄は京都クラス5ダンジョンへ赴いていた。
伝説の国会議員が戻って来たことにメディアも財団もそわそわし、探索者たちはその姿を見るだけで励まされた。
「正義の議員さんおかえりなさいです!」
「恥ずかしながら帰って来た……して、あれがクラス5ダンジョンか。初めて見る。黒門は壊れているのだな」
「ダンジョンブレイクがありましたからね」
「清水の境内で悲劇なことが起こったものだ」
鶴雄はリュックを背負い直し、修羅道との挨拶を切り上げ、いざダンジョンへ挑もうとする。
ダンジョンは先ほど解放されたばかり、まだ1階層も攻略は進んでいない。
「おや、君はトリガーハッピーか」
ゲートのすぐ近く、ブルーシートを敷いて装備のチェックをしている探索者『トリガーハッピー』を見つけた。
「ん? あっ、国会議員だ」
「目上の人にはちゃんとした言葉遣いをだな」
「あんたもこのダンジョンに来たんだ。いや、まあ、Aランクはだいたい声かけられてるか」
「そうだろうな。SNSじゃ『歩くファミリーレストラン』ほか、『銀行員』も参戦するらしいからな」
「流石クラス5。メンツが豪華だね」
「うぬ。ところで、ハッピー、君なんか雰囲気が変わったか?」
「もう前までの私じゃないよ。たぶんすべてのステータスで議員さん、あんたを上回ってる」
「若い探索者は伸びしろがあってすごいな。だが、流石にそれは言いすぎじゃないか?」
「試してみる?」
トリガーハッピーはニヤニヤしている。
ロシアのイキリ娘にお灸をすえてやろうと、鶴雄はジャケットを脱ぎ、袖をまくる。
2人は腕相撲をするべく台座に肘をついて、互いに手を握った。
「っ」
鶴雄はそれだけで悟ってしまう。
ハッピーの背後に巨大な岩山を幻視するほどに、この華奢な白い腕に勝ることが難しいことだと。
だが、やらねばなるまい。
一度受けた勝負には全力で臨む。
「スキル発動──『
フルパワーでハッピーを倒しにいく。
しかし、ビクともしない。
ハッピーは「やっぱり、私かなり強いかも♪」と、ニヤつきながら「やー!」と腕に力をこめた。
鶴雄の身体が宙を舞い、境内の砂利に叩きつけられた。
「す、すごいパワーだ……っ」
「ふふん、でしょ?(あの樹とリンクして、変なマシンで進化したもんね。ぎぃさんを乗せた黒沼の怪物には負けたけど、Aランク探索者にはもう負けないよ)」
自分より実力の劣る者をボコして気持ちよくなっているらしい。
「どこでそれほどのチカラを。先日まで私とほとんどDレベルは変わらないと思っていたのだが、あれは勘違いだったのか?」
「私って天才だからさ。今まで実力隠してたんだよね、フッ」
「そうだったのか、君はもとからそんなに……知らなかったな」
「それ嘘ハッピーですよ」
言って現れたのは焦げ茶色のコートをはためかせる指男だ。
「イキリハッピーはだめですよ、ハッピーさん。それは悪ハッピーのはじまりだと思います」
「い、意味わかんない。別にイキってないけど!」
「ガチガチに調子乗ってたように見えましたけどね」
ハッピーは頬を薄っすら染め、気まずくなったのか「そ、装備の手入れしなくちゃ」とその場を離脱した。
「指男、久しぶりだな」
「1カ月くらいですかね。お元気そうでなにより」
「お前もな。大活躍しているようだ」
「噂に尾ひれがつきまくってますけどね。引退したとか記事で見ましたけど、復活ですか?」
「ああ。もうすこし、私は戦場で暴力をふるいたくなったんだ」
「なるほど、流石です。それじゃあこれ返しますね」
「『夢の跡』……いいや、それは君にあげたものだ。受け取ることはできない」
「俺には必要がなくなりました。丈夫な守りは手に入っちゃったので」
言って、指男は腕を『銀の盾 Lv9』でメタル化させて見せた。
鶴雄は目が飛び出すほどに、凝視し、ひどく驚いている。
「それはまさかメタルモンスターの能力……っ、ああ、なるほど、君は先へ進んだようだな。わかった。私のような軟弱者だ。ありがたく厚意を受け取らせてもらおう」
言って鶴雄は異質なオーラを放つ議員バッジをふたたび胸に装着した。
「おかげで助けれられました。でも、もう大丈夫です」
「君のような探索者がダンジョン攻略に参加するならもう勝ったようなものだな」
「どうでしょう。ずいぶん規模が大きいみたいですし、油断はできませんよ。そのための彼らですしね」
「彼ら?」
指男は背後をかえりみる。
釣られて鶴雄も彼の後ろへ視線をなげた。
鶴雄は息を呑んだ。
ダンジョン外郭より歩んでくる黒い群体がいたからだ。
荘厳なる白鎧に身をつつみ、異質な槍と丸い大盾たずさえている。
先頭を歩いてくるのは腕が4本もある、濡れたボロボロのマントをたなびかせる地獄より帰還したかのごとき歴戦の猛将だ。
もふもふのノルウェージャンフォレストキャットも混じっている。
異様なオーラを纏い、彼らすべてが精強なる戦士だとひと目見てわかった。
もし神がいて、あるいは魔王がいて。
世界の終わりにその神話の軍隊を動かす時が来たのなら、それはきっとこのような光景をしているのだろう。
鶴雄は信心深い方ではなかったが、この時ばかりは人類を超越したナニカの存在を明確に感じた。
「指男……あれは、あれは……一体……」
「黒い指先達です。最近、財団に許可をもらって動かしてて」
「あれが噂の指男のモンスター部隊か……っ、しかし、聞いていたのより、数も気迫も、その、なんというか……失礼を承知で聞くが、本当に操れているのか? ハッキリ言ってあの地下で出会ったメタルモンスターよりヤバそうに見えるんだが」
「ヤバさでいったらそうかもしれません。でも、安心してください。寡黙で一言も喋りはしませんけど、しっかりという事を聞いてくれるイイ奴らなんですよ」
言って、指男は「交響曲第5番」とつぶやく。
すると黒い指先達は背中から生える触手を椅子がわりにその場に座り、触手のなかに隠されていた各々弦楽器を取りだした。
ヴァイオリンに、ヴィオラ。
チェロにコントラバス。どこから出したのかは神秘だ。
フルート、ホルン、クラリネット、オーボエなどを構える怪物もいる。
一番先頭のひときわ体格がデカく、腕が4本ある将は、ちょこんっと指揮棒を取りだすと、それを軽やかに振りはじめた。
案の定、怪物たちは「ジャジャジャジャーン」と、どんなにクラシックに興味が無くても知っている傑作『運命』を奏で始めた。
力強く、されど繊細さを忘れない、表現力に富んだ演奏。
「すごいな。まさか怪物の楽団だなんて……」
絵面が絵面だけに「なにしてんの」感は否めないが、それでも彼らが高い知能を持っていて、指男の指示を完全に理解して、実行する意志があることは伝わる。
35分ほどの演奏がダンジョンキャンプに流れ、感心と感動、畏怖と畏敬、恐怖と戦慄、いろいろの感情がふりまかれた。
彼らの演奏はどこか人の心を惹きつけ、そこに心があるのだと認識させた。
この怪物の楽団は見た目こそやっぱり恐ろしいが、指男が指揮し、自分たちの味方でいてくれるのなら、どれほどに心強いことか。
演奏が終わると、黒い指先達は楽器をしまい武器を拾い、ダンジョンのなかへとぞくぞくと侵入していく。
「5部隊、106匹のモンスターを投入しました。大丈夫、彼らは間違えても探索者を攻撃しません。ご安心ください」
唖然として、誰一人として、ダンジョンのなかへ入っていこうとしない探索者たちへ、指男は演説するように呼び掛けた。
探索者たちは「あの指男がそう言うなら……」と、勇気を出してなかへ入っていく。
「お先に失礼ー、指男ー」
ハッピーは言って、澄ました敬礼をして、ダンジョンバッグを背負い直し、ダンジョンへ突入していった。
「では長谷川さん、ここら辺で俺も失礼します。ダンジョンが呼んでいるので──」
言って指男は指を鳴らす。
すると、清水寺の屋根の上でお昼寝していたノルウェーの猫又が降りて来た。
指男はさっそうとノルウェーの猫又にまたがると、そのまま猫タクシーでダンジョンへ突入していった。
──この日はのちに『黒き指先の騎士団』がはじめてその全容を公開した日として知られることになる。
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