強靭なメタル


 音もなく、そいつはスタスタと歩いて曲がり角の向こうから、なんの前触れもなく現れた。

 でかい。身長3mの人型モンスターだった。


 艶々とした光沢のある金属質は、まるで中世の騎士がまとった鎧のような形状でありながら、甲殻類のソレを思わせるフォルムをしていた。

 ソレはカチカチと顎を鳴らし、黒煉瓦の通路のまんなかで、明暗のコントラストをつけ一層存在感を放ちながら、探索者たちのまえにたちふさがった。

 

「なんだこいつは……?」

「この階層にはダンジョンダックスフンドしかいないはずでは」

「ダックスフンドには見えねえけどな」


 Bランク探索者たちは緊張感に息を呑んだ。

 Aランク第45位『絶望のパン屋』は、目つき鋭く、モンスターをにらむ。


 一部の探索者にはジャムおじさんの名前で親しまれるよわい六十にもなる彼だが、纏う威風と貫禄は最高位探索者にふさわしいものだ。


「おそらくは徘徊ボスじゃろうて」


 パン屋のつぶやきに、チーム全体がざわついた。


「徘徊ボス……? まさか、本当にいるなんて……」

「こんな貴重な存在に会えるなんて、感激だ。俺たちはダンジョンに愛されてる」


 返すリアクションはそれぞれだ。


「どうするんじゃ、長谷川」

「倒すほかないだろう。幸い、ここには十分な戦力がある。徘徊ボス……キャリア13年の私でも初めて見るレアモンスターだが、18階層の資源ボスと同等と考えれば倒せない敵ではない」


 ベテランたる長谷川鶴雄の推論は、この場にいるすべての探索者の共通認識だった。


 Aランク第9位に、Aランク第45位。

 ここだけでも十分な戦力だと言うのに、Bランク探索者も複数名いるのだ。このメンバーなら10階層程度のダンジョンボスでも問題なく倒すことができる。


 もちろん、徘徊ボスという存在は、謎に満ち満ちている。あまりにも報告例が少なく、珍しい存在であり、討伐報告に関してはまったくの無に等しい。そのため生態・脅威レベルがほとんどわかっていない。


 だからといって、ダンジョンの揺るぎないルール”深い階層ほど強いモンスターが出現する”にのっとれば、目の前の徘徊ボスが、Aランク2名、Bランク8名のチームにとって深刻な問題になるはずがなかった。

 

 そう、なるはずがなかったのだ。


 探索者たちは意気揚々とスキルやらダンジョン装備やらを起動していく。

 こっちは疲れてるんだ。ちゃちゃっと片付けて臨時収入になれや──それくらいの楽観的なノリだった。


 事態の深刻化は一瞬であった。

 Bランク探索者のひとりが、踏み込もうとわずかに腰を落とした時だった。

 

 疾風が駆け抜けた。

 またたき一回のあいだに、Bランク探索者2名が吹っ飛んだ。

 体がぐにゃんとまがり、ふわりと宙を舞い、天井に思い切り叩きつけられる。

 天井に赤いシミがついた。意識を刈り取られた探索者たちが地面にベチャッと落ちる。


 ソイツがだった。

 もしくはでBランクが2名も無力化させられたと言及するべきだろうか。


 場に戦慄が走る。

 皆の鼓動が速くなる。

 急速に喉が渇いていく。


 トップ探索者の長谷川鶴雄をして、久しぶりに悪寒というものを経験することになった。

 なぜなら、彼でさえ、眼前で超高速移動をしたモンスターの、その影を眼で追うのが精いっぱいだったからだ。

 吹き出す冷汗。見開かれる瞳。


 皆が想像してしまう。


 たまたま、あのBランク2名が前方を歩いていた。では、もし自分が前方を歩いていたなら、あの速さを初見で見切って避けることができただろうか──と。

 

「散れ!」


 長谷川鶴雄は叫んだ。

 

 ”怖気状態”に陥っていた探索者たちは、長谷川鶴雄の声で正気に戻った。

 探索者たちは、疲労を感じさせない動きで機敏に通路一杯に広がる。

 それまでの弛緩した空気は消え失せ、殺伐とした本気の眼差しが敵をとらえる。

 武器を構え、スキルを発動し、異常物質アノマリーによる攻撃を用意した。


 すぐさま反撃に出たのはBランク探索者の1人だった。


「スキル発動──『加速剣 Lv2』『切れ味 Lv3』」


 そのBランク探索者は、自分の速さに自信があった。

 ゆえに斬り込み隊長を買って出て、魔法剣の一撃をお見舞いせんとした。


 青白く発光する魔法剣の刃は、人類の叡智が詰まった高周波ブレードである。刃に高周波を流すことで、切断力を大幅に向上させることに成功した科学兵器だ。スキルのチカラでさらに威力を増している。厚さ100.0mmの装甲でも容易く斬れる。


 一閃。

 青い白い斬撃跡が宙に残る。

 ガァン。パラパラパラ──

 光を反射する破片が舞った。


 魔法剣は半ばで折れ、砕け散っていた。

 ボスの甲殻には傷ひとつついてない。


「なッ!?」


 ソイツは腕を振って、かるくいだ。

 無防備なBランク探索者は、攻撃をマトモに喰らい、10m以上ふっとばされ、向こうの通路にぼろ雑巾のように転がった。

 ピクリとも動かない。


 探索者のうち上位2%だけがたどり着いた、果てしない才能と、研鑽が、こうも雑に、こうも暴力的に無力化される。

 

 その事実が探索者たちの肝を冷やす。

 目の前のメタリックなモンスターは、自分達の想像を絶する敵だと誰もが認識した。


「そいつは高い防御力を持っているメタルモンスターじゃて!」


「伝説のメタルモンスター……っ」

「存在していたのか……」


 恐怖にすくみ動けないBランク探索者たち。

 動くのはやはりこの老人だ。


「絶望麺棒術!」


 Bランク探索者たちがふたたび怖気付き動けなくなる一方、闘志をみなぎらせて果敢に立ち向かっていく『絶望のパン屋』。

 パン屋は麺棒を持っている。

 「そんな物が武器?」とあなどることなかれ。

 絶望のパン屋の麺棒は、30年のキャリアのなかで、ひたすらにパン生地を伸ばし続けた結果、異常物質アノマリー化したのである。愛用麺棒『カオス・ローリン』とは、日本パン屋界隈では有名な聖遺物である。


 そんな物を武器として使ったとしたなら、その威力は計り知れない。

 

「この『カオス・ローリン』は”すべて”を伸ばす事ができるのじゃ。ダイヤモンドだろうと厚さ0.01mmまで伸ばしたこともある。伸ばせない物は存在しない」


 力一杯に麺棒でぶん殴る。

 お客様には絶対見せられない。


 ガンッ


 麺棒が命中。


「なっ?!」


 しかし、届かなかった。

 ソイツは麺棒を受け止めてしまったのだ、素手で。


「ぐっ、なんてパワーじゃ……、わしの筋力5,000でもビクともしないわい!」

「カチカチ」


 ソイツは顎を鳴らして嘲笑う。

 パン屋は麺棒の能力を発動する。引き伸ばし、メタルモンスターの腕の形状をへにゃへにゃにしてやろうと。

 しかし、能力発動後もモンスターの鋼腕には何の変化もおこらない。


「『カオス・ローリン』の引き伸ばし力を、防御力が上回っている、じゃと……なんということじゃ」

「下がれパン屋、打たれるぞ」

「いいや、下がらんよ、長谷川」


 パン屋は大きく息を吸いこむ。胸いっぱいに空気を溜めこみ──そして


「喰らえ化け物──『殺人イースト菌』」


 パン屋は口をガバッと開き、死の細菌を放射した。あんたの方が化け物だ。

 スキル『殺人イースト菌』は即効性の劇毒を浴びせる。喰らえば最後、モンスターは10分にわたり0.1秒毎200DMGの毒に侵され、ぐつぐつに溶けて跡形もなくなることになる。こう言った毒系スキルは防御力の高い相手には有効な手段の一つだ。


 ──死の煙を突き破って、メタルの拳が突っ込んできた。

 拳がパン屋の顔面を打ち抜く。


 鮮血と砕けた入れ歯が宙を舞う。


「がはっ……薬、効……耐性……だ、と……ッ」

「カチカチ」


 メタルモンスターは左手にパン屋の麺棒をガッシリと掴んだまま、右拳を固めて、パン屋の顔面に執拗に拳を叩きこむ。何度も何度も何度も。


 パン屋は朦朧もうろうとしながらも、防御スキルでなんとか持ちこたえようとする。


 金属の拳が合計13回、パン屋の顔面に深くめりこむと、ついにパン屋は麺棒を手放した。

 お前の顔がパン生地だ──そんな屈辱的なメッセージとともに、パン屋は壁に叩きつけられ、血反吐を吐かせられ、白目を剥いて、意識を刈り取られた。60歳の老人にとってはいささかハードなノックダウンである。


 メタルモンスターはつまらなそうに『カオス・ローリン』を放り捨てる。

 カランコロンっと空虚な音が響く。パン屋の無念を表しているようだ。


 パン屋がやられた6秒後には、さらに4人のBランク探索者が倒された。皆、一撃だ。防御スキルがなければワンパンされる。それほどの攻撃力だ。


 秒刻みでチーム壊滅が濃厚になっていく。

 リーダーである長谷川鶴雄は、決断を迫られていた。

  

「私が時間を稼ぐ、お前たちは応援を呼びにいけ」

「でも、流石にあんたひとりじゃ……!」

「私を誰だと思ってる。Aランク9位、『正義の議員』だ」

「わかりました、それでは時間稼ぎよろしくお願いします……!」

「時間稼ぎもいいのだが……なぁに、アレを倒してしまっても構わんのだろう?」


 Bランク探索者たちは議員の分厚い背中を信じ、すぐさま階段を引きかえした。19階層にいる前線の探索者たちを呼びに行ったのだ。


「さあ来い化け物。国会議員の力、思い知らせてやる」


 長谷川鶴雄はネクタイを緩め、強大な怪物を鋭く睨みつけた。

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