銀の怪物と暗い炎


 

 黒い霧のなかで銃声が鳴り響く。

 ハッピーは左肩からしたたる血で足元に跡をつけながら、必死に逃げていた。

 出会った怪物は想像を絶する脅威だった。いくつかの攻撃をした。ひとつの攻撃をされた。それで、ハッピーは理解したのだ。この暗い底が恐ろしい場所だと認識させられたのだ。


 ハッピーは物陰に身を潜める。

 呼吸を整えながらも、息を殺し、じんわりと噴き出ては身体を冷やす汗に生唾を飲み込む。こっそりと物陰の向こうを伺った。


「カチカチ」

「ッ」


 目の前でそいつは顎を鳴らしていた。

 ハッピーが顔をだすのを待っていたらしい。

 ブンッと腕が振られる。防御系スキルを3つ発動し、乗算の盾でダメージを防ごうとする。宙を舞い、ぼちゃっと地に転がった。銃を握ったままのハッピーの左腕が。


「うっ、く!」

「カチカチ」


 ハッピーは膝をついて、温かい血の流れ出す肩口をがむしゃらに押さえて、命がこぼれないようにする。

 だが、そんなものは無意味だ。彼女に眼前の怪物に対抗する力はなく、防ぐだけの神秘のチカラもないことはいましがたの一撃で判明してしまったのだから。


「冗談キツイって……なに、このダンジョン……」


 圧倒的。圧倒的に未知で、それでいて危険の次元が違うダンジョンだった。

 ハッピーはこれまでに何度もクラス4のダンジョンは攻略してきたが、目の前の怪物ほどの脅威に出会ったことがなかった。べらぼうに危険な生物なのである。


 怪物が6本ある腕のうち1本を振り上げる。

 振りあげた腕はわずかに膨張し、変形すると、銀色の刃になった。

 腕が振り降ろされる。


 終わり。そこで終わり。ハッピーは目を逸らさなかった。

 トップ探索者の意地だったのかもしれない。未知との戦い、迷宮の探索にささげた人生に醜態をさらすまいとしたのかもしれない。


 どのみち、彼女の覚悟は裏切られることになった。


 黒い爪が、銀色の怪物の背後から襲い掛かったのだ。

 ハッピーにトドメが刺されるコンマ1秒前の出来事だった。

 

 怪物はすぐさま奇襲に気づき、暗殺者を振りほどこうとする。

 ハッピーは目を見開いて、そのさまを目撃した。

 銀の怪物を襲ったのは、怪物よりは一回りほどちいさい、人型の生物だったのだ。

 ただ、人型と言うだけで、とても人間とは考えられない長い手足をしていた。

 暗いマントを羽織った人外の暗殺者は、黒い爪に暗い炎を宿し、勢いよく銀の怪物を突き刺した。


 ハッピーは銀の怪物の防御力を知っていたので、とてもそんな攻撃では通用しないだろうと思っていた。

 だが、おかしなことに黒い爪は銀の甲殻を貫くと、深々と怪物のうちがわへ刺さったのだ。


 それがどれほどのことか、ハッピーには想像もできなかった。

 わかるのは、この黒い暗殺者が銀の怪物に比肩しうるほどのバケモノで、なおかつその邪悪な炎の色から、自分の味方だと考えるのは楽観的すぎるということだけ。


 今しかない。逃走のチャンスは。

 ハッピーは激痛に痛む肩を押さえながら走りだした。


 どれほど逃げたかわからない。1時間、あるいは2時間?

 駆けに駆け、もう絶対にアレらに見つからないくらいの距離までやってきた。そのつもりで走った。だが、あんまり距離は走っていないような気もしたし、時間もそれほど経っていないような気もした。


 この黒い霧は方向感覚を狂わせる。

 精神へなんらかのダメージを及ぼしてる。

 ハッピーにはそのことがわかっていたが、あいにくと勢い至上主義の彼女は、精神への対策をステータス値だけに頼っている。ゆえに精神が侵されているからといって、なんらかの対策を講じることができない。


 やみくもに走る。

 ふと、なにかにぶつかった。

 痛くはない。むしろ柔らかい。というかもふもふしている。


「なんだろう、こんなとこに……」

「ちーちーちー」

「……」


 顔をあげると、白くてふわふわの羽毛のなかにつぶらな黒瞳をした愛らしいナニカがそこにいた。

 とても邪悪には見えないまん丸フォルムだ。かあいい。


「第一村人発見」


 白いもふもふの背後からひょこっと顔を出した青年はそう言った。

 


 

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