いにしえの大英雄
山のように巨大な怪物であった。
全身をタール状の液体に包まれ、絶え間なく艶めいている。
腐り落ちそうな肉塊どもをスカートのように巻きつけ、長く伸びる首の先、卑しい獣顔は不敵に歪められている。残忍性を言葉より雄弁に語る牙の無数は、いまにも噛みついてきそうなほどに剥き出しである。
セントラルから出てきた冒涜的怪物は、黒液を撒き散らし咆哮をあげ続けていた。
原初の記憶を呼び覚ますがことく、物質宇宙のなかでぬくぬくと繁栄してきた人間たちに、本質より来る恐怖を思い出させるものだった。
遺伝子に刻まれた、最も深い痕跡がうずき、ミスターをしてそれを前に勇敢であり続けることはいっそうの努力を必要とした。
だが、彼は斧を抜き放ち、立ち向かう。
彼を奮い立たせるのは人への感謝だ。
穀潰しに過ぎなかった自分を生かしてくれたことへ、人生を用いて恩返しをするという決意が、遺伝子の古傷よりも、いっそうの輝きを持っているからだ。
ミスターは迷わない。
いかなる絶望的恐怖を前にしようと、すべからく彼は勇敢でありつづける。
「『ビッグバン Lv8』」
『ビッグパンチ』からの派生進化スキル。
消費MPあたりのダメージ効率は落ちるが、その分壊滅的なダメージを一撃で与えられる拳だ。
ミスターのビッグバンと黒触の拳がぶつかる。
衝撃でタール状の液体が飛散する。
拳撃の衝突はあたりを衝撃波で更地にするほどに激しいものだった。
両者を中心に空気が押し出され、地面が剥がれて、円形の破壊が広がって行く。
「っ!」
ミスターは血潮を吹く自身の腕を見やる。
パワーは
神話の怪物は、より一層の悲鳴を腐敗した衣服たちに奏でさせながら、濡れた翼の骨格部分を握り、それを強引に引き抜いた。
穢れを撒き散らし手にしたそれは黒き槍のようであった。
流れるような所作でミスターを突き刺そうとする。
ミスターは斧を力一杯に振り抜き、ビッグスラッシュで応戦する。
「ちー!」
厄災の禽獣が飛び込んだ。
たくましき鳥足が
電信柱のごとき巨大な槍がくるくると宙を舞う。
槍自体の重みで地面に深々と突き刺さった。
「ちーちーちー!」
厄災の禽獣はふっくらした体にそぐわぬ音を置き去りにする高速飛行で離脱し、つばめ返し、次なる攻撃を仕掛けた。
「ぉ、ぉ、ォォオ」
黒い触手がスパパっと放たれた。
ごく軽快に放たれたが、それらは恐るべき怪力を秘めており、いともたやすく厄災の禽獣を捉えると、翼をへし折ってしまった。
バケモノの驚異的な攻撃。厄災の禽獣は恐怖した。
「ち、ちー!(訳:痛いちー! 動けないちー! 羽が重たいちー!)」
さらに穢れたタールに羽毛が汚れ身体が重たくなり、厄災の禽獣は飛べなくなってしまった。
回転する斧が飛んでくる。
スキル『ビッグブーメラン Lv8』によって投じられたATK500万相当の攻撃により、厄災の禽獣を拘束していた触手は断ち切られた。
「ヴぉ、お!」
斧を投じたミスターへ黒触の腕が叩きつけられる。
隙をついた一撃は致命傷であった。
ミスターはセントラル外壁に叩きつけられ血の塊を吐きだす。
「あんななりで、恐ろしい戦闘勘だ……、
ミスターの悪態は的確であった。
人の身で怪物どもを殺し、屍の山を築いた。
篤き信仰と神業の数々、神敵を滅ぼす働きは認められ、最期の時、大英雄は神の遺骸を喰らうことを許され、そして末席に血を並べることを許されたのだ。
もはや人を失い、人の姿を失い、淀みと穢れに腐り果てたとしてなお、かつての熱気、戦場のなかの咆哮と惨劇、幾戦の記憶は大英雄の魂に刻まれている。
いにしえの英雄は現代の英雄へ、手ほどきをするかのようにその力量を理解させる。
「だが、ここで倒れる訳には……!」
ミスターはセントラルの壁からなんとか身を起こし拳を固める。
残されたHPはわずか。両足で立ち続けることも、次の5秒までだろう。
だとしても誓いを裏切らぬため、彼は終わりまで戦い続ける。
「ビッグ、パンチ」
腕を引き絞り放たれる拳。
今生の最終攻撃が
ふわっと巨体が浮き上がった。だが、それが限界だった。
ダメージは与えているがHPに対してみれば微々たるも。
次の瞬間、バケモノは大槍を抜き放ち、ミスターへそれを投擲しようとする。
タール状の液体に飲まれ動けなくなっていた厄災の禽獣はハッとして閃く。
素早く『冒涜の再生』を使用して自らを癒すと、自らを1/1リアルシマエナガまで縮めることで身体に付着したタールから逃れた。
次にサイズを1/1ロードローラーサイズまで膨らませると、怒りのゴッドバードアタックで
結果、大槍はミスターのいた地点を盛大に吹き飛ばした。
「ち、ちー……!」
顔面が蒼白になる厄災の禽獣。
百戦錬磨の大怪物は6つあった人腕のうち4つを解除した。
ほどけた分の触手たちがひとつの巨大な腕として再構築される。
再構築後、間髪入れずに、巨腕が厄災の禽獣を叩き潰した。
大地が盛り上がり、途方もない破壊の波が生じる。
その威力は隕石衝突に匹敵し、周囲100mに及んで一気に地面を陥没させた。
巨大なクレーターができ、周囲は舞い上がった砂塵に覆われた。
余波でミスターすら遠くまで飛ばされてしまった。
すべてが収まったあと、爆心地には深々と埋まった厄災の禽獣の姿があった。
「ち、ちー……(訳:ま、まずい、ちぃ……す、ごく、い、痛いちー……お家に帰りたいちー……)」
厄災の禽獣の瞳に涙があふれてくる。
無慈悲に再度振り下ろされる巨腕。
大英雄は攻撃をやめない。
神の怒りに触れたからだろうか。
執拗に繰り返される制裁の拳によって厄災の禽獣はあとかたもなく潰されていく。
実に7回ほど自己再生を繰り返し、厄災の禽獣は耐えたが、彼女のMPとて無限ではない。
最後の一撃が繰り出される。
厄災の禽獣は再びの死を覚悟する。
死の間際、人は走馬灯を見ると言われている。
それまでの記憶のなかからどうにか現状を打破し、生き残ろうとする本能からくるとされる機能が、厄災の禽獣のなかで働いていた。
経験値をたくさんもらったこと。
経験値を横領したこと。
経験値に囲まれて嬉しかったこと。
他人の経験値でするレベルアップは格別ちー。
たくさんの思い出がつぶらな黒瞳の奥で涙とともに流れていく。
ありがとうちー。本当にいい鳥生だったちー。
腹をくくっていると、コマ送りになった認識の隅っこがピカと光った。
巨塔のほうだ。
門の内側が明るい。
太陽が地平線から顔をのぞかせたかのようだった。
大爆発であった。
巨塔が内側から破裂した。
大災害のごとく飛散した瓦礫がふりそそぐ。
星の終わりを告げるかのごとき、新しい星の始まりを宣言するかのごとき、すべてを終わらせ、ゼロからスタートさせる光の暴威。
ふりそそぐ瓦礫は探索者たちがいる地点へも容赦なく降ってくるが、そのひとつとして人に被害を出すことはなかった。
皆が視線を奪われた。
すぐ横に押しつぶされたら死ぬほどの塔の破片が降って来ているのに、神々しさすら感じる破壊から目が離せなかった。
怪物はわかっていたのだ。
極大の敵が来ると。
恒星を背にして彼は歩いてくる。
光に輪郭を縁取らせ、指男は一歩一歩やってくる。
「見ィつけた──」
彼はそうつぶやき、穏やかな笑みを湛えた。
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