千葉県学術大会 後編


 しんと静まりかえるホール。

 まるで演奏者の発表を待つオーディエンスのようだ。

 いつまでも静寂が続けばよかった。

 そうすれば、あるいはこれが夢で、目が覚めたら学会当日の朝で、わくわくして会場へ足を運べたかもしれない。


 ただ、すこしずつ会場が唖然としだしたことで、これが現実だと否応なしに納得させられてしまう。

 皆がスプラッシュマウンテンが落ちるのを覚悟するように、歯をくいしばり、”その時”に構える。落下した。あるいは噴火した。

 『ダンジョン学界の四皇』が激昂がマイクの音割れとともに、ホールに響き渡った。

 

「どこの馬の骨とも知らない木っ端がッ!! この私を愚弄するか!!」


 シタ・チチガスキー博士が怒鳴り散らし、市民会館が揺れる。

 言い返されたドクターは、一瞬で委縮してしまった。

 資本論のマルクスみたいな風貌の大男が、全開の敵意をぶつけてきたら、そりゃ恐ろしいものだ。


 しまいにはマイクを床に叩きつけ、地声で怒鳴りながら、壇上へ迫っていくものだから、もう会場は騒然である。


 もちろん、マルクスは退場させられた。

 ただ、ドクターも腰がぬけて崩れ落ちていた。


 そのあとはもう質疑応答どころではなくなっていた。


 

 ──しばらく後



 ドクターは控室として学会が用意した多目的室の隅っこでうなだれていた。

 ケータリングとして用意されたお弁当とお茶に手をつける気にはなれなかった。

 

「どうしてわしはあんなことを……終わった……すべてが終わった……」


 ドクターは深くため息をついた。

 彼は禁忌を犯してしまった。その自覚があった。


 なにせ”あの”シタ・チチガスキー博士を罵詈雑言と変わらぬ、汚い言葉で攻撃してしまったのだから。

 権威への叛逆は覚悟をもってするものだ。

 決して一時の感情でするべきではない。


(本当はこんなはずじゃなかったのに……)


 今回は無限収納について。

 次回は進化機能について。

 その次があれば変化機能について。


 それぞれ発表をする。

 そうすればこの人工異空間分野での第一人者になれるはずだった。

 異空間の意外すぎる有用性と、探索者たちへの活用法を提案できれば、いづれは選ばれし科学者100人に名を連ね、『ダンジョン・ハンドレッド』という名誉ある国際学会に発表者として参加できたことだろう。


 壊滅的に要領の悪いドクターではあるが、彼なりにキャリアを考えていたのだ。

 だが、重鎮を怒らせてしまえば、もうそのあとはなにをしても無意味だ。

 

(きっと、シタ・チチガスキーの一言で、わしなど簡単に財団を追い出される。塵のように吹き飛ばされる。そうでなくとも出世コースには鉄の壁がしかれたじゃろう……)


 相手はあのシタ・チチガスキー博士だ。

 彼はただの下乳好きではない。驚異的な下乳好きだ。

 凄いのは性癖だけでなく、その科学者としての功績も素晴らしく、今日のダンジョン攻略にて使われるダンジョン内補給基地へ物資を運び入れる転送装置は、このシタ・チチガスキー博士の提唱した理論がもとになっているとされている。

 

 実績の浅いドクターとは格が違いすぎる。


 意気消沈して、ドクターは多目的室をでる。

 科学者としてキャリアを失った。確定的に明らかに終わった。

 死刑宣告を自分へ向かってしてしまったも同然ゆえ、もう学会会場などにいたくなかった。


(ダンジョンキャンプに帰ろうかのう……)


 市民会館の廊下を歩けば、聴講者たちがずらずらとホールから出て来た。

 ちょうど最後の発表が終わった時間と重なってしまったらしい。


 ドクターは肩身を狭くして、鞄で顔を隠しながら帰る聴講者たちとすれ違う。


「あの発表者すごかったよな」

「今日はあの人が一番印象的だったよ」


(ああ、わしもああやってちやほやされたかったなぁ……)


 聴講者の心に残れた誰かさんに嫉妬する。

 

(わしももっと研究テーマを選ぶできだったかのう……そうすれば、こんな惨めな気持ちにならずに済んだのかのう……)


「そうそう、3番目の発表者の……名前はたしか……なんだっけ」

「ええと……あれ? なんだっけ、プログラムにも書かれてない……異空間への無限収納の発表した人だったけど……」


 ドクターはぴくッとして、通り過ぎた若者たちの背中を見つめる。

  

 廊下でたちどまるドクターの横を、聴講者たちがつぎつぎと通り過ぎていく。

 まるで彼をいないものとして扱うかのように、誰もドクターを気に留めず、スタスタと歩き去っていく。


「今日のVIPは異空間のドクターだよな!」

「あの偉そうな研究者に言い返すなんて俺じゃできないぜ」

「研究内容にも将来性あるし、なにより誰よりも新規性にあふれてたのよね」

「本当だよ。あの人には情熱を感じた。でも、敵がすこし悪かった」

「いつか、あの下乳えろじじいを見返して欲しいよな。あのマルクス、嫌なやつだし……裏じゃ他人の研究成果を横取りしてるとか、黒い噂もあるし」

「おい、やめとけよ、聞かれるぞ」


 通り過ぎていく聴講者たちの背中を、ドクターはただ黙したまま見つめていた。

 やがて皆がホールから出てしまい、すっかり静かになった。


 ドクターは胸の内側がじんわりと温かくなっていくのを感じた。

 口角が自然とあがってしまう。

 数時間前に発表をしたホールに足を踏み入れる。

 皆帰ってしまい、ここにはもう誰もいない。

 会場にはまだ、あの時の怒鳴り声が残っているような気がした。


 あの聴講者たちの漏らした言葉は、本人たちにとってがほんの話のタネにすぎなかったかもしれないが、受け取った者にとってはこの上ない褒美だった。


 こみあげてくる熱を胸いっぱいにふくらませ、ぶはーっと息を吐きだす。


「もう少し、頑張ってみようかのう……」

 

 ドクターは誰もいなくなったホールで静かにつぶやいた。


「ふん、頑張る、だと?」

「っ、お、おぬしはグレゴリウス・シタ・チチガスキー博士……っ!」

「丁寧にフルネームをどうも、ジャパンの木っ端学者め」


 ドクターのすぐ隣に、いつの間にかシタ・チチガスキー博士がいた。

 彼は厳めしい黒服のボディガードを2名連れている。

 ボディガードたちはコキコキと拳を鳴らしており、サングラスもあいまって非常に危険な香りがする。MajiでSibaki倒される5秒前だ。


「さっきはよくもコケにしてくれたねえ……私はツケはしない主義なのでな、祖国の冬のように恐ろしい目を見て、二度とデカい態度を取れないようにしてやろう」

「っ、ま、まま、待て、待て、待ってくれ、シタ・チチガスキー博士……っ、我々は学者だ、そんな野蛮な手段に訴えた交渉は──」

「馬鹿者が、これは交渉じゃない。ただ、貴様が気に食わないから殴り殺すと言っているんだ」

「ひいい!?」

 

 壁際に追い詰められるドクター。


「私がこの地位をどれほどの苦労をして手に入れたのか、わかるまい。その年までなんの成果もあげてこなかった木っ端にはな」

「わ、わ、わしは……! わしは!」

「ん、どうしたんだ、木っ端、なにか言いたいのかね。なにも成し遂げられず、無駄に歳を喰ったことへの後悔かな」

「わ、わしは、何も、してこなかったわけじゃない、違うんじゃ……!」

「はは。滑稽。凡人は皆そう言う。学生のころはデカい夢を語っていながら、大人に近づくにつれ、身の丈などと言う、賢しらぶった言葉で己を守るようになり、諦め、なにも為さずに食って糞して寝て、貴様のように老いて、人生をふりかえり、そうしてようやく気が付くのだ、自分が何も成してこなかったと。貴様も典型的にソレだ。いや、なお悪い。なぜなら諦められず、足掻いて足掻いて、なにも為せなかったのだからな。より始末に悪い。だから私のような成功者に、評価される天才に噛みついてみたくなったのだろう? 気持ちはわからないでもないが、それは実に恥ずかしい事だぞ、ドクター」


 シタ・チチガスキー博士の目が鋭く光る。

 その眼差しは獲物を狩る猛禽類のようであった。


 この男、シタ・チチガスキー博士はこれまで多くの発明家を潰し、その成果を奪ってきたという黒い噂がまことしやかにささやかれていた。

 真実は誰にもわからない。

 どれだけ捜査しようと、いっさいの手がかりは出て来ないからだ。


 ただ、この時、シタ・チチガスキー博士が異空間という未来の技術にとてつもない可能性を見出し、そしてドクターに対して冬の中にあってなお熱く感じるような途方もない劣情の炎を燃やしていたのは確かなことだった。


「ふん、そろそろ折れるな。此度もすべては私の思い通り」


 シタ・チチガスキー博士は毛深い太い手首に巻かれた腕時計のダイヤルを、ソーセージのような指でまわす。おかしな可動をするそれは、ある異常物質アノマリーの起動スイッチだ。

 異常物質アノマリーの名を『人形劇』という。

 精神攻撃力をもち、対象の心を折れれば最後、”洗脳”に陥らせることができる。


「木っ端、貴様の研究なぞ誰も期待してない。なんの価値もない。いいや、それどころか、貴様の40年には一切の意味がなかった。そのことを認めろ」


(くっ、どうせ、酷い目に遭うなら、わしは……わしの信念を守る……!)


「わしは夢を諦めなかった!」

「……なんだと?」

「諦めることがそんなに偉いか! 賢く実績を積み上げることがそんなに偉いかァ!」

「……殺せ。腹立たしい雑魚が。私を二度も愚弄するとはな」

「わしはやった! わしは諦めなかった、だから無限を──」


 拳骨が勢いよくふりぬかれ顔面を打つ。

 床に沈むドクター。


 黒服たちは顔をみあわせる。


「殺せ、お前たち。こんな不愉快な思いははじめてだ」

「よいのですか、博士」

「構わん。もう『忌避のバター』は使ってある」

「いえ、その、殺す、とのことですが」

「殺せと言っているのがわからないか! 研究データなぞ、あとで漁ればいいんだ!」


 ドクターは真っ赤になった鼻を押さえながら、ホールからでる。

 倒れ込むように扉から通路へ。

 冷やせが滝のように流れる。

 立って、走って逃げようとする。

 しかし、腰がぬけて立てない。


「だ、だれか、たすけ、てくれい!」

「無駄だよ、木っ端。だれも助けてくれないぞ。周囲の人間は精神系異常物質で追い払ってある」


(あ、まずい、本当に殺される……!)


 端的に言って、詰みであった。

 戦力差など語るまでもない。

 ドクターにできるのは、せいぜい参加記念にもらったボールペンを投げつけることくらいだ。


「あ、ドクター」


 しかし、そんな絶望的な状況でこそ、奇跡は起きるのだ。

 英雄は現れるのだ。


 ドクターは声の方を見やる。


 彼が立っていた。

 サングラスに焦げ茶色のコート、ジュラルミンケース。

 赤木英雄である。


「探しましたよ、ドクター。良い物見せてあげようと思って」

「ちーちーちー」

「ぎぃ」


「ッ、ゆ、指男……!」


 危機一髪現れた友人にドクターは瞳をうるうるさせた。

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