ノルン下層にて ヴェンベヌートとシロッコ
イタリア。
ヨーロッパ南部の地中海に長い海岸線を持つ食と芸術の国。
古都ローマのいにしえの街並みを歩くと、突如として近代的建築物群がその姿をあらわす。ポストモダンの香りを思わせる四方形からの解放をめざした流線的なビルこそ、EUダンジョン財団研究機関『ノルン』である。
ヴェンベヌートは日本より18時間の空の旅を経て、ノルンのあるローマへと帰還を果たしていた。フィウミチーノ国際空港の税関を抜ければ、ようやく肩の力が抜けた。
日本へ特殊すぎる方法で入国したので、帰って来る時にはパスポートやらなにやらひと手間あったのだ。もっとも次期『ダンジョン学界の四皇』とうたわれるベンヴェヌートには、一般人に比べたらさほど難しいことではなかったが。
とにもかくにも、JPNのエージェントたちに護衛されながら、ノルンまで戻って来たヴェンベヌートはその身柄を無事にユーロに引き渡された。
「長旅お疲れさまでした」
「あいよ、そっちもご苦労さん。地獄道博士によろしく」
ヴェンベヌートが戻った頃、ノルンはまだ騒々しかった。
アルコンダンジョン出現と攻略から数日が経った今、すでに歴史的なニュースはノルンのもとへも届いているはずだった。
なにをそんなに騒いでいるのか、とヴェンベヌートは首をかしげた。
とりあえず騒ぎの中心『ドーヌッツ』が鎮座するノルン下層までやってきた。
「ああ、そこのお兄さん、うちはどうしてこんな想像しいのか教えてくれるかな」
隅っこの方でスマホをいじる男へと話しかける。
黒い長髪に暗い外套を着こんだ青年だ。
男は顔を気だるげにもたげる。
ヴェンベヌートは思わず「ひぇぅ」と変な声をだした。
男のことを知っていたからだ。
その男は有名であり、かつイタリアが誇るSランク探索者であった。
「ヴェンベヌート男爵、あんたを待っていた」
「カターニアの砂塵、シロッコ……」
この男シロッコが、『ダンジョン学界の四皇』グレゴリウス・シタ・チチガスキー博士のもとでなにやら怪しげなことをしているというのは、ヴェンベヌートほどの情報網を持つ者ならば知っていることだった。
お世辞にもシタ・チチガスキー博士とヴェンベヌートは仲が良いとは言えない。
以前に「旗色を明らかにしろ」とシタ・チチガスキー博士に迫られた際に、「正義の味方」などとジョークを口にしたせいで、嫌われている自信があった。
「安心しろよ、ヴェンベヌート男爵。あんたにどうこうしようって話じゃない」
「それはよかった……同じイタリアンのよしみだ。仲良くしようぜ」
シロッコは煙草を取り出し、火をつける。
よく見たら喫煙スペースだった。
しばらく沈黙が続いた。
ヴェンベヌートはこの危険で無法なマフィアのボスになにを話せばよいのかはかりかねていた。言葉を選び間違えれば、次の瞬間には伝説のスキルコンボ
「俺はもう主を失った」
「主を失った? それはどういう意味だね、シロッコ君」
「グレゴリウス・シタ・チチガスキーはもう終わりだ。間違いなくおしまいだ」
シロッコはあの日の戦い、そして指男に食された日を思いながら話す。
「あの男は敵にまわしてはいけない男を敵に回した。もっとも俺も愚かだったが……慈悲を与えられてまたこの国に帰ってこれた」
「どうやら凄いことがあったみたいだな、シロッコ」
ヴェンベヌートとしては興味こそあれど、知るべきない話だと考えていた。
かの巨星グレゴリウス・シタ・チチガスキーを”終わらせ”、かの大探索者シロッコがこうも語る敵とはなんなのか。
もちろん知的好奇心は湧く。だが、本能からの警告音を無視すればきっとろくなころにならない。この世には知るべきでないことがあると、大人なヴェンベヌートはよく弁えている。
「それじゃあ、俺はこの辺で」
強引に話を切り上げようとするヴェンベヌート。
知的好奇心よりも身の安全を優先したようだ。
「指男。やつこそが希望だ」
「……なに? 指男だって?」
「日本で出会った若造だ。だが、俺が語るのもおこがましい遥かな領域にいる。その器がある。世界が騒ぎ立ててる話題の男だよ」
シロッコはそう言ってスマホを見せて来る。
画面には「Who is Fingerman?」と銘打たれた記事が出ていた。
思わず検索すると、どうやら世界中でアルコンダンジョンを攻略したと噂される実体無き幻の探索者が話題になっていた。
「あの男は異常だと思ってた。俺の予想は正しかった。やつはアルコンダンジョンすら破って見せた。それもダブルダンジョンって噂じゃないか」
「シタ・チチガスキー博士と君は彼に敗れたのか……。はは、すごい、なんてやつだよ、Fingerman」
ヴェンベヌートは高揚していた。
日本で出会ったあの若者がまさか悪の巨星を撃ち落としていたと知ったのだから。
希望の予感は正しかった。彼は本物のなかの本物たりえる。
あまねく崩壊論者たちにとって恐怖のイコンなりえる。
「俺は生かされた。指男に。この命は本当なら失われていたものだ。俺は残りをなんのために使うのかよく考えたい」
シロッコは敗北し、ボロボロにされ、故郷へ帰る道すがら考えていた。
ひたすらに高みを目指し続ける指男。
無双の力を得てなお、その先へ行こうとする気高き意志を。
(やつは何を思い、何のために強くなる。俺はなんのために幾度も殺され絞られた)
限界を感じ、世界を覆う悪の力に屈服し、諦めた。
シロッコはそんな自分と指男を重ねた。
友のため、それも老いぼれた老人ひとりの名誉のため、”あの”グレゴリウス・シタ・チチガスキーに挑み、すべてを越えて見せた。
そこに魂の輝きを見た。
シロッコはその輝きを理解したかった。
自分もかつてそうだったはずの確かな意志と正義を再び掴み取り、今度こそ、どんな困難のなかでも自分が真に正しいと思うことを為す。
「ひとたび巨悪に敗れ、
「……指男な、俺も日本で会ったよ、シロッコ君」
「なに? あんたもあの男に?」
ヴェンベヌートは日本での奇妙な体験と、宇宙の星々の間からつめたい吹き込む息に絶望した暗黒の深淵での体験を語った。
シロッコは表情一つ変えずに聞いていた。
恐ろしさに身もすくみそうな話は終わった。
「そうか、そんなことがあったのか。アルコンダンジョンのダンジョンボスをひとりでな。噂の段階でもはや超常的な存在になりつつあったが、事実は小説より奇なり、その実、指男はその噂以上の伝説的英雄の活躍をしたわけか。本当にとんでもない奴と同じ時代に産まれたものだな」
指男の活躍を聞いたシロッコは嬉しそうだった。
わずかに頬に笑みがこぼれている。
ヴェンベヌートはシロッコが笑っているところを初めて見たような気がした。
シロッコは決意を新たにする、
尊敬するあの男、誇り高き意志──指男に近づきたい。
そのためには過去から逃げることはできない。
亡き祖母はシロッコに何度もたずねた『胸を張って生きてるかい?』と。
彼は墓標で泣き崩れ探索者だけで構成された探索者ファミリー『シチリアの熱風』を失ったあの日々を忘れていない。
あの屈辱、仲間たちの雪辱を晴らすためには力が再び必要だ、
最も深いところに潜み、世界を裏側から観測している悪の王。
その首を獲るためには今のまま腐ってはいられない。
「ヴェンベヌート男爵、俺を雇う気はないか。もっとも今はだいぶん弱くなっているが、すぐに鍛え直す」
ヴェンベヌートはシロッコの顔つきを見て「ああ、大歓迎だよ」と快諾した。
「ちょうど大きな戦力が欲しいと思ってたところなんだ。個人レベルでな。なにせ近いうちにデカい攻略があるからな」
「デカい攻略だと」
「まだ公にはなってないが、アルコンダンジョンの攻略だ。封印されたいくつかのダンジョンが息を吹き返そうとしてる。前例主義にのっとれば、組織的な攻略作戦適用の案件だろう。シロッコ、君にはその時にこちら側にいて欲しい。おそらくはノーフェイスも興味を示してくるだろう。そうなった時、きっと人と人の戦いが起こる」
「ふむ。人間相手なら俺の経験も能力も役に立つだろう。しかして近頃、ダンジョンの異常発生は気になっていたが、ついに財団は4つのアルコンダンジョン攻略に動き出すのか……。当然、やつも来るだろう?」
「指男か?」
「ああ」
「どうだろうな。彼はかなり積極的な探索者だし、来るとは思うぞ。ああ、そうそう日本の知り合いいわく『指男は黒いダンジョン因子を持ってます……』って話だった。だから必ず来る。引き寄せられる。まあ、それをのぞいても世界でただひとりのアルコンダンジョンを殺した探索者でもある。本人が来たくなくても財団に召喚されるだろ」
「そうか」
シロッコは淡白に返事をする。
ただ、その表情は明るい。まるでスターに憧れるサッカー少年のように。
彼は指男に会えることを密かな楽しみとしたようだ。
────
──赤木英雄の視点
さて、というわけで美人秘書ジウさんに連れられて指男ダンジョン攻略全国ツアー編がはじまりました。
新しい装備をもらって火力は2.0倍。
目標は3カ月で100個。あたまイカれぷんぷくりん。
「……。さっそくですが、このあと空いてますか?」
「ジウさんのためなら時間を作りますよ」
「……。こほん。そういうことは他の女の子に言ってはいけませんよ」
「?」
「……。とりあえず、まずは近場のダンジョンへ行きましょう。横浜にクラス1のインスタンスダンジョンが出現しているようです」
「ほう。横浜ですか」
横浜。
日本最古の貿易港として知られる町。
しかし、その裏の顔は違う。
中華街の繁栄を起点とし、日夜チャイニーズマフィアの抗争が繰り広げられる血の港。赤レンガ倉庫が赤いのは死体を材料に建造された証だと言われている。
みなとみらい地区にあるランドマークタワーはが296mの高さなのは
なるほど。全国ツアー最初の地にふさわしいと言う訳か。
楽しみになって来た。
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