ドーヌッツの加筆とヒーラーエナガさん



 春の日差しが心地よいある日。

 整えられた顎鬚をたずさえた男が、路面電車と小麦色に焼けた肌の乙女が横切るキャフェテリアのテラス席で、酸味の効きすぎたチーズと若いワインに舌鼓を打っていた。


「べンヴェヌートさん! こんなところにいたんですか!」

「おや、ブルーノ君。こんないい昼時にいったいなにを慌てているのだね」


 指に着いたチーズをしゃぶるように舐めとって、顎髭の男──べンヴェヌートは、いつでも慌ただしい助手ブルーノへ向き直った。


「なにもかにも、ドーヌッツの加筆があったって話じゃないですか!!」

「ん、ああ、あったみたいだね」

「『あったみたいだね』じゃないですよ! べンヴェヌートさんが現場に急がなくて誰が急ぐんですか!」

「最近の若い研究者と言うのは本当に優秀な者ばかりだよ。俺なんかいなくたってどうにでも上手くやってくれるさ」


 べンヴェヌートはクラッカーにチーズを塗ってパクっと食べて肩をすくめる。

 

「呑気なこと言ってないではやく来てください!」


 ブルーノはベンヴェヌートの腕を強引にひいた。


 陽気な天気とは裏腹にダンジョン財団ユーロ本部は騒々しくなっていた。

 ダンジョン研究における重大な成果を数多く発見してきたダンジョン財団関連の研究機関『ノルン』の本部がユーロにはある。ノルンが存在価値を確立しているのはその能力と成果のおかげだけではない。ノルンには財団の抱える極めて重要な異常物質があるのだ。異常物質の名は『ドーヌッツ』。それはJPN本部が保有する『外海六道』、『世界終末シナリオ』とならぶ人類存続において要とされる異常物質アノマリーのことだ。


 『ドーヌッツ』は風化した円環状の巨石であり、その起源は『世界終末シナリオ』よりもずっと古いとされる。

 『世界終末シナリオ』が薄汚れた羊皮紙に現秩序を崩壊させる因子を記すのなら、『ドーヌッツ』にはより近距離での視座から見た外敵が描かれる。すなわちそれは現状のダンジョン財団が直面する直近の危機のことである。『世界終末シナリオ』が予言できない現実に起こっている危険が記されるため、こちらの対処は極めて迅速に行われなければならない。


 べンヴェヌートは助手ブルーノに連れられて、騒々しく研究者たちが足と手と口を動かすドーヌッツのもとまでやってきた。ひんやりとしたホールの真ん中で、白い照明に照らされた円環状の巨石に、古い言葉がつづられている。


「あー確かに加筆されてんのな。あんま信じてなかったわ」

「だから、言ったじゃないですか」

「ふむ、メタルモンスター、ね」

「え?」


 ドーヌッツを見上げながらつぶやいたべンヴェヌートに、ブルーノは目を丸くする。

 べンヴェヌートは「?」となにかおかしなことを言ったかと不思議そうだ。


「べンヴェヌートさん、解読速いですね……私なんも加筆については言ってないですよね」

「まあ、そのために俺が呼ばれたんだしな。読まなきゃだめだろ」

「そうですけど……(この人にはいつも驚かされるなぁ)」


 べンヴェヌートはドーヌッツを見上げる。

 そこに書かれた文はドーヌッツに加筆されるほどに危険なダンジョンが出現したことが記されていた。


「銀の色、メターニャ、メタルノア……」

「なんのことでしょうか……」

「アルコンのダンジョン、だな」

「旧世界の統治者、ですか?」


 べンヴェヌートは厳かにうなづく。

 

「箱舟を奪うために信徒たちはダンジョンを地上に開く。なかでもアルコンのダンジョンは実質的に”対処不可能”な脅威として封印プロトコルを実施するもんだが……この加筆には重要なことが書いてねえなぁ」

「そうですか? 出現日付けはもちろん、時間まで書かれてるのに」

「場所だよ」

「あ……」


 べンヴェヌートは困ったように頭を掻いた。


「まあ、でも、アルコンダンジョンなら財団が見落とすような小規模じゃないですよね。この日時に出現したダンジョンをしらみつぶしに探せば見つかるはずです」

「うーん……だと、良いけどなぁ」


 べンヴェヌートはどこか胸騒ぎがしていた。

 これまでアルコンダンジョンの位置も時間もビタリと当てて来たドーヌッツが果たしてミスをするだろうか、と。

 もしミスではなかったのなら、なぜ座標は存在しないのだろう、と。


「地上に本来存在する座標じゃない……もしかしたら、異空間とか……あるいはダンジョンのなかに出現してたりしてな……」

「そんなことあるのですか?」

「知るかよ。狂った信徒のすることなんざな。どこに召喚したっておかしくはねえ。そうだろ?」



 ────



 ──赤木英雄の視点


 どうも、赤木英雄です。

 ハッピーさんがお眠らしく、すぐとなりで寝始めました。

 この美少女の眠りを守ることが先輩から科せられた任務なわけですね。

 シマエナガさんを抜擢して、快適な睡眠を送ってもらう作戦は順調そうです。


 それにしても腕がとっても痛そう。

 お金がないのか良い回復薬も持ってなかったご様子。

 先輩のプライドを傷つけてしまうかもしれませんが、それ以上に年下の女の子にこんな痛々しい姿をさせていられません。少なくとも俺の目の前くらいは平和に生きましょう。


「ということで、豆大福さん」

「ちー!」

「はいはい、シマエナガさん」

「ちー」

「ハッピーさんの腕を治して差し上げなさい」


 シマエナガさんは深くため息をついて「仕方ないちー。これも謹慎解除のためちー」とでも言いたげな感じでスキルを発動しました。


 ───────────────────

 『冒涜の再生』

 世界への挑戦。

 生命の冒涜者。

 あらゆる命を再生させる。

 720時間に一度使用可能。

 MP10,000でクールタイムを解決。

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 黒い霧とともに、虚空より黒い手が無数に伸びてきました。

 冒涜的なエフェクトでハッピーさんの傷口を包むと、黒い手たちは暗黒の粒子を紡ぎ合わせてまたたくまに骨、そのまわりの肉、血に筋繊維に皮と再生させてしまいました。暴力の人を癒したときはこんな邪悪じゃなかった気がしましたけど。今回は欠損という重傷なので『冒涜の再生』さんも本気出したということでしょうかね。ええ。


「ちーちーちー」

「いい仕事ですよ、シマエナガさん」

「ちー♪」


 シマエナガさんが優れたヒーラーであることは疑う余地がないです。

 なお、スキルがやたら邪悪なのはご愛嬌ということで。


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