千葉県学術大会 前編
ダンジョン学の有識者が集う権威ある学会『ダンジョン・ワンハンドレッド』。
現代ダンジョン学研究でもっとも偉大な貢献をした研究者100名が招かれ、諸テーマを発表する名誉ある壇上は、ダンジョン研究者にとっての憧れの舞台である。
ドクターもまたその舞台を目指すひとりだ。
本日、市民会館で行われる学術大会で、ドクターは『異空間ももちいた次世代ダンジョンバッグ・ムゲンハイールの無限収納能力の実現について』の発表を行った。
意気揚々と発表をしたドクターは、るんるん気分で質疑応答へと移る。
(ふっふっふ、わしの完璧な理論をまえにこの有識者どもも粗探しなどできまい。見ていてくれ、指男、わしはおぬしと対等な男になってみせる)
「では、質疑の時間へ移らせていただきます」
司会進行の座長がそう言った瞬間、参加者らが一斉に手をあげた。
企業の研究者、大学の教授、勤勉な学生、財団関係者などなど。
あまりにも手があがりすぎた。
ここは厳格でアカデミックな世界だ。
もし研究に不備があったり、先行研究の読み込みが不十分であったりすれば、それだけで揚げ足を取られ、指摘され、公開処刑されるような恐ろしい惨状なのだ。
ドクターは急速に青ざめていく。
ふと、ひときわ大きな手が上がった。
誇張抜きに一回りも体の大きな男性が手を上げていた。
皆、その迫力に押されてしまい、座長すらもその者に最初の質問を許した。
「では、わたくしからはひとつ」
そう言って、質問者は座長からマイクを受け取る。
ざわつく聴講者たち。
皆、気づき始めていた。
質問者の正体に。
こんな辺鄙な学会を聞きに来ているわけがない弩級の大物の登場に驚愕していた。
「あ、あれは! まさか『ダンジョンもつれを応用した二点間転送』で世界的に有名になった、あのダンジョン学者じゃないか……!?」
「間違いない……『ダンジョン学界の四皇』グレゴリウス・シタ・チチガスキーだ」
大きなひげを携えた恐い顔つきの老人だった。
遠くを見つめるまなざしに
ドクターとそれほど変わらない年齢にも関わらず、その身体は数倍おおきく見えた。それほどに貫禄がある。
「発表ありがとうございました。大変に興味深いテーマでありました」
「あ、ありがとうございます……(うっわ、やっべ、とんでもない奴来たんじゃが?!)」
「素人質問で恐縮なのですが」
「(いや、あんたが素人だったら誰も専門家名乗れないんじゃが?)」
そう枕詞をおいてシタ・チチガスキー博士は、声のトーンをひとつ下げて質問をする。
「発表者殿はこのムゲンハイールをもちいて、荷物を異空間に収納することにこだわっておられるようですが、発表でも述べておられた通り、A地点からB地点への荷物収納技術はすでに確立され、運用されています。それを踏まえたうえで、より技術的に難易度の高い異空間をもちいて荷物を収納する意味はあるのでしょうか」
会場にいたものたちは、その威圧的な声音に発表者であるドクターに同情する。
「シタ・チチガスキー博士って質疑の時間で必ず発表者を貶めることで有名だけど……今確信したよ、あの噂は本当だったんだな」
「みんな片っ端からボコボコにされてるって話な……」
「権威ある研究者ってこえ~」
「誰も逆らえないからって言いたい放題だ……あの発表者も可哀想に……国際学会でもない落花生の国のちいさな学会に重鎮が来てるなんて思わないよな……」
もはや会場はお通夜モードであった。
皆、同情しながら、処刑ショーが終わるのを待つだけの質疑応答タイムだ。
国際的に権威ある重鎮からの質疑に、ドクターはぶるぶる震えながら答える。
「い、異空間への収納は、その利便性において、そ、その二点間転送を利用した収納を上回っていると、思います。あ、いや、やっぱりなんでもないです(しまった、つい口が! 挑発みたいな返しになっちゃったんじゃが?!)」
ドクターは素直すぎた。
「ほう。であるならば、発表のなかで具体的なアドバンテージについての言及と、研究意義、エビデンスを示すべきだと思いますが」
「は、はぁ、たしかに」
ドクターのしどろもどろな解答に、会場に呆れた空気が流れはじめる。
権威を振りかざす威圧的で、気に食わない巨星にこれ以上、舐められないよう、まともに受け答えしてくれ、とドクターに期待しているのだ。
「それで、アドバンテージの話に戻りましょう。どうして現在主流の二点間転送ではなく特定空間をもちいた収納をムゲンハイールに?」
「そ、それは、このダンジョン装備の名の通り、コンセプトが”無限”なわけでして……。二点間転送ではどうしたって物理空間にスペースを確保する必要がありますでしょう? そう、例えば、ムゲンハイールの中身と埠頭の倉庫を繫げた場合、確かにたくさん収納できますが、その収納能力は決して無限ではないのです……」
「なぜ無限な必用があるのですか?」
「……え?(必要? んなこと考えたことなかったんじゃが?)」
「探索者の平均探索時間は約6時間と言われていますね。この数字はBランクとAランクの探索者たちの特別に長い稼働時間を込みでの探索時間ですから、多くの探索者はせいぜい1時間から2時間しかダンジョンにとどまれません。ええ、この程度はもちろんご存じですね」
「も、もちろんじゃ(※知らなかった)」
「本年度のダンジョン財団ダンジョン対策部ダンジョン調査課の報告では探索時間の中央値は3時間45分となっています。日本ダンジョンの軟弱な探索者ではより短いことでしょう」
マシンガンのように喋られ、ドクターは口をパクパクさせることしかできない。
(学会……恐い……!)
「そのうえで再三の質問をお許しいただきたい。なぜ、無限なのです?」
たかだか数時間の探索での発掘作業では、無限の収納空間などだれも必要としていない。シタ・チチガスキー博士の滑らかな論述のあとでは、そのことは自明であった。
ドクターは頭が真っ白になってしまった。
え? え? え? え?
なに、なんじゃよ、必要って。
いや、知らんし……。
考えてこなかったし……。
ドクターはこれまで何も期待されていない科学者だった。
だから、なんでも自由に研究・発明できた。
それは幸せだったのかもしれない。
学者とは真実の追及者だ。
しかし、彼らは時に真実を選ぶことがある。
なぜ世界には数百年解かれないアカデミックな問題があるのか。
なぜその問題は放置されるのか。
そこには誰も挑まない理由がある。
──難問に挑むと時間を浪費する
誰かがそう言った。
ある時代を代表する天才がいた。
彼は学生時代から頭角を表し、そして、世紀の難問に挑んだ。
異空間。それが彼の選んだ問題だった。
この難問に挑みつづけ、粘り続け、とてつもない忍耐力で食らいついた。常人なら発狂してしまうような戦いを孤独に続けた。
異空間のまえでは天才をして、大いなる困難に直面することになった。
40年後、彼のキャリアを振り返って誰かが言った。難問に挑み続けるあまり、固執するあまり、何も成し遂げられなかった天才を指差して言った。
「君は何をしていたんだい?」
「わしは……」
「君は何か成し遂げたのかい?」
その時、老いた彼は何も答えることができなかった──
「ダンジョンは別次元から地球へ向けての侵略攻撃というのは現代においてもっとも支持される仮説ですが、発表者はこのことをご存じでしょうか」
「は、はい、もちろん……その説を唱えたのはわしですので……」
ぼそぼそ言うドクター。小さすぎてマイクが音を拾えていない。
「わかりませんか。実利を加味した役に立つ開発と研究こそが急務であるのは自明だと。ダンジョン財団でずいぶん自由に生活させてもらえたようですが、であるならばフィーリアのところで飲んでフィーリアを殴るような行為は慎むべきでは。あなたの研究は不毛です。国際社会はですね、否、あえてこう言いましょう──地球の人類に遊んでいる時間はない、と。そのうえで再び問いましょう。”無限”になんの意味があるんですか?」
ドクターはわなわなと震え、マイクを握りしめる。
許せなかった。自分の研究を否定されたことが。
というより、気に食わなかった。
お節介な正道を説くシタ・チチガスキーが。
だから、大声でこうかえした。
「ロマンのわからない素人が口を出すんじゃあないッ! このタコがッ! 無限のほうがカッコいいからに決まっているだろうッ!」
咆哮だった。
論理的ではない解答。
音割れし耳をつんざくような高音が市民会館のホールに響いた。
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