指男の尋問


 

 トリガーハッピーは恐怖に駆られていた。

 戦場のなかで育ち、ハードな人生を送ってきた彼女は、血にも銃にも怖気付くことはない。

 されど得体の知れない存在に対しては、人の本能的とも言える警戒心が働く。ことダンジョンに関連する人智を超えた現象・存在には、こう言う類の怖さを感じる事が多い。

 トリガーハッピーはそんなおぞましい超常に鉢合わせた時のような焦燥感を抱いているのだ。


(指男、どうやら私の認識は足りていなかったということですか)


 睡眠を介して体力を急速に回復していたら、いつのまにか腕を勝手にはやされていた。今起こったことをありのままに話したらこれ以外に説明のしようがない。


(腕を再生させるスキルなんて、しかもこの短時間で? ありえない……ありえないですって)


 自分の腕をぺたぺた触りながら、トリガーハッピーは現実を受け入れられない。

 高度な治癒系スキルは世界でも限られたもの。それをたやすく行使してみせた指男には、感謝よりも恐怖が勝つ。


(こいつやば……なに……いったい何者、というか、何を要求されるんだろう……)


 頭のなかをぐるぐるめぐる不安。

 まずは信じられない現実、その次に指男の正体について。そして行動の目的。

 いろいろ考え、憶測は膨らみ、なのに指男のほうはそんなこと気にした風はなく、なんでか襲撃者の耳にナメクジを挿入していく。なんたるマッドネスだ。


 ただ一点、安心できる事があるとすれば、それは指男はその物腰柔らかだということだ。それが何を意味するのかわからないが、トリガーハッピーとしては社交的に外面を取り繕っている限りは、今のこの″窮地で出会った探索者の同僚″という関係が壊れないような確信があった。

 ゆえにハッピーは現状維持を選んだ。


「さてと、それじゃあハッピーさん、はじめましょうか、この鉤爪男の尋問を」


 指男はナメクジを乗せた腕をかかげる。

 すると、鉤爪男はすくっとたちあがった。

 虚ろな眼差しで、口は半開きだ。

 正気には見えない。


(これが指男の洗脳能力……本人が抵抗している感じはない。つまり効果の対象には抵抗する余地すらない強力な洗脳ということ)


 トリガーハッピーをして寒気を感じた。

 自分がもしこの洗脳にかけられたら、果たして対抗できるのだろうか、と嫌な想像をしたからだ。

 指男をちらと見やる。

 彼の方は表情ひとつ変えていない。見慣れている証だろう、とトリガーハッピーは確信的な誤解をする。


(この強力な洗脳でいったいこれまでにどれだけの人間を傀儡にし、尋問してきたんですか……)


 トリガーハッピーも努めて表情を変えずに、決して動揺して指男に舐められまいとする。


「なんで俺とハッピーさんを襲ったんですか」


 指男は質問をする。


(指男は丁寧な口調……。だけど、きっとこれは己の本性を覆い隠すためのもの。こういう人間が一番やばいのはロシアでも日本でも変わらない。思えば、ずっとサングラスをかけているのも怪しい。きっと血走った狂暴な本性が眼差しに出るのを恐れてのこと……すべて繋がった)


 ハッピーは指男のことが気になって仕方がない。


「お前たちは……ダンジョンを肥やす贄となる、のだ……」

「最初にも言ってましたね。ダンジョンを肥やす、とはどういう意味ですか」

「……銀色の、ダンジョンは、箱舟を獲得する……そのためにはこの塔を地上まで伸ばさなくてならない……もっと贄が必要だ……」


 指男は難しい顔をして「ふむ、なるほど」と言っている。

 ハッピーはそんな指男を見て「(いったい指男にはなにがわかっているの……?)」とその類稀なる推理力にも驚嘆していた。


 なお『ふむ、なるほど(訳:理解力のない男を晒すのは、美少女の手前ちょっと格好つかないからとりあえずわかっている風にしとこっと、しとこっと──)』が正しい解釈である。


「さてと、それじゃあ、ぎぃさんはなにか質問はありますか?(訳:ぎぃさん、このあんぽんたんが、もっとわかりやすく説明するよういい感じに質問してくだせぇ)」

「……ぎぃ(訳:御意)」


 厄災の軟体動物はどことなくため息つきながら「ぎぃ」と簡潔にたずねた。

 鉤爪の男は答える。


「生き贄をダンジョンに捧げ……すべての使徒を解放する、そして、見えるのだ、悲願に、応えるのだ、親愛に、拝領するのだ、恩寵を、私たちの世界が箱舟を得るのだ、メターニア、メルーニァ……──」


 鉤爪の男はそこで言葉を切ると、いきなり明後日の方向を見上げた。

 指男は動揺した素振りはなく、されど謎の行動に首をかしげている。


「ああ、そこにいらしゃったですか…………──ッ、ふ、うグゥ……ッ!!?」


 異変は当然に起こった。

 鉤爪の男は暴れ出す。

 白い肌をより一層血色悪くしながら、もがき苦しむ。必死に内なる何かと戦っているのだろうか。胸を掻きむしり、のど元を爪でひっかいて、なにかを掻き出そうとしている。

 爪は皮を割いて、その下の血と肉に染まる。


 おぞましい光景に、ハッピーは険しい顔をして、銃を握る手に力をこめた。


 ふと、指男はハッピーの胸のまえに手をだして、一歩下がらせた。

 ビクッとして思わず後ずさるハッピー。指男の意のままに行動してしまったことにわずかな苛立ちを覚える。


「ふぐ、ゥアあああ!!」

「っ!」

 

 鉤爪の男はタカが外れたように叫びだし、脱兎のごとく走りだした。

 手を伸ばすハッピー。だが、男が4歩も歩かぬうちに結末は訪れた。

 男の口のなかから鈍色の根っこのような、触手のようなものが無数にあふれだしたのだ。その質量は増大していき、男の身体を内側から張り裂けさせ、やがて天へと伸びていく木の根のように咲き誇った。

 ハッピーはそっと耳に手をあてた。その奥に悲鳴がまだ残っているような気がしたからだ。


「ちー(訳:アルコンちー! アルコンが復活したんだちー! 自分の配下をこんなにするなんて許せない外道ちー!)」


 鳥は世の悪に怒りを抱いた。


「ぎぃ(訳:アルコンが降臨したならこの程度では済まないでしょう。おそらくは使徒の権能ですよ、先輩)」


 蟲は明晰な推理をした。


「ふむ、なるほど」


 指男はとりあえず神妙な面持ちをつくった。

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