優しい人


 巨大な門が開いていく。

 指男は「ラスボスがいそうだ」とぼそっと感想をもらす。


 門が開いていくと、黒い濃霧があふれだした。

 地獄への道が解放されたかのようだ。


「これはいったい……」


 銀色の使徒は目を見張る。

 予想を越えた事態であった。


「誰かいる」

「ちーちーちー」


 指男と厄災の禽獣は身構える。


 溢れ出す黒い濃霧のなかに、人影があった。

 スラっと背が高い漆黒の髪の女性だ。

 頭には帽子がちょこんっと乗っている。


 指男はその顔を見て思い出す。


(補給拠点で飴ちゃんくれた人だ。たしか名前はジウさん。なるほど、デイリーくん、これもまた試練というわけですかい。いいでしょう、やってやろうじゃん)


 というわけで、覚悟をすでに済ませている指男はデイリーミッション完遂のため、チャンネルを三度みたびスタートさせたのだ。

 

「はい、どうも皆さんおはこんばんにちは指男ですっ! 今日も指男チャンネルはじめていきまーすっ!」


 黒い濃霧に底抜けに明るい声が響き渡る。


「……。指男? あなたが……いえ、そんなことより!」


 ジウは地味に発覚する衝撃の事実よりを飲みこむ。この場からの避難が優先だ。


(……。指男に関する情報はどういう訳かどこにも残っていない。ランク不明、年齢不明、性別不明、所有スキル不明。わかっているのは探索者であるといことと恐ろしい数々の噂。なにもかも謎のヴェールに包まれた都市伝説の怪異がこんなところにいるなんて驚きです。でも、だとしても、探索者である以上、無駄死にさせるわけにはいきません)


「なにか来る」


 指男がどうやらジウの背後の存在に気が付いたようだ。


「ちーちーちー(訳:なんかやばそうなバケモノがいるちー)」

「ぎぃ(訳:高密度の暗黒……このダンジョン、もしかしたらとっくに……)」


 厄災たちは表情に警戒の色を浮かべる。


 指男は一歩踏み出し、迷いなく立ち向かおうとする。

 ジウはその腕を掴み「あれはあなたが思っているような怪物ではありません!」と滅多に張らない声をだした。


「ジウさん、この前は飴ちゃんありがとうございました」


 指男はごく平坦な声でいった。

 続けて「ここは全部任せてください」とジウの肩を軽く引いた。

 分厚い手であった。温かい言葉であった。


「……。いったいなにを言って……」

「というわけ今日はね、あの黒いモンスターを倒していきたいと思いまーすっ!」

「……(本当に何を言っているんでしょう)」


 ジウは一瞬だけ胸の高鳴りを覚えた。

 本当に一瞬だったが。


 指男はサングラスの腹を指でおしあげ闇を見据えた。


 黒い濃霧とともに黒より暗い深みが動いた。

 ソレは一瞬の軌跡を残して、銀色の信徒に肉薄する。


(なんでこっちなのだッ!)


 銀色の信徒は反応できない。

 これは死ぬ。絶対死ぬ。あ、死んだ。

 彼の本能がそう想像した。

 

「おっと、うちの全裸マンに手をだすんじゃーないっ!」


 指男の声。

 猛烈な火花が散った。重厚な金属音が響く。

 銀色の輝きと、四本の黒鉤爪がぶつかったのだ。


 銀色は指男の腕であった。

 暗闇のなかで鈍く光る絶対の防御。

 スキル『銀の盾』を試用してみたらしい。

 

 対する黒鉤爪の持ち主は暗黒そのものであった。

 濃霧のなかから出て来たので姿が視認できる。


 影が形をつくっている。蛇のようで、トカゲのようで。

 身長はデカい。2mと50cmはあるだろう。

 ぬるりと動き、捉えどころのない身のこなしだ。

 黒い布を纏っていて、輪郭は黒い濃霧に溶け込んでいる。

 視線を切ればすぐにでも見失ってしまいそうになるほど気配を感じない。


 さながら熟達の暗殺者と言えよう。


「トカゲか? 見えづらいな」


 指男は眉根をひそめる。

 

「ぎぃ(訳:サングラスのせいでは)」

「ちー(訳:サングラス外すちー)」

「……。(たぶんサングラスのせいですよ、指男さん)」


 指男は同行者たちを背後にかばうように立つ。


 銀色の信徒は指男の腕の銀色化が気になった。

 

(こいつなぜそのチカラを……! いや、しかし、いまはそれより、あいつだ。あの怪物──黒い暗殺者が優先だ。いったい何者なんだ)


 銀色の信徒は卓越した戦士であった。来るべき戦いのためにいにしえの魔術で鍛え上げられた超人であった。もし探索者になったのならばAランクは確定的なほど。

 

 だと言うのに、暗殺者の身のこなしに反応できなかった。

 姿を目で追う事すら叶わなかった。神速。そう呼ぶにふさわしい。


(この怪物の姿、気配、なによりも黒い鉤爪……そうか、こいつが──)

 

「全裸マン、こいつあんたのこと襲ってるみたいだっ! あんたダンジョン側の人間なんじゃないのかいっ!」

「奴は暗黒だ。銀色ではない」

「?」

「暗黒の暗殺者。銀色の旧敵、異端の信仰者どもだ。やつらは神の機兵を狩り、儀式を失敗させるためにこのダンジョンへ乗り込んできたのだ」

「……今なんだって?」

「儀式を失敗させるためにこのダンジョンへ乗り込んできたのだ」

「もっと前」

「え? ……やつらは神の機兵を狩り……」

「ほう。面白い。俺以外にもここがボーナスステージだって気づいてるやつもいると」


 指男はコートを翻し、視線で暗い怪物を見据える。


「同業者ならば倒さないといけない」

「……っ(指男のやつ、今、同業者と言ったのか?)」

「獲物を横取りする不届き者は豆大福だけで十分だ」

「……っ(いったいどういう意味なんだ!)」


 銀色の信徒は難解な発言の意味がわからず、眉間にしわを寄せた。


 黒い暗殺者がヴォンっと姿が掻き消える。

 凶爪が空を斬り裂きせまってくる。


「エクスカリバー」


 ──パチン


 軽快な、よく乾いた音が鳴った。

 黒い怪物はすぐ目の前までせまっている。

 通常バージョンの『フィンガースナップ Lv6』では同行者たちへの被害は避けられない。

 だから、指男はATK1,000万相当の破壊と光、熱と衝撃の多重層を前方へ扇状にして放射した。指男が思いついた新しい爆破方法だ。


 黒い霧は押しのけられ吹き飛ばされ、一瞬視界が大きく開けた。

 圧倒的な力で叩き潰す暴力の極み。

 深き怪物は未元の破滅に焼かれ、為す術なく滅びゆく。


 ジウは闇を払う光を見た。

 黒い霧がすべて吹き飛んだ。

 絶望の底にいた彼女の心は救われる。

 彼の指先が生んだ光がすべての不安と恐怖を掻き消したのだ。


「……。エクスカリバー……これが指男……都市伝説の探索者」


 全裸マンは開いた口がふさがらなかった。

 焼かれ、爛れた銀色のダンジョンを見て、さきほど見せられた光景が嘘じゃなかったのだとわからせられた。

 

(なんだ……なんの冗談だ……これがひとりの人間が保有するスキルの威力だと言うのか……? これが人のチカラだと言うのか? 神すら殺しえる……のか? ありえない、ありえるわけがない……あっていいわけがない、しかし)

 

 指男は破壊を見て、すこし不服そうだ。

 彼は4時間前、天へと上る火柱を見た時「横向きに火柱出せないかな」とインスピレーションを得ていた。


 狙いとしては美しい槍のように放ちたかったが、熟練度が足らず、エネルギーは拡散してしまった。

 結果、前方を焼き払う扇状の爆発となったのだ。


 指男ゆびおとこは鳴らした指先をゆっくりと下ろす。

 焼け野原となり、溶解した大地が向こうのほうまで続いている。

 それを背にして「デイリーミッション。……お、いつのまにか4になってる」っと独り言をもらした。


「……。指男、あなたはいったい……」


 取り留めのないことをジウは訊いた。

 神々しい光を降臨させた彼の畏敬を感じたからだろうか。 

 助けてくれた者の名を知りたいと思ったからだろうか。

 あるいは絶望から解放してくれた彼に理想像を押し付けたかったのか。


 指男は思案する。

 指男はハイコンテクストが得意ではない。

 だから、考えて考えて……思考を諦めた。

 ゆえに己の言いたいことを言った。


「もう大丈夫ですよ」


 指男はそう言って、ニコリと優しい笑顔をうかべるのだった。


 ジウはその笑顔を見て、不思議と涙がこぼれてきた。

 怖かった。恐ろしかった。

 だから、無性にそれが刺さった。


(……。指男、あなたは優しい人なんですね)


 それだけで、ああ、それだけでまったく良いのだ。

 ジウは自分の求めていた答えを自分以上に正確に言われて、くすりっとちいさな微笑みをこぼした。

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