指男の噂 5


 足音の響かない廊下を颯爽と歩く黒い影。

 暗い髪をなびかせ、黒い外套で尾を引きながら重厚な絨毯の敷き詰められた高級ホテルの一室へ迷いない足取りで向かっているその少女。

 彼女の名は餓鬼道がきどう。下の名前は誰も知らない。

 

「お疲れ様です」


 通路の守衛を務めていた大柄なエージェント2人組が餓鬼道へ軽く会釈する。


「おい」

「「っ、は、はい、なんでしょうか、エージェントG」」


 餓鬼道は辛辣な態度で「おい(怒)」と言ったわりにそれ以上なにも言わずに肩で風を切って歩いて行ってしまう。エージェントたちは伝説のスーパーエリートエージェントを怒らしてしまったと気が気でならない。

 もちろん、本当は立場の下な者たちに不機嫌をぶつける嫌な上司というわけではなく「お(疲れ様、そんなかしこまらなくてい)い」と気遣ったつもりだったのだ。


「(みんなどうしたんだろう。なんかビクビクしてた……。っ、まさかこれも指男の仕業!(※いつもの)」

 

 エージェントGはスレを立てて「指男が私のまわりに精神干渉を仕掛けている。もう誰も信用できないんだが」となんでも実況の連中に定例報告を始めようとする。


「ん、着いた


 だが、目的地に到着してしまったので、とりあえずスレットを立てるのはあとにすることにした。

 スマホを外套のポケットにしまい、普段は緩めてあるネクタイを少し締め直し、サングラスを中指で軽くもちあげる。体裁は整える必要があるからだ。


 餓鬼道は財団エージェントによって守られたホテルの一室の扉をノックして「入る」と足を踏み入れた。


 部屋のなかは高級で品の良い調度品でかざられている。

 机の上には絶対にいらないだろと思いがちな果物の盛り合わせがでかでかと置かれている。


「遅いぞ……ッ、いつまで待たせるつもりだ……!」


 果物を盛り合わせをイライラした様子で頬張るのは白髭を特盛でたずさえた巨漢である。現代のマルクスことグレゴリウス・シタ・チチガスキーである。


 餓鬼道は起伏のない表所のまま歩いていき、シタ・チチガスキー博士の体面に腰を下ろした。


「たく何が礼儀の国だ……笑わせてくれる。こんな奴が各国の財団本部をなかで最も優れたスーパーエリートエージェントだと言うのだから洒落にならん!」

「(ぶどう美味しそう)」


 餓鬼道はぶどうを一房とって、一粒ずつもぐもぐし始める。


「くっ、この私を前にその態度……っ、ふん。流石はエージェントGと言ったところか。このグレゴリウス・シタ・チチガスキーを前にして、その振る舞いとはな。その胆力のほどは超一流としての自負からか。傲慢にも見えるがな。まあ、そんな態度が許されるのはお前ほどのエージェントだからなのだろうな」

「(あとでちゅん隊長の携帯食料にしよう)」


 餓鬼道はぶどうを懐にしまう。

 なお、ちゅん隊長とは餓鬼道の指揮する人外特殊部隊”Gスクワッド”の隊長の雀のことである。可愛いことで一部で人気がある。

 

「シタ・チチガスキー、『ダンジョン学界の四皇』」

「っ……(なんて冷たい声だ……っ。人間を人間とも思わない冷血な者だけが出せる声……)

「あなたは指男に接触した。私が訊きたいのは彼の印象」


 シタ・チチガスキー博士は餓鬼道の迫力に気圧されながらも、生唾をごくりと飲み込み、その大きな体で威圧的に虚勢を張る。


「そんなことはどうでもいいッ! やつを、やつを、なんとかするのが貴様たちの仕事だろうがッ! いますぐに外海六道を用いてやつを殺すべきなんだ!」

「可哀想。ひどく混乱している」

「ま、待て、なにをしている……なんだその手は」

「これは手刀」


 餓鬼道は手刀の手の形をつくる。

 瞬間、シタ・チチガスキー博士は白目を剥いて気を失った。

 恐ろしく速いのでみんな見逃してしまったようだ。


 次に目を覚ました時、シタ・チチガスキー博士は寝る前と同じ席で机に突っ伏していた。


「痛っ」


 起きた直後、首裏に鋭い痛みが走った。

 

「おはよう、シタ・チチガスキー」

「私はなんで寝ていたんだ……」

「指男について話しを訊きたい」


 餓鬼道は抑揚のない声で繰りかえした。


「っ、そうだ! その話だ! 指男をお前たちは殺さなくてはいけないんだ!」

「可哀想。まだ混乱してる」


 またしても手刀。首裏を打たれシタ・チチガスキー博士は気を失う。

 次に目が覚めても、シタ・チチガスキー博士は机に突っ伏していた。

 顔を起こすと、首裏に痛みが走った。さっきよりも増している気がした。


「おはよう、シタ・チチガスキー」

「ぇ……(これさっきも見たような……ま、まさかタイムリープ……?)」

「指男の話を訊きたい」

「そ、そうだ! その話だ! お前たちは、やつのヤバさを知らないから呑気にしていられるのだ! 指男を消すためなら核の炎さえ使う必要が──」

「可哀想。まだ混乱してる」


 こうして餓鬼道の手刀は繰り返され、シタ・チチガスキー博士は自分が閉ざされた時間を何度も繰り返しているんじゃないかと錯覚するようになった。


 人力タイムリープである。


「(ど、どうすればこのタイムリープから抜け出せる……! 首の痛みがヤバすぎて次タイムリープしたら死ぬ気がする……!)」

「指男についての情報が欲しい」

「(一旦いつもとは違う流れでやってみるか……)」


 シタ・チチガスキー博士は素直に餓鬼道の質問に答え、指男について話しはじめた。しかし、話しているうちにとてつもない恐怖を思い出してしまって、だんだんと呂律が回らなくなって、震えが止まらなくなっていた。


「わ、私は、指男につかまった……」

「指男のほうから襲って来て、戦闘後、敗北し捕虜になったと」

「そうだ……だが、捕虜なんて生易しいものじゃなかったんだ……! ひいい! ああ、脳が脳がかゆくなってきた!」

「脳がかゆい?」

「やつは、やつは、何度も何度も、私を殺して……! そのたびに気持ちよさそうに身体をビクンビクン痙攣させて粘質な笑みをうかべるんだ……!」

「指男……やはり、とてつもない性癖を持っているということ」


 餓鬼道は自分のプロファイリングが正しかったことを裏付ける証言にほくそ笑む。


 ふと、思い出したように餓鬼道は証拠品をとりだす。

 『隕鉄の薬指』──蘇生系異常物質である。

 それを突きつけられ、シタ・チチガスキー博士はハッと息を呑む。

 顔がみるみるうちに青白くなっていく。


「さきほど何度も殺されたと、言ってた。それって何度も蘇ったのと同じ意味では」


 餓鬼道は淡々と問う。

 シタ・チチガスキー博士は言い逃れできないと踏んだのか、開き直った風な顔をして「ああ、だからどうした……指男の執拗な拷問に耐えるために仕方なく使ったんだ!」と強気に言い返した。


「ローマ条約」

「はっ! 世も知らない生娘の分際でよくもこの私に向かって口が利けたな!」

「……」

「国際法がなんだ! この『ダンジョン学界の四皇』とうたわれるグレゴリウス・シタ・チチガスキーは国際法すら超えた存在なのだ!」

「……そうかも」


 餓鬼道はあっさり認めた。

 現にこれまでシタ・チチガスキー博士は多くの悪事を金と権力のチカラでかなり強引にもみ消して来た。その陰で多くの人間が泣き寝入りし、あるいは消され、あるいは無念の内に命尽きて、研究を奪われ、名誉をはく奪されてきた。


 シタ・チチガスキー博士は、あの餓鬼道を圧倒してやったとふんぞりかえって椅子に座る。


「と、とにかく、いまは指男だ!」


 ただ、ふんぞりかえって座るわりには、指男について語る時は声が震えている。


「やつはおかしな異空間に私を連れ込み監禁し『隕鉄の指輪』で何度も私を蘇らせ、そして、何度も何度も殺したのだ……っ。悪魔のような男だ。とうてい人の心があるとは思えない。私が60レベルの探索者としてのステータスをもっていたから助かった。私じゃなければ指男から逃げることはできなかっただろう」

「あなたは指男から命からがら逃げのびた」

「あ、ああ、そうだが?(厳密にはシロッコが身代わりを引き受けてくれて助けてくれたのだが……あいつがあんなに忠誠心のあるやつだとは思わなかった……)」

「そうですか。それはすごい」


 餓鬼道は「話は以上ですか」と確認する。


「ああ。これ以上、話すことはない」


 シタ・チチガスキー博士と指男の事件の全容はこうだ。


 ダンジョン関連の学会に出席したシタ・チチガスキー博士は、会場で指男に遭遇、護衛のひとりを精神系ダメージのスキルで攻撃され、そのまま一方的に加害され、拉致監禁後、猟奇的な道楽で指男は楽しんでいたが、勇敢で聡明で優秀なシタ・チチガスキー博士は命からがら異空間から逃げ出した←イマココ


「いいか、指男を野放しにしてはいけない。それと私を無意味にこんなホテルに軟禁するのもやめろ。こんなことをしている場合ではないのだ(あの木っ端科学者を消し損ねているというのに。余計なことを喋られる前に始末しないといけないと言うのにこのエージェントどもめ、邪魔しやがって)」


 餓鬼道は淡々と調書を完成させて、ファイルを閉じて、ペンをしまい帰りの支度を済ましていく。


「お、おい、なにをしている! 私を解放しろといったのがわからないのか!」

「外は危険、どこに指男がいるかわからない」

「そんなものお前が私を守ればいいではないか、エージェントGよ」


 餓鬼道はシタ・チチガスキー博士の言葉を無視して部屋を出て行く。

 代わりに入って来たのは白い髪に褐色肌の少女だ。


 彼女の名は畜生道。下の名前はあまり有名ではない。


「餓鬼道お姉様……っ///」

「エージェントC、あとはよろ」

「……っ、はい! ──ほらいくよ、阿良々木の手先の短小包茎インポじじい君」


 畜生道は背後にイカつい大男を連れて入ってくる。

 大男たちはシタ・チチガスキー博士の両脇を固めると、片方がシタ・チチガスキー博士を羽交い絞めにして、もう片方が拳を固めて鳩尾を容赦なく突き刺した。


 刃物のようなパンチにシタ・チチガスキー博士の盛大にえづき床のうえに崩れ落ちそうになる。


「がは……っ! ま、待て、これはいったいなんのマネだ……ッ!」

「報復だよね。わからないかな。君ずいぶん財団の中をひっかきまわしたようだね。日本にもこんな深いところまで根を下ろしてさ」


 畜生道はタブレットをとりだし、シタ・チチガスキー博士に画面を突きつける。

 画面には畜生道が拷問してボコボコにしたダンジョン財団JPN本部のナンバー2の姿があった。


 それを見た瞬間、シタ・チチガスキー博士は察した。

 もうこの国での後ろ盾はなくなったのだと。

 自分が張り巡らしておいた伏兵たちは先に刈り取られてしまったのだと。


「あ、あ、ま、待てッ! 私はRUSロシアダンジョン財団の顧問委理会会長だぞッ! 私の所属はここじゃない! 身柄は速やかにロシアに引き渡されなくてはいけないはずだッ!」

「ここはロシアじゃないって話だよね」


 畜生道は視線で大男たちに合図をおくり、シタ・チチガスキー博士の首に睡眠薬を打ちこむ。


「うぐっ! くそ……私を、抹殺するつもりか……!」

「抹殺? なにバカなこと言っちゃってるの、君」

「ぇ……」

「君にはたくさん訊きたいことがあるんだよね。ああ、ほらちょうどこんなおもちゃも手に入ったし、”たくさん遊べそう”だよね」


 畜生道は机のうえにわざと残されていた『隕鉄の指輪』を手にして、シタ・チチガスキー博士の顔のまえにちらつかせる。


 シタ・チチガスキー博士は薄れゆく意識のなかで、最悪の結末がこのあとに待っているのだと理解してしまった。


「ぁ、ま、まって、まって……ぐだ、じゃい……わたしが、私が、悪かったんだ……」

「なに虫の良い事言っちゃってんの。それ笑える」

「いやだ……やめ……はな、せ……いやだ……」


 博士は拙い言葉でそんなことを繰り返しながらやがて気を失った。

 その後、彼の姿を見た者はいない。


 餓鬼道は新しく手に入れた情報で指男に関する報告書をアップデートした。


「指男……私が必ず見つける」


 エージェントGの捜査はつづく──。

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