優しい鳥さん


 

 朱音が目覚めると経験値鳥が膝枕をしてくれていた。

 警報はすっかり鳴りやみ、静けさが戻ってきている。

 脱走した異常物質アノマリーは無事に鎮圧されたようだ。


「ちーちーちー(訳:大丈夫ちー? 怪我はないちー?)」

「鳥さん、私を守ってくれたんですね」

「ちー(訳:ちーはもはや人類への敵対を誓ったちー。都合のいい解釈はやめてほしいちー)」


 朱音は経験値鳥の羽毛をもふもふする。

 心が安らいでいくのを感じた。


 5日目。

 

 昨日の脱走では死者が出たらしかった。

 こんな危険な施設なのだ。死人が出てもおかしくはないと思っていたが、それでも実際にそういう噂を聞いてしまうと朱音の決意は多少揺らいだ。


「ちーちーちー(訳:情けないちー。ちーがいればもっと簡単に異常物質たちを鎮圧することができるちー)」

「たしかに鳥さんはすごく強いですよね」


 朱音は経験値鳥を異常物質アノマリー脱走時の鎮圧戦力に利用できないか、とふと思いついた。


「ちーちー(訳:嫌ちー。人間のためなんかに働きたくないちー)」


 反応は薄かった。

 

 朱音は先輩に掛け合ってみた。


「たしかに人類に協力的な異常物質アノマリーを用いて、異常物質アノマリーに対処するというのは実際によく行われているよ」

「そうなんですか?」

「ああ。異常物質の力なくして、人はソレらを御することはできないよ」


 前例という意味では問題はなかった。

 残るのは施設からの信頼と、経験値鳥の意志の問題だ。


 6日目。


「鳥さんのふわふわには精神安定効果があるみたいです。このふわふわを使ってみんなを癒してあげたらどうですか?」

「ちーちーちー(訳:そんなことしたくないちー。面倒くさいちー)」


 経験値鳥は相変わらずやさぐれていた。

 

「経験値鳥は1日中寝転んでばかり……と。ボールでも遊んでくれない……と」


 経験値鳥に協力的になってもらうことは、なかなかに難しいことのように朱音には思えてきていた。


 7日目。


 いつものように朱音は記録を取り始める。

 今日も経験値鳥は寝転んでばかりだ。


 お昼休憩が終わり、朱音がケージの掃除をする時間になった。

 アナログとデジタルからなる7つのロックを解除して、朱音はモップと箒、ぞうきんを装備してケージのなかへ足を踏み入れた。

 経験値鳥が快適に暮らせるように一生懸命に掃除をする。

 

「ちーちーちー(訳:朱音はどうしてこんなところで働いているちー)」

「うーん、どうしてでしょう。当ててみてください、鳥さん」

「ちーちーちー(訳:もしかして、とってもお給料がいいちー?)」

「おっ、良い線いってますよ」

「ちーちーちー(訳:朱音はお金が大好きちー?)」

「嫌いじゃないですよ。お金があれば美味しい物を食べれますし、たくさんお洋服を買えるし、いろいろと自由ができますから」

「ちーちーちー(訳:自由とは儚いものちー。ちーはもう自由を奪われてしまったちー)」

「鳥さんは、以前は自由だったんですよね。英雄さんのもとで幸せに暮らしてたって」


 朱音は経験値鳥から身の上話をたびたび聞かされていた。

 どうにも経験値に対する態度ががめつすぎて逮捕されたらしいとも。

 逆を言えば、この経験値鳥という異常物質は、それまでは人類に友好的で、人のために活躍をしていたということも。


「もったいないと思いますけどねー。自由が手に入るならそれに越したことはないじゃないですか。鳥さんなら態度を改めればここを出られるかもしれないんですよ?」

「ちーちーちー(訳:でも、もう、ちーは捨てられてしまったちー……)」

「いじけてるんですね。でも、本当にいいんですか。こんなところにいて」

「ちー?(訳:どういう意味ちー?)」

「英雄さんの話をする鳥さんからは、とっても彼が好きだという気持ちが伝わってきましたよ。彼のもとに戻ってあげなくていいんですか?」


 経験値鳥はすこし考えるそぶりを見せる。


「ちーちーちー(訳:ちーには遥かな思いがあったちー。それはちーの全存在をかけて成すべき使命だったような気がするちー)」

「すごいですね。その使命はなんだったんですか?」

「ちーちーちー(訳:覚えてないちー)」

「あらら。忘れちゃったんですか」

「ちーちーちー(訳:でも、その使命は少なくとも、こんな場所で一生を終えることではなかったはずちー。別に英雄に会いたいとかじゃないちー。人間を助けてあげるとかじゃないちー。ただ、ひとりでいてもつまらないから暇つぶしをするだけちー)」


 経験値鳥はそう言って、のっそりと立ちあがった。



 8日目。


 経験値鳥は医務室にて抱き枕サービスをはじめた。

 労働時間は朝の10時~22時。

 SCCL異常物質の収容管理、および脱走時の鎮圧などで精神をすり減らしているドーハイクラッピア職員の心を癒すことが経験値鳥の仕事だ。


「ありがとう、すっごく気分がよくなったよ」

「君はとても才能ある鳥だね」

「また来てもいいですか?」


 職員たちからの評判は大変によかった。


 14日目。


 経験値鳥の理性的な態度とまじめな勤務姿勢は評価され、どうやら戦えるとのことらしいので脱走時の鎮圧部隊にも顔をだすようになった。


 ドーハイクラッピアでは1日1回は施設のどこかで異常物質アノマリーの脱走が起きている。

 その現場で経験値鳥は破格の働きをしていた。

 

「凄まじいパワーだ」

「なるほど。外海六道が捕獲してきただけある」


 鎮圧部隊の面々は経験値鳥をかっていた。

 経験値鳥が戦うようになってから、怪我人は減り、精神を病む者もいなくなった。



 18日目。


 

 経験値鳥は朱音の同行のもとで施設を散歩することを許された。

 

「あっ、異常物質アノマリー!」


 散歩中、朱音は通路を徘徊する奇妙な存在をみて叫んだ。

 警報は鳴っていないが、間違いなく異常物質の脱走だ。


 黒いフラミンゴのようで、長い首には包帯をぐるぐるに巻いている。

 朱音は一生懸命に読み込んだ収容異常物質リストから、その正体を突き止める。


 『魔界鳥』Grade5

 気性は穏やかだがよく脱走する。

 黒いリンゴをくれる。食べると別世界の病原菌に犯され死に至る。

 

「クエー、クエー」

「ひえ……!」


 魔界鳥はリンゴを朱音へ差し出して来た。


「い、いや、その、私は、結構です……リンゴ、苦手、なので……」

「クエー、クエー」


 魔界鳥は引き下がらない。

 受け取らなけばなにをされるかわからない。

 朱音は涙を瞳いっぱいに浮かべて、許しを懇願する。


 と、その時


「ちーちーちー(訳:そんな危ない物いらないちー)」

「クエー、クエー(訳:すごいオーラ。何者クエー)」

「ちーちーちー(訳:ちーはシマエナガちー。なかなか知性のある鳥ちー。仲間にしてやってもいいちー)」


 魔界鳥はしばらく経験値鳥を見つめ「クエー」とリンゴをうやうやしく捧げた。

 どうやら経験値鳥への忠誠を誓ったようだ。


 朱音は助かった、と思う一方で「鳥さんって鳥界じゃえらい鳥なのかな?」とカリスマを発揮した経験値鳥のことを見直したのだった。


 19日目。


 朱音がいつものように経験値鳥の収容室へやってくると、おかしなことが起こっていた。

 マジックミラー越しに経験値鳥の収容されているケージが観察できるようになっているが、そのケージのなかにおかしな存在が紛れ込んでいたのだ。

 

 経験値鳥をふくめて4つの存在がいる。


 ひとつはケージの主、経験値鳥。

 ひとつは昨日の魔界鳥。

 

 あとふたつは朱音は見たことがない。

 しかし、資料にはあった。


 そうだ、あれだ。

 朱音は思い出す。


 『煉獄鳥』Grade5

 黒いペンギンで、頭には燃え盛る両天秤を乗せている。

 刺激されると激昂しやすい。魔界鳥が脱走すると便乗して脱走する傾向あり。

 煉獄鳥の両天秤はあらゆる物質の本質的価値を測ることができる


 『冥界鳥』Grade5

 穏やかな性格。煉獄鳥が脱走すると便乗して脱走する傾向あり。

 大きなくちばしのなかに巨大な瞳を隠している。

 瞳は発狂系精神ダメージをおおきく与える物なので絶対に見てはいけない。

 

「G5の異常物質が3匹も……っ」


 朱音は腰が抜けそうだった。

 マイクを通じて「鳥さん、な、なにしてるんですか……?」と語りかけてみる。


「ちーちーちー(訳:おはようちー。こいつらは今日からちーの舎弟になったちー。よろしくちー。もう悪さしないと約束したから、きっと人類に危害は加えないちー)」

「え? え……?」


 25日目。


 経験値鳥はあの日から異常物質たちとケージのなかでお話をするようになった。

 朱音はそのたびに職員と鎮圧部隊を呼んで、異常物質たちをもとのケージへ戻してもらった。


 不思議なことに経験値鳥とお話をした異常物質たちは、その後、職員たちに攻撃をすることがなくなった。脱走は相変わらずするが、散歩をするばかりで、以前のように職員を発見するなり火を放って来たり、噛みついて来たり、発狂させてきたりということがなくなっていた。


 経験値鳥はすこしずつ特別収容施設のなかに秩序を築いていたのだ。

 異常物質たちからも畏怖畏敬を向けられるその偉大なる豆大福ボディによって。


 経験値鳥が通りかかれば、豆大福派閥の異常物質は道を開ける。

 

「すごいですね。まるで刑務所内で勢力を拡大する裏社会のドンです」

「ちーちーちー(訳:やめてほしいちー。ちーは正義の存在でありたいだけちー)」


 ある朝、朱音のもとにひとりの女性がやってきた。

 燃えるような赤いポニーテールをなびかせた凛々しくも可愛らしい女性だ。

 朱音よりちょっと年上の女子大生くらいの年齢だ。


「こんにちは、私は修羅道です」

「修羅道さん、ですか?」

「経験値鳥さんの噂を聞いて来てみました」


 修羅道は朱音にいろいろなことを聞いた。

 朱音は修羅道にいろいろなことを話した。


 経験値鳥がここに来てしばらくはふてくされていたこと。

 でも、ある時を境にみんなを癒したり、悪い異常物質をやっつけたり、はたまた風紀員のごとく治安向上に貢献したりするようになったこと。

 

「そうですか。そろそろ、経験値鳥さんも外へ戻ってもいい頃合いかもしれませんね」

「え……鳥さん、もういなくなっちゃうんですか?」


 朱音の心はざわついた。

 本当を言うとここにとどまって欲しいと思っていた。

 

 せっかく仲良くなったのに……。

 

 だが、朱音は頭をぶんぶんっと横に振る。

 

「わかりました。経験値鳥さんに伝えますね」


 修羅道はまた日を改めてやってくると告げて去っていった。

 それまでに心を決めておくように、とも。


 朱音は慣れた来た手つきでアナログとデジタルの厳重な扉を開き、ケージの掃除をする。


「ちー(訳:あの受付嬢が来たちー)」


 掃除している最中、ふと、経験値鳥は言った。


「はい、来ましたよ。よかったですね、鳥さん」

「ちー……(訳:今更遅いちー。ちーはここで王国を築いて豊かに暮らすちー。そのほうが幸せちー)」


 直前になってへそを曲げてしまった経験値鳥。

 ゴロンっと転がって、ちりとりをひっくり返して、朱音がせっかく集めたごみを散らかした。


 朱音は唇を結び、甘えたがる自分を押さえる。

 経験値鳥の気持ちを今、肯定してやれば、この鳥をちいさなケージのなかに留めるのは簡単だ。

 この危険な、恐くて、狂っていて、命の保障なんてない施設のなかで、これほどに仲良くなれた友達を縛り付けるのは簡単だ。


 だが、あえて解き放とう。

 それが友ならば。


「私の弟はダンジョン由来の病気で入院してるんです」

「ちー……?」

「治療法は無くって、財団の先端医療を受けてどうにか延命をしている途中です。でも、別世界の、それこそ正確には病気と呼んでいいかわからないもののための制度はまだまだ足りてなくて、たくさんのお金がかかるんです」

「……」

「鳥さんには使命があるんですよね。遥かなる使命が。忘れてしまったかもしれない約束が」


 朱音は経験値鳥を持ちあげる。

 彼女にはなんとなくわかっていた。

 この鳥には大切な人がいる。それを守ることが使命なのだ、と。


「優しい鳥さん。いいんですか。こんなところにいて。毎日頑張って来たじゃないですか。鳥さんの使命はここじゃないはずです」

「……ちー」

「私も大切な者を守るために頑張りますから……さあ、鳥さんも」

「ちー……(訳:大切な者を守るちー……そう、そのために始めたんだちー……思い出したちー)」


 経験値鳥は遥かな使命を思いだす。

 彼女の使命は『赤木英雄を守る』こと。

 そのためにはこんなところにいつまでもいられない。

 

「さあ、お片付けしますよ。散らかしたのならちゃんと自分で掃除してくださいね」

「ちーちー(訳:ちーは優しい鳥ちー、掃除をお手伝いするちー)」


 鳥城朱音と経験値鳥はいっしょにケージのなかを隅々まで掃除した。


 数日後。


 経験値鳥とのお別れをした朱音は、ダンジョン財団系列の医療センターへやってきていた。最先端の医療を受けられる国内有数の施設である。


 弟の病室への足取りは重苦しかった。

 というのも最近、病状が芳しくないのだ。

 意識が最後に戻ったのはいつだったか、それすらも思い出せない。

 皮膚に浮き出る黒い痣も、日に日に面積を増やし、確実に病魔が身体を蝕んでいるのがわかった。


 どれだけ足掻こうと、所詮は延命。

 現人類には治せない病とすら、担当の医師には言われてしまっていた。

 その言葉が、ダンジョン財団の医療の敗北宣言として、朱音のなかでわだかまっていた。


智弘ともひろ、来たよー」


 返事を期待せず投げかけた言葉。

 

「姉ちゃん……」


 鳥城智弘は不思議そうな顔をして上背を起こしていた。

 朱音はまた目を覚ましてくれた奇跡に感謝し、溢れる涙をこらえながら唯一残された家族を強く抱きしめた。

 

「恥ずかしいよ、やめてよ、姉ちゃん……」


 智弘は鬱陶しがったが、姉を無理に引き剥がすようなことはしなかった。


「なんだかすっごく気分が良くてさ。ほら顔の腕の痣もなくなったんだ」

「あ、本当だ……」


 朱音はがっつくように弟の服をめくりあげる。

 智弘はなんとも言えない気恥ずかしさに顔を背ける。


「いったい何が……」

「俺もわかんなけど、なんか鳥の鳴き声みたいなのが聞こえてさ。目が覚めたらすっげー気分がよくて」

「鳥の鳴き声?」


 朱音はふと、窓のほうを見やる。

 窓が開いて、昼下がりの温かな風が流れ込んできている。

 木漏れ日のなか、やわらかい白い羽毛が窓辺に落ちていた。


「……ありがとう、優しい鳥さん」


 朱音は羽毛をつまみあげ、それを大事に抱えた。

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