ぶっ飛ばしても心が痛まない


 ホールから転がり出て来たドクターに、指男は目を丸くした。

 顔には痣があり、鼻からは血が垂れている。

 指男は視線をすーっと移動させ、ホールから出て来る恰幅の良いマルクスことシタ・チチガスキー博士とボディガードの黒服たちを見やる。


 黒服の片方は細身のロン毛男だ。

 くわえ煙草をしており、黒いネクタイはやや緩められている。

 やさぐれたような印象を受ける。


 もう一人は肩幅の広い巨漢だ。

 筋骨隆々でシャツもジャケットもはちきれそうになっている。

 ただ、シャツのボタンもネクタイもビシッと締められていることを見れば、こちらはしっかりとした印象を受ける。


 この二人の黒服たちはサングラスの奥でどんな目つきをしているのか。

 外目には判断できないが、彼らが指男に注目の視線をそそぎ、そして油断ない足取りで間合いを測っているのは確かだ。


「ほうほう、まさか、こんな目撃者をつくってしまうなんてね。はじめてのことだよ」

「……目撃者、か」


 指男はそうつぶやき、サングラスの位置を指の腹で直す。

 首をコキコキ鳴らし、ぐわんっとまわし、黒レンズに隠された眼差しをシタ・チチガスキー博士へそそいだ。


 それだけでシタ・チチガスキー博士は言い知れぬ圧を感じた。

 気が付けば一歩後退していた。

 ムッとして指男を睨みつける。


「どうやってここに来たのかね。偶然通りかかれるはずがないんだが」

 

 シタ・チチガスキー博士はたずねる。

 両脇に精強な気配をまとった黒服を従えているからか、腰の裏で手を組んで余裕の表情でいる。


 指男はドクターを立たせてあげながら答える。


「ここ市民会館ですよ。普通にエントランスから入ってきましたけど」

「普通に、ね。おかしな話だよ、私の異常物質アノマリー『忌避のバター』で半径120mの人間は本能的に退去し、また近づきたくないと思うはずなのに」

「そんな異常バターがあるなんて、知りもしなかったですよ」

「ちーちーちー」

「ぎぃ」

「ねえ、知りませんでしたよね、シマエナガさん、ぎぃさん」


 指男は胸ポケットの小鳥と袖からにょきっと出て来たナメクジと会話している。

 黒服たちは怪訝に眉根をひそめた。


「あいつ鳥と喋ってるぞ……」

「それよりナメクジのほうが驚きだろ。イカれてんのか、あのガキ」


 ロン毛の男は煙を吐きながら、不気味な指男の所業に引き気味だ。


 ふと、指男の胸のルビーブローチがシタ・チチガスキー博士の目にとまった。


「なるほど、君はAランク探索者か。精神耐性をしっかりとそろえているあたり、なるほど優秀な探索者のようだな。『忌避のバター』の影響から逃れられたのもうなづけるというものだよ」

「指男、助けてくれ、こいつ、この男、シタ・チチガスキー博士はわしを殺そうと……!」

「ドクター」


 指男はドクターの震える肩に手をそっと手を置く。


「もう大丈夫です」

「っ、ゆ、ゆび、おとこ、ぉ……っ」


 サングラスをかけていて厳めしい印象を与える指男だが、ニコリと口元をほころばせれば、彼がごく普通の好青年であることはわかる。


 一方のシタ・チチガスキー博士は、ドクターの発言を聞き逃してはいなかった。


「指男……? 無名の木っ端、貴様、いまこの男を『指男ゆびおとこ』と呼んだな? ははは、はははっ、これは運がいい、まさか探し人が向こうから現れてくれるなんて」


 シタ・チチガスキー博士は太い指で指男を指し示す。

 

「指男、お前を探していた」

「俺を?」

「ああ、そうだとも。お前をだよ。まさかまさか、かの有名な都市伝説の怪人にこんなところで会えるとはな。思ってもいなかったよ」


 シタ・チチガスキー博士は肩を震わせている。

 指男を見つめる眼差しには、狂熱すら宿っていた。


「お前は闇を抱えている。知っているぞ、お前はAランク探索者でありながら、その裏の顔は巨悪なシリアルキラーであるとな」

「へえ、シリアルキラー、ねぇ……(え、シリアルキラーってなに?)」

「数々の残酷な犯罪に関与しながら、まるで警察に足取りをつかませない。それどころか、本当は世界各国で起こっている犯罪の実に50%では裏で糸を引いているそうじゃないか。エージェント室のSクラス機密情報にクラッキングをかけ、エージェントGの報告書を盗み見たから間違いない」


 シタ・チチガスキー博士はくっくっくと含み笑いをする。


「ああ、本当に最高の悪のカリスマだよ。現役で探索者をつづける豪胆っぷりもたまらない。本当に気に入ったんだ。お前のような天才的なサイコ野郎は私のチームにふさわしい。私のチームでこそ輝く」

「ほう、サイコ野郎、ですか……(最高野郎なんてはじめて言われたな)」

「いや、しかし、驚いたよ、まさかこんな若造が指男の正体だったとは」

「ちーちーちー!」

「ぎぃ!」

「それに従えている眷属も実にユニークだ……見たことがないタイプだ。あまり強そうには見えないが……」


 シタ・チチガスキー博士は指男の頭の先から、足の先まで舐めるように見て、ふんっと鼻を鳴らした。


「この子たちを甘く見ない方がいいですよ」


 指男は一歩まえへ出て、背後にドクターをかばうようにする。

 シタ・チチガスキー博士は「ほう」と嗜虐的な笑みを浮かべる。


「指男、愚かなマネはよせ。この戦局がわからない貴様ではないはずだ」

「すべてを理解したうえでの判断ですよ」

「私はダンジョン財団でもとりわけて力のある人間だぞ。反骨精神旺盛なやつなど、これまで20人以上消して来たがある。私はやるといったらやる。どんな理由があってそのじじいをかばうのかは知らないが、邪魔をしないほうが君自身のためだ」

「実績……? 自分の罪事を誇らしげに語るんですね。まるで八王子市に群れて湧くヤンキーの武勇伝を聞いているみたいですね」

「っ、おい、指男、舐めた口をきくなよ。お前はたしかに特別かもしれない。だが、私ほどではない。貴様では計り知れないほどの力が私にはあると言っているのだ。例えば、この場にいる戦力ひとつとっても、途方もない距離がお前と私の間にはあるのだよ」


 シタ・チチガスキー博士は黒服たちを一瞥する。

 彼らは一歩前へ出て、肩を鳴らしたり、拳を鳴らしたり、威圧をしはじめた。


 屈強な黒服が懐に手を突っ込み、勢いよくひきぬくと、その手には両刃のブロードソードの柄が握られていた。

 分厚い刃は紅く発光している。とてつもないエネルギーを纏っている証拠だ。


 ロン毛の黒服はトンプソン短機関銃をめんどうくさそうに懐から取りだした。

 重たそうに──実際そんなことないのだろうが──ぶらんっと腕をさげている。


 両者の得物はとてもジャケットにおさまるようなサイズではない。

 どこにしまっていたのか、指男たちは疑問を抱いた。


「はは、驚いたかね。彼らのジャケットは、この私が試作したダンジョン装備『シタ・チチ収納 ver2.1』だよ。25年の歳月をかけて試作と失敗をくりかえし、ようやく形になった。根本原理は二点間転送さ。ジャケットの内ポケットと、アジトの武器庫が繋がっている。いくらでも装備を調達できる。はは、これが本当に利用価値のある科学と、その成果物の威力だ。ちなみに今年の冬には全世界同時に発売の予定だ」

「っ、もしかして、おぬしわしの『ムゲンハイール』と需要が被っているからわしのことを……」

「思いあがるなよ、木っ端。実践仕様の私のダンジョン装備と、貴様のおもちゃをいっしょにするな。ダンジョン財団は私の発明を選ぶ。間違いなく選ぶ。……そうでなくてはならない。私には立場があるのだからな」


 ギリっと鋭い眼差しがドクターを睨みつける。


「貴様とは背負っている物が違うのだ、木っ端。私は選ばれし人間だ」

「そんな……」


 ドクターはしゅんッと肩を落とす。

 

 指男は二人の発明家の話をジーっと聞いていた。

 サングラスのせいで表情はわかりづらい。


 シタ・チチガスキー博士はあごひげをしごきながら「ふむ」と笑みを深める。


(指男、迷っているな。わかるぞ。私には手に取るようにわかる。君はバカな人間じゃないはずだ。IQ400、15ヵ国語を操り、世界中に犯罪シンジケートを持ち、麻薬に武器、はてはミサイルや核兵器も闇取引しているそうじゃないか(※情報源:エージェントG)


「だがな、言っておくが指男、私の築き上げた犯罪帝国圏が総力をあげれば、貴様ごときを消すのなんてたやすいぞ。もちろん、私も相当な勢力を削られるだろうが、それでも全霊をもって貴様を叩き潰せば、生き残るのは確実に私のほうだ!」

「へえ……(この人のなんの話してんだろ……)」


 シタ・チチガスキー博士は最後の一押しに、魅惑の誘いをする。


「指男よ、決断するには十分な時間をあたえたぞ。今なら君の無礼な発言もなかったことにしよう。若者は間違いを犯すものだからね。大人に逆らいたくなる気持ちもわからないでもない。私は物わかりがいいからね」

「なるほど。シタ・チチガスキー博士、あんたは物わかりが良い」

「そうだとも。さあ、指男、こちらへ来るんだ。君のような若い者は、権威に反発したがるが、跳ねかえったところで何か良い事があるわけじゃない。それよりも私と手を組むことによる利益を考えろ。君の明晰な頭脳ならわかるだろう。──さあ、賢い選択をしたまえ」


 ドクターは心配そうな眼差しを指男へむける。

 指男はその視線をいちべつして、わずかに口角をあげた。


「よかったです、俺、難しく考えるのが苦手ですから、わかりやすくて」

「はは、嫌味な謙遜だな。だが、この状況は判断に困るものではないだろう。誰がどうみてもこのグレゴリウス・シタ・チチガスキーを敵にするべきではない」


 シタ・チチガスキー博士は両手を開き、指男を迎え入れる姿勢をとった。

 指男はじーっと巨星を見つめ、一歩踏み出す。

 同時にスッと腕をあげた。

 

「ん?」


 シタ・チチガスキー博士も黒服たちも、その意味がわからず首をかしげる。


 直後、軽やかな音が響いた。


 ──パチン


 光と熱が虚空の底から湧いてでた。

 爆炎にシタ・チチガスキー博士の顔面が巻き込まれた。

 大した威力ではない。ただ、髭がチリチリに燃えてしまっている程度だ。


 しかし、そこに込められた意味は、”ご挨拶”以上に明確かつ決定的だ。


「よかったよ、あんたみたいなクズならぶっ飛ばしても心が痛まない」

「ちーちーちー」

「ぎぃ」


「……こ、このォ……ッ、本当に不愉快な奴らばかりだッ! 貴様らのような立場をわきまえないゴミカスどもに、こんなクソったれな気分にさせられるとはなッッ!」

「ゆ、指男……まずいぞ……!!」


「お前たち、愚か者どもに現実を教えてやれ!」

 

 黒服たちがニヒルに笑みを深める。


 最初に動いたのはロン毛の黒服だった。

 煙草を指ではさんで口から離すと、肺一杯に空気を吸い込んだ。


「スキル発動──『集団火葬 Lv5』」


 吹き吐かれるのは爆発的に膨張する火炎。

 ホール前の廊下は一瞬にして超高温の灼熱に包まれてしまった。



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