濃霧のなかで

 



 黒い濃霧のなかへ降り立ったジウは、短剣を取り出した。

 模様の刻まれた雅な装飾のある短剣である。

 刃で再び肌を斬りつけ、流血させる。


「スキル発動──血界蠅」


 垂らした血が蠢き、雫となって浮かび上がり、空へ落ちるようにジウの目の前まであがってくる。形が変わっていき、くりっとした瞳がつぶらなはえとなった。


「……。この濃霧、射程は10mと言ったところですか。いないよりはマシですね」


 ジウはしゃがみ込み、太もものホルダーに収めてあった銃を取り出す。

 魔法剣と並びダンジョン攻略にて使用されている装備、魔法銃である。

 常人が使ってもモンスターにダメージを与えることができない点は魔法剣と同じだ。探索者の素質を有する者が放つことでモンスターに対抗できる。


「……。いきましょう、蠅ちゃん」


 ジウはトーチライトをとりだしてあたりを照らす。

 はえは元気よく飛びはじめ、ジウのまわりを飛ぶ。

 軟弱に見えるが、様々な役割を持てる優秀なはえである。


 ジウは細心の注意を払って濃霧のなかを進んだ。

 

 塔のなかは通路が複雑に、立体的に入り組んでいた。

 ジウはトーチライトを掲げて見上げる。

 

 空中廊下とも言うべき石造の通路が、縦横無尽に幾層にも形成されている。

 足元も壁も苔むしている。長い年月がこの土地を風化させたのだろう、とジウは思った。


 不思議なのは国内ダンジョンの常識がここには通用しないことであった。

 

(……。国内のダンジョンは一般的に、幅5m、高さ5m程度の通路の連続で構築されるはずですが、ここはまるでそのルールに従っていない。それにかなりくたびれた印象を受けますね。ダンジョンは代謝を繰りかえし、成長し、新しく形成され、拡大し続けるものとされていますが……ここには生気が感じられない)


 このジウという受付嬢は長年ダンジョン財団の補給拠点課に身を置き、これまで15階層以上のダンジョンをいくつも見てきたが、これほどのまでに不気味なダンジョンには出会ったことがなかった。まるでもう死んでいるかのように感じた。


 ジウは探索の途中で石碑を見つけた。

 ひび割れ、砕けた、高さ10mにも及ぶ巨大な石碑だ。

 読めない文字が連なっている。

 意味はまるでわからなかったが、これがアーティファクトなのはわかった。


 アーティファクトとは、すなわち現人類とは系譜を別にする者たちによって作られた物質であり、執筆された情報の総称である。とりわけ異常性アブノーマリティが低い、あるいは無い物にこの呼び名が使われる。


 つまるところ、おかしい機能はないが、ダンジョン財団が管理し、理解する必要があるものである。


(……。暗黒の霧のこともありますし、やはりアルコンダンジョンと考えるのがだとうですか。この情報は有益ですが、私ひとりでどうこうできる話でもないですね)


 調査には専門家のチカラが必要であり、こんなダンジョンの奥地から巨大な石碑を地上へ持ち帰るのにも数々の手順を踏まなければならない。

 安全を確保し、モンスターの数を減らし、二点間転移装置を設置、そしてようやく回収へこぎつける。


 ジウは早々にこの地から探索者を救出する必要があると決意する。

 

「ぅ、ぅ……誰かいるのか? 助けてくれえ……!」


 ジウは声にふりむく。

 向こうから誰かやってくる。

 魔法銃の照準をあわせていると、サイトに人影が映った。


 白肌の筋肉質な男であった。

 簡素な白布に身をつつんでいる。

 手には巨大な鉤爪をつけている。

 右肩と胸にかけて大きく裂けており、鮮血に濡れている。

 

 その姿にジウは見覚えがあった。


「……。動かないでください」

「っ、貴様、もしかして、ダンジョン財団の……っ」

「……。アルコンの信徒ですね。緊急事態につき私はいつでもあなたを撃ち殺すつもりでいることを先に伝えて置きます」


 銀色の信徒は脚を止め、歯ぎしりをする。


「クソッ、こんな生娘にセントラルのなかを土足で踏み荒らされようとは……ッ」

「……。生娘だなんて。おおきな怪我をしているようですね。私についてくれば身柄を拘束後、治療をほどこしましょう。もちろん、尋問と法の裁きのアフターサービスつきですが」

「ふざけるなッ!」


 銀色の信徒は鉤爪を素早くふりぬく。

 ジウは躊躇なく発砲する。

 鉤爪が銃弾を絡めとり、細い首筋を刈り取とうとする。

 

 一歩下がるジウ。

 鉤爪が彼女の前髪をかすめる。

 

 最小の動きで避けられ、信徒は致命的な隙をさらした。

 ジウは特に焦った様子もなく胸部へ3回発砲、顔面に2回、おまけのように股間へ1回発砲した。


 立体的に拾い空間に撃鉄の音が澄み渡る。


 ただ、流石に常人ではない。

 銀色の信徒は全身血まみれになりながらも、まだ闘志ある瞳でジウを睨みつけて来る。


「やるな、探索者……ッ、いいだろうッ、どうせ死ぬのなら、お前もろとも……!」

 

 そう言って信徒は鉤爪をかかげた。

 爪が銀色の輝きを放った。

 その光は闇を払うようにブワっと広がった。

 かと思うと、すぐにまわりの濃霧がもみ消す様に収束してきて、鉤爪の輝きは失われてしまった。


「ははは、これでお前もおしまいだ」


 銀色の信徒は「あーははははっ!」と高笑いをしながら両手を広げた。

 直後、視界の隅で何かが動いた。

 

「うぐッ」


 高笑いをやめる信徒。

 息を詰まらせたような声をだし……そして、真っ二つになった。

 右肩から左腰へかけてパックリと袈裟懸けに分かたれた。


 ジウの背筋を冷たい恐怖が駆けた。

 霧より濃密な死が目の前にいるのだとわかった。


 鉤爪の男は何かしらの手段を使い呼んだのだろう。

 己に死をもたらし、そしてジウにもまた等しい死を届ける悪魔を。


 ジウはトーチライトを放り捨てて駆けだした。

 パリンっとライトの割れる遥か後ろで響いた。


 空気がわずかに揺れる。

 ジウは死神を背後に感じ、直観のままに頭をさげる。


 頭のうえを高速で何かが通り過ぎる。


 ジウは視線をあげる。

 そいつは黒い布を纏っていた。

 暗澹のなかでなお深き色を持つ怪物だ。


 そいつがヌルっと動いた。

 ジウは銃を発砲し──気が付いた時には死んでいた。


 得物はなんだったのか。

 刃物に違いはないが、それ以外はわからない。


 わかっているのは自分の身体をバラバラにされたことだけ。

 そこで意識は途切れた。


 

 ────



(……。危ないところでした)


 石碑の陰でジウはホッと胸を撫でおろしていた。


 彼女は意識を移していた分身体の死亡を確認する。


(……。『うそつきの化身』、今回も私の命を救ってくれましたね)


 ジウは危険へ身を投じることに慣れている。

 それは彼女が保有するスキル『うそつきの化身』が、未知の領域での探索に向いているからだ。


 スキル『うそつきの化身』はいわゆるデコイである。

 日に1回使える回数消費型のスキルで、自分とそっくりな姿をした分身をつくりだせるのだ。

 難点がいくつかあり、ひとつは生物を触媒にする必要があること。

 そして、射程がごく短いと言う点だ。

 本来このデコイは本体から数mしか離すことができないのだ。

 

 ジウはこの点を彼女の持つ『血界蠅』を使うことでカバーした。

 生物を触媒とするという難点を、自身で触媒を用意することでどこでも利用できるようにし、さらに血のはえを操作することで、分身体の操作の射程も大きく伸ばしているのだ。


 彼女は分身体にトーチライトを持たせ、10m後方で息を潜めていたのだ。

 結果として怪物の攻撃をしのぐことができた。


 とはいえ、怪物はまだすぐそこにいるのだが。

 ジウは物陰から様子をうかがう。

 

(……。あの怪物、アルコンの信徒を躊躇なく殺していましたね。つまりは補給拠点を襲撃して来た白肌の者たちとは敵対関係にある、と。ふむ、どうやらこのアルコンダンジョン、一筋縄ではいかないようですね)


 ジウは物陰に再び頭をひっこめる。

 彼女はダンジョン財団の受付嬢だ。

 ゆえに卓越した戦闘能力とそのほか謎技能を持っているが、その彼女ですら太刀打ちできないとなると、もうアレに対抗できる存在は限られてくる。


(……。私では対処できない。ここで見つかって死んでは元も子もないです。ダンジョン内にダンジョンができるダブルダンジョン現象だけでも稀有なことだと言うのに、まさかアルコンダンジョンのダブルダンジョンなんて……この情報を一刻も早く地上に知らせないとです)

 

 危機が去るまで物陰でじっとしていようと決意した。


「う、ぅ、ぅう!」

「……。あなたは」


 ジウの足首を掴み、かすれたうなり声をあげる。

 先ほど惨殺されたアルコンの信徒である。


 身体を派手に斬られたのに、まだ息があったようだ。

 臓物を引きずりながら上半身だけでジウのもとまで来たらしい。

 おぞましい執念と根性にジウをして鳥肌が立った。


 そして、最後のチカラを振りしぼることで信徒の目的は達成された。


 黒い怪物が声に反応して動いたのだ。


「ッ、『オミノス・オートマタ』!」


 ジウがネックレスを握り念じると、空間が裂け、そのなかから腕が飛びだした。

 飛び出した腕は6本。それらは人間より遥かに長く、関節が多い。

 腕たちは黒い怪物の鉤爪を抑えると、残った腕で黒い布を掴み、剛力でもって石碑に叩きつけてしまった。


 『オミノス・オートマタ』

 G4異常物質アノマリーだ。

 ネックレス状の異常物質であり、念じることで多関節の6本腕を持つ不気味な機械人形を召喚することができる。

 ジウが駆け出しのころから大事に育てて来た相棒だ。


 石碑に叩きつけられた怪物は、すぐに起き上がり飛びかかって来る。

 『オミノス・オートマタ』は怪物を止めるべく掴みかかる。

 暗黒のなかで鈍く金属が光った。人形の腕が二本斬り落とされた。

 

 ジウは目を見開く。

 機械人形と一瞬だけ視線が交差した。

 言葉など交わしたことはなかった。

 ただ、人形の、彼女の意志がジウにはわかる。


 ジウは迷い……そして、逃走を選んだ。

 

(……。『オミノス・オートマタ』はレベル280の召喚モンスター。ですが、彼女ではおそらく勝てない。時間稼ぎがいいところ)


 ジウは振り返らずに懸命に走った。

 そして足を止めた。

 荒く呼吸をくりかえす。その旅に絶望が湧き上がってくる。

 

「はあ、はあ、はあ……行き止まり? そんな……」


 冷たい石の壁をペタペタと触る。

 ジウは振りかえる。

 黒い怪物が獲物を追い詰めた狩猟者のように、ゆっくりと近づいて来ていた。


「……。ツイてないです。こんなことなら誕生日にもっとケーキを食べておくんでした」


 ジウの心残りは体重を気にして、せっかくの誕生日にいちごと生クリームがたっぷりと乗ったホールケーキを食べなかったことである。


 ──ガガガ


「……?」


 ふと、背後で物音がした。すぐ後ろだ。

 思わず振り返ると、巨大な壁がぱっくりと真ん中に筋を入れて裂けていくではないか。


 地を揺らし、ズガガガっと壁が動き、その向こうに人影を映し出した。

 濃密な黒い霧に比べればずいぶんとマシに見えるそちら側には、おかしな風貌の者たちが立っていた。

 

 銀髪を携えた美しい少女を抱えた人間大の豆大福。

 恥部を惜しげもなく晒す変質者。

 唯一まともそうなのは、厚手のロングコートを着こんだ青年くらいか。


「はい、どうも皆さんおはこんばんにちは指男ですっ! 今日も指男チャンネルはじめていきまーすっ!」


 底抜けに明るい声音。

 闇を打ち払う変質者たち。

 ジウは希望と呼ぶには少しの抵抗を感じるのだった。

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