私のマニフェスト
長谷川鶴雄は拳を握りしめる。
倒れた探索者たちのためにも一矢報いてやろうという思いがその分厚い拳骨に積み重なっていく。
(伝説に聞くメタルモンスター。報告事例はごく少ない。スピード、パワーも並はずれている。なによりあの防御力。スキル強化された魔法剣も、パン屋の麺棒も無効化していた。生半可な攻撃では意味がないということか)
腹をくくり、長谷川鶴雄は自分の持ち得る10の攻撃スキルのうち最も攻撃力に優れた必殺技を選択する。
メタルモンスターは完全静止した状態からの急発進で、一気に長谷川鶴雄に迫った。ゴキブリのごとき動きだ。
速度に乗って、そのまま鋭い爪を振りぬく。
(速いッ!)
「ぐ!!」
長谷川鶴雄はなんとか上体をそらし、前髪をかすめ裂かれながらも、攻撃をかわした。
相手は深く切りつけようとしたせいで、かなり踏み込んできており、脇ががら空きだ。
ここだ。長谷川鶴雄は腹筋を固めて、強烈なエビ反り姿勢にもかかわらず、腰を入れ拳撃を放つ。
使うスキルは『黒化威義因Lv5』──長谷川鶴雄の代名詞とも言えるスキルだ。
本来防御力を強化するためにあるスキルと考えられているが、この国会議員はもっぱら攻撃時の火力アップのために使うことのほうが多い。
これにより腕が黒く硬化し、漲るパワーと赤いオーラを腕に纏う。
常時では力を込めることすらできない姿勢から、さらにもうひとつスキルを重ねて剛腕の一撃をくりだした。
「──『暴力マニフェスト Lv5』」
長谷川鶴雄の二つ目の代名詞。
これぞ必殺拳。
消費MPは甚大だが、どんな無理な姿勢だろうと期待できるATKは20万は下らない。
『黒化威義因Lv5』で硬化した腕ならば、さらにスケールは増しATK50万は確約される。
轟音を響く。黒拳がメタルに突き刺さった。
衝撃波が通路を駆け抜ける。
押し出された空気の波動で、通路全体に亀裂が広がり、ダンジョンが悲鳴をあげた。
拳圧だけで家屋を吹っ飛ばし、地面をえぐる威力すべてを叩きこんだ。
しかし──
メタルモンスターはびくともしなかった。
下方からの拳撃で体が浮くわけでも、甲殻にヒビが入る訳でもない。まるでリアクションを示していない。
蟲のごときメタルモンスターは、顎をカチカチ鳴らす。嘲笑っているかのようだ。
「バケモノか」
メタルモンスターは腕を振るう。
これは避けれない。
胸の前で、腕を十字に固めて攻撃を受ける。
『黒化威義因Lv5』は身体を硬化させる能力なため、ガードにも転用可能なスキルだ。
黒く固めた十字ガードを鋼爪が切る。
ガヂンッ! 音をたてて、メタルと黒腕が火花を散らす。
結果、長谷川鶴雄の前腕は裂けて、血がシャッと噴きでた。
(っ、私の『黒化威義因Lv5』を上回る硬度とパワー……!)
「カチカチ」
顎を鳴らすメタルモンスター。
「澄ましていやがるな。だがATK50万すべてを防いだわけがない。必ずダメージは通っているはずだ」
そう信じるしかなかった。
長谷川鶴雄は両の腕を再び『黒化威義因Lv5』で固めて、ガードを高くあげて待ちの体勢に入る。
速さでついていけない事は自明だったからだ。
メタルモンスターは急発進で迫り、鋼の爪を水平にふりぬく。
真正面からの爪を、ATK10万に調整した重めのジャブで打ち落とす。
さらに弱い左ジャブを(それでもATK2万は維持する)を一呼吸のあいだに4発撃ちこんでけん制、腰を入れての右フックに繫げる。
格闘術という概念のないメタルモンスター相手に、長谷川鶴雄のアマチュアボクシングで鍛えた拳闘術はアドバンテージを持っていた。
コンビネーションで打ち分け、メタルモンスターにやりたいことをさせず、好機へと繋げる。
「ボディががら空きだ」
メタルモンスターの脇腹に深々と突き刺さる黒撃。
今度はより安定した体勢とフォームで打ち込んだ。
スキルであろうと拳を打つ以上は、体勢、角度、パワー、タイミング、こめたMPすべてが複雑に絡み合うことで攻撃を織りなす。
カウンター気味かつ、良フォームから打たれた『暴力マニフェスト Lv5』はATK100万に到達する至高の右フックとなる。
大型輸送船が港に衝突したかのような激しい炸裂音が18階層に響き渡った。
しかし、それだけの一撃を放とうとも、メタルモンスターが倒れることはなかった。
それどころか甲殻に傷すらついていないようだった。
長谷川鶴雄をして、信じられないことだった。これまで出会ったどんなダンジョンボスをも上回る絶望に、目を見開き、身体が固まってしまった。
メタルモンスターは三度鋼爪を振りぬく。
今度の一撃はなにやら毛色が違う。
(まさか、こいつもスキルを──)
銀色の乱反射をまとう爪が不可避の速さでシャッと振られた。
長谷川鶴雄の胸が切り裂かれ、鮮血があふれ、べちゃっと天井に飛び散った。
ステータスを見やる。
長谷川鶴雄のHPは200を下回っていた。
「そんな馬鹿な…… 『黒化威義因Lv5』でガードしてるのにDMG10,000越えだと……?」
長谷川鶴雄は焦燥感に駆られる。
メタルモンスターが強いことはわかっていた。
それを見込んで、全力で挑んだ。
それでもなお見込みが甘かったと知った。
否、思い知らされた。
(こいつは……私が到達した最高深度30階層よりさらに深くからやってきた″深き怪物″ということか……今更になって気がつくとは……)
「しかし、なんで18階層にこんなバケモノが……いいや、今はそんなことどうでもいい」
長谷川鶴雄はスーツの内ポケットから注射器をとりだした。回復薬である。
回復薬は魔法剣と並んで探索者たちに人気のダンジョン装備だ。
注射器のカタチをした物は一般的ではない。
このタイプは麻薬型と呼ばれ、即効性を獲得するために劇物をふくんでいる。
悠長に回復している隙がない、背に腹は代えられない──そんな危機的な状況に対応するために開発されたのが麻薬型の回復薬だ。
注射を打ち、再び立ち上がる。
長谷川鶴雄はわかっていた。
目のまえの遥かな怪物が、自分の手に負える敵ではないと。
だとしても、彼はここで折れる訳にはいかなかったのだ。
────
───
──
─
メタルモンスターと『正義の議員』の戦いは18階層を縦横無尽に駆け巡り、通路をいくつも崩落させるほど激しいものだった。
全身全霊の拳撃は、メタルの装甲を前に、ことごとくが弾かれ無効化された。
身に着けたスキル、練り上げた肉体、積みあげたステータスの補正値と高品質の
だが、届かなかった。
メタルモンスターはあまりにも強かった。
Aランク第9位をしてまるで歯が立たない。
ふらふらになりながら、長谷川鶴雄は9度目の回復注射を使う。
体はとっくに限界を迎えていた。
ダメージと薬物の副作用で皮膚の一部は灰色に変色しはじめている。
それでも心は折れなかった。
腕を上げ続け、血塗れになり、崩落がつづく18階層の奥地に、その両足でたちつづける。
だが、もう限界が来てしまった。
膝に力が入らない。視界が暗くなっていく。
(付近に探索者の気配はない……救出は、こない……)
絶望のなかで長谷川鶴雄は自分が立ち続ける意味を悟った。
だれも助けに来ないこの状況で、なぜまだ頑張るのか。
Bランク探索者たちを逃がすため?
先に倒された探索者たちの仇を討つため?
違う。そうではなかったのだ。
(私は……かつて大志をいだき、道半ばで折れた……)
血を吐き、砕けた歯がじゃりじゃりと崩れてこぼれる。
死と孤独の恐怖に涙さえあふれて来た。
(私は……英雄になりたかったのだ……彼女の英雄に……夢を見せたかった、決して折れない公正明大な正義を通す姿を……だが、それは叶わなかった……君の英雄はよわかったから……強くなれなかった)
「だからせめて、強くあろう……この膝だけは折るまい、必死にしがみつく……これは私のマニフェスト──不屈の正義だ」
メタルモンスターは血にまみれた爪をおおきく持ちあげた。
(ここが最後。私は屈しなかった。それでいい……ただ、ひとつわがままを言えるなら──最後に妻の顔が見たかったな)
鋼爪がザッと降ろされる。
まぶたをぎゅっと閉じた。
死までの一瞬がいやに長く感じられた。
1秒、2秒、3秒と待ってみる。
しかし、一向に意識は途切れない。終わりはこない。
流石に長すぎると、違和感を感じた。
目をうすく開いてみる。
不思議なことが起こっていた。
メタルモンスターが直前になって腕をピタリと止めていたのだ。
死までの時間は錯覚で長くなっていたのではない。
実際にメタルモンスターが処刑を見送っていたのである。
鋭利な爪先は、鼻先三寸で止まっている。
長谷川鶴雄は荒く息をくりかえす。
(なんだ……? なぜ、止まった……?)
「うわ、めっちゃ血塗れの人倒れてる」
「ちーちーちー」
「ぎぃ」
声が聞こえた。
メタルモンスターの注意は声の主に引きつけられていた。
長谷川鶴雄は目を見開く。
その声に聞き覚えがあった。
その容姿に見覚えがあった。
黒いサングラス、焦げ茶色のコート。
片手にはジュラルミンケース。
「青年……っ」
「あ。(暴力の人だ……)」
どうしてここにるのかわからなかった。
さっきまで周囲に人の気配はなかったのに、突然こんな場所に都合よく現れるなど思ってもみなかった。
長谷川鶴雄はすこし嬉しかった。
どうしようもない暗闇の底で、天から垂れる蜘蛛の糸を見つけたような気分になった。
しかし、その糸をつかんではいけない。
いけないのだ。
(未来ある若者を道連れにするわけにはいかない)
長谷川鶴雄は最後の力を振りしぼる。
「逃げなさい……これは徘徊ボス……伝説のメタルモンスターだ、Aランクにあがり立ての君のような若輩者の手に負えるモンスターではない……、死にたくはないだろう……」
「メタルモンスター?」
指男の表情がキリっと引き締まった。
長谷川鶴雄は息を呑む。
その黒色のレンズの裏でどんな目をしているのか。
鋭い表情からたやすく読み取れた。
彼は戦おうというのだ。
このダンジョンの崩落具合を見て、メタルモンスターがどれだけ強力な敵かわからないはずがないのに、立ち向かおうというのだ。
「お疲れさまです、あとは任せてください。経験値とか、そこら辺のものとか、ええ、そりゃもう全部任せてください」
「ぢーぢーぢーッ!!」
「ぎぃっ!!」
指男は澄ました顔でそう言い、中指の腹でサングラスを少し持ちあげた。
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