指男の噂 4


 ──地獄道の視点



 寝巻きを煩雑に脱ぎ捨てて、適当な下着を選んで控えめな双丘を優しく包む。

 しゃれっ気のない黒いシャツを着て、黒いストッキングを履く。

 なんやかんやで身支度を30分で済ませ、買い置きしてある段ボールに詰め込まれたゼリー飲料をひとつ手に取り、じゅーっとんで腹におさめると、同じものを2つカバンに詰め込んで社宅を出た。

 社宅とはいえ、財団の敷地内にある寮なので、3分も歩けば職場に到着する。


 地獄道という女性は可憐だが、女っ気がなかった。

 いつも目の下にクマがあり、視線は宙を追い、おまけに声も男性より低いハスキーなものだから、とても”可愛い”というものではない。


 国際的資本のチカラで、やたら前衛的にデザインされたビルがダンジョン財団日本本部だ。

 ちなみに本部と言っても、唯一の存在ではなく、本部と名のつく財団施設はいくつもある。

 ほかのすべての本部に核爆弾を落とされても世界の命運を握り続け、各地に秘匿されたSCCL適用異常物質アノマリーの特別収容施設を維持するだけの体力が、このJPN本部あることを考えれば、”この本部”は合格ラインにあると言えるだろう。


 社員証をかざしてエントランスを抜け、エレベーターで天空の上層へ。

 ぼーっとスマホを眺めて、財団SNSで指男の活動をチェックする。

 最近の推しである。言葉で飾らない「今日の狩場」というコーナーが、どこか職人気質で、寡黙な性格を表しているような気がして、気に入っているのだ。


「ふふ……」


 つい不気味な笑みが漏れた。

 エレベーターで相乗りになった同僚は居心地悪そうにする。

 若い研究員は勇気をもって、偉大なる天才に話しかける。


「楽しそうですね、博士、なにかいいことでも?」

「……」


 地獄道は顔を背け、嫌そうに、面倒くさそうに「話しかけるなよ」と目で伝える。

 彼女が友達のできない理由だ。

 みんなからダウナー博士とちょっと可愛いあだ名で呼ばれる所以ゆえんでもある。


 気まずいエレベータータイムが終わり、一礼して「そ、それじゃあ、失礼します」と足早に降りていく若手研究員。


 地獄道はスマホを眺めながら、とぼとぼ歩いて、研究室に到着した。

 究極的に面倒くさがりなので、彼女は以前までこの研究室に住んでいた。

 だが、ある人物から生活指導が入ってからはこのとおり、ちゃんと社宅に帰って、毎朝出勤するというルーチンワークをこなせるように矯正された。

 

『こらー! 地獄道ちゃん、こんなものぐさ太郎な生活、お姉ちゃん許しませんっ!』


 デスクで寝ていたら、いきなりほうきを振り回しながら入って来たのは、地獄道にとって記憶に新しい。


「ぁぁ……めんどうくさいなぁ……修羅道め……まったく……」


 ぼそぼそ文句たれながら、カードキーで扉を開けてなかへ。

 カバンを置いて、時刻を確認、仕事にとりかかる。


 彼女は備えなければならないのだ。

 なぜなら知っているから。


 この世界には終わりがある、と。

 地獄道はいつしか終焉の火を夢の中で見るようになった。

 それは大いなる宿命に巻き込まれた夜から絶え間なくつづく悪夢だ。


 彼女の所属はダンジョン財団研究部異常テクノロジー課。

 これまでに開発した装備は数知れず。

 多くの探索者の王道となった大人気商品、魔法剣は彼女が開発したものだ。

 

 とはいえ、数カ月まえにに抜擢されてからは、そちらの仕事のほうが忙しかったりする。


 お昼過ぎになり、彼女はゼリー飲料を片手に研究室をでる。

 三食ゼリー。これが地獄道のものぐさポリシーの真髄である。


「ん? なんか足音が……」

「こらー!!」

「?!」


 廊下をもうダッシュで駆けてくるのは、誰であろう財団が誇りしスーパー受付嬢・修羅道である。


「なっ! 千葉にいたはずじゃ……!」

「そんなもの関係ないですよっ! 地獄道ちゃんは目を離すとすぐこれです!」

 

 ゼリー飲料をひったくる修羅道。

 かわりにお弁当(手作り)をプレゼント。


「交換こですっ! しっかり食べないとだめですよ!」

「でも、これじゃあ、あたしのポリシーに反する……」

「ポリシー?」

「ものぐさポリシー……」

「そんなもの丸めて掃いちゃいます! 地獄道ちゃんはものぐさ道ちゃんに改名する気ですか!」

「それもいいかも……」

「やー! お姉ちゃん許しませんっ! ゼリーは全部没収です!」

「そ、そんな……っ」


 修羅道はスマホを確認し「しまったです、予定より14秒長く話してしまいました!」といい、嵐のように走り去っていった。


「ほんと、わけわかんない……」


 修羅道と話すだけでどっと疲れる地獄道だった。


 手作り弁当をひっさげて、彼女は会議室へやってきた。

 これからはじまるのは人類の命運がかかったプロジェクトだ。

 最近、彼女が時間を奪われている諸悪の根源でもある。


 地獄道が音楽を聴きながら、もぐもぐお弁当を食べる。

 コロッケ、メンチカツ、から揚げ、そぼろ、どれも絶品だ。


(このお弁当茶色いな……)


「遅れてすまない、はじめよう」


 慌ただしく入って来た最後のメンバーを加えてようやく会議はスタートする。

 地獄道が弁当もぐもぐしていることに対しては誰もつっこまない。


「今回、急遽、委員会を招集したのはほかでもない、シナリオが加筆されたからだ」

「シナリオの加筆は10年ぶりのことじゃないか。間違いないのか? 私の元にはそんな情報届いていないが」

異常物質アノマリー『世界終末シナリオ』は最大機密だ。当たり前だろ」

「むう……」

「それで、加筆内容は?」

「今、モニターに出す。ああ、もちろん、このことは口外しないように」

「わかっている」


 地獄道がもぐもぐして音楽聞いている間にも、切迫した話は進んでいく。

 とはいえ、彼女も聞いてないわけじゃない。

 視線はモニターを見つめている。


 モニターには古びた本が映っている。

 重厚で、飾り文字があしらわれた羊皮紙が主流だった時代につくられた本である。

 福音書。預言書、予言、シナリオ、世界終末シナリオ、いろいろな呼ばれ方をする。


 予言は人類への警告であり、このページが『厄災シリーズ』たちの存在と降誕をダンジョン財団に教えた。

 しかし、人類の使う言語で書かれてはおらず、解読には高度なAIを使う必要がある。翻訳された文字はこうだ。


 『その者、軽快な指先でもって、星海せいかいの眼差しを降誕させ、燎原りょうげんでもって厄災を滅ぼす』

 

 ただ一文。

 それだけの加筆だった。

 

 厄災対策委員会は静まり返ってしまう。

 この一文をどう解釈するべきか頭を悩ましているのだ。

 

「厄災を滅ぼすと書いてあるが……」

「誰が?」

「燎原という言葉からさっするに火のチカラに優れたスキルホルダーではないでしょうか」

「そういわれてもな火はとりわけ数が多いぞ」

「探索者の99%は厄災相手に意味をなさん、絞り込めるのではないか?」


 皆が『燎原』というキーワードをもとに、議論を進める。

 厄災対策委員会の仕事の一つが、予言の解釈、そして対策を立案する事だ。

 

「まったく、新しい厄災かと思ったのに」

「厄災を相手するほうなら、もう間に合っている」

「ああ、まったくだよ。相手できる母数が少ないから、誰とか話す必要なくないか?」


 会議から20分ほどが経って、空気が弛緩してきた。

 地獄道はお弁当を食べ終え、お茶をひとくち飲む。


「指男でしょ……」


「「「「え?」」」」


 予想外の人物が口を開いたことで、10人以上がばっと視線を向けてくる。


「これは……指男のことだと思いますけど……」


「そうか……なるほど『指先』のほうに注目すれば確かに……」

「でも、ああ、くそ、思い出せない、指男……ぁぁ、だめだ、思い出せない。データベースに『指男』の二つ名を持つ探索者がいたような気がするが……」

「なんでここで都市伝説の話をしてるんだ?」


 指男のことを知らないらしい中年が話に割って入る。


「お前知らないのかよ、怪人『指男』、ダンジョンに現れては、パチンパチンって音鳴らしながら走りまわってて、すれ違ったら最後、消し炭にされるんだぜ」

「なんだよそれ恐いな」

「指男の噂が発生した直後、赤木英雄なる人物が『指男』を名乗って活動をはじめているが(※絶賛ミーム感染中)、これをどう思う?」

のでは?」


 中年はカフェオレをストローでちゅーっと吸いながら何気なしにいう。

 皆もそれに賛同し、赤木英雄の話題はすぐに流れてしまった。


 地獄道は妙な発言を聞き逃さなかった。

 

(あの人……今さっきまで指男のこと知らなかった。二つ名が『指男』の探索者なんてまっさきに疑うべきなのに、そうはならなかった)


 地獄道は気だるげに「あー」と察した。

 どうやらミームによる感染がはじまっていると。

 同時にこの部屋の中に非感染者は自分だけであると。


(『指男』赤木英雄を疑うのがまっさきに必要な論理的な行動なのに、そうならない。そうできない。認識がズレている。感染力は強い、指男について知らなかった中年が一瞬で思考を汚染された。認識のジャミングも強い。これは……阿良々木あららぎ……タケノコ……いや、かもしれない)

 

「私は指男に会ったんだ。会った、はずなんだ。顔を描けるはずなんだ……」


 地獄道のとなりの男性は頭を抱えて悩んでいた。

 男の手もとには紙とペンが転がっている。

 地獄道はそれを見て、息を呑んだ。


 紙には今にも指を鳴らしそうな手が描かれているだけだったのだ。

 それも一枚ではない。

 メモ用紙10枚にわたりほぼ似たような手のロゴマークが描かれている。


「これは……?」

「指男の顔を書こうとしたんだが気がついたら、このマークを描いてるんだ……」

「ミームの汚染ですね……」

「っ……まさか、そんな」


 男性は現実を否定するように再びペンを手に取った。

 地獄道は浅くため息をついた。


「だが、どのみち指男が本当に存在していると仮定して、そいつが救世主であるはずがないぞ。財団が誇る″外海六道″こそが方舟が我々に与えてくださった迎撃手段──カウンターなはずだ」


 会議室の皆の視線が、地獄道へ注がれる。

 期待の眼差しだ。犠牲の期待。地獄道は居心地が悪くなった。


「そうでなくとも最高最強のSクラス探索者たちこそが、厄災対策としてはふさわしいだろう」

「そうだ。SクラスとAクラス”一桁”のバケモノみたいな探索者たちさえいれば、どんな脅威だろうと問題はない!」


(指男……すでに強力なミーム型異常物質による概念武装を完成させてる。捜索は難しいかもしれないね。口で言っても無駄。となると、影響から逃れられるあたしが動くしかない)

 


 ──餓鬼道の視点



 すべての神秘に終わりがある。

 餓鬼道はそう固く信じている。

 だから、いつか指男の本質を見抜き、その正体に気づける日が来ると考え、この数カ月を過ごして来た。


 千葉市街、某ホテルのエグゼクティブな部屋のベッドにそっと腰をおろす。

 彼女が手にしているのは先ほど協力者より受け取った機密文書だ。


 餓鬼道はSNSでの一件以来(※指男の噂2を参照)、自身の存在は指男にバレており、強く警戒されていることを悟っている。

 ゆえに彼女は自身の眷属──通称:Gスクワッドを動かした。

 Gスクワッドは人間から構成されるチームではない。

 ゆえにいかに指男と言おうと、その追跡と操作から完全に逃れることは不可能なのだ。


 世界中に散っていた仲間を招集するのに手間取ったり、ターゲットがいきなり行方位不明になったり、数々のトラブルが続いていたが、この度、無事に千葉ダンジョンにてGスクワッドは指男の所在を掴んだ。


「ちゅちゅん」


 丸々太ったすずめが、餓鬼道の頭に乗って自慢げにしている。

 餓鬼道は無表情で「よしよし」とにぎにぎしてあげる。

 今回の情報はこの子のお手柄なのである。


「ちゅちゅん♪」


 Gスクワッド隊長、通称:ちゅんさんが持ち帰ったのは一枚の写真だ。

 

 そこには推定22歳前後の青年が映っていた。

 ただ、ちゅんさんの手元が狂ったせいかややピンボケしており、また暗がりに顔が隠れてしまっていて、詳細まではわからない。


「これが『指男』赤木英雄」

「ちゅちゅん」

「私の捜査にいちはやく気が付き、数々の情報戦を仕掛けて来た黒幕(※餓鬼道解釈)」

「ちゅんちゅん!」

「いまこそ正体を暴く」

「ちゅん! ちゅんちゅん!」

 


 ────


 

 ──赤木英雄の視点


 

「このダンジョンコインは電子情報化して、しっかりと赤木さんの口座に入れておきますね!」


 ───────────────────

 ダンジョン銀行口座残高 3,697,711円

 ───────────────────

 修羅道運用       16,453,983円

 ───────────────────

 総資産         20,151,694円

 ───────────────────


      ↓+53,690,215円(DJC1枚相場)


 ───────────────────

 ダンジョン銀行口座残高 3,697,711円

 ───────────────────

 修羅道運用       70,144,198円

 ───────────────────

 総資産         73,841,909円

 ───────────────────


 やばい……どんどん俺の手に負えなくなっていく。

 ダンジョンコインの戦闘力が高すぎる。

 一瞬で7,380万円まで資産が増えてしまうなんて。


「将来、シマエナガさんとぎぃさんたちと楽しく暮らすためには設備にお金がかかると思いますから、しっかり今のうちから備えていきましょう!」

「そうですかね? うちの子たちの費用は1日せいぜい500円ちょっとですよ。シマエナガさんがチーズ牛丼食べるだけです。ぎぃさんは水だけですし」

「いいえ、おそらくそれだけでは済まなくなります……ええ、きっと」


 あれ、なんか不穏な……。

 賢者ポジションも押さえている修羅道さんには何か見えているのだろうか。


「低く見積もっても100億円くらいはかかりますね。私たちのマイホームにはダンジョンと広大な敷地と収容施設と、有事の際の核シェルター、そのほかたくさんの設備が必要になりますから!」

「はあ、100億円……」

「ちーちーちー」

「ぎぃ」


 うんうん、大丈夫だよ。

 俺、頑張るから。


 かあいい子にはお金がかかると言う言葉がある。古事記にも載ってる。

 賢者・修羅道さんのお言葉どおり、お金をたくさん蓄えよう。

 目標は100億円だ。


「それでは、本日の攻略お疲れ様でした、ゆっくり休んでくださいね! あっ、そうです、たくさんゼリー余っているので、赤木さんもおひとついかがですか!」


 謎に配給されたゼリーを吸いながら、クタクタの体を引きずってホテルへ帰還した。


 ふと、フロントロビーで見覚えのある顔を見つけた。


「あ、ミス・センチュリーじゃないですか。お久しぶりです」

「っ……(ミスター・サングラスだ)」

「どうしたんですか、またお仕事ですか?」

「……ざこ」


 やっぱり、辛辣です、この人。


「あ、あはは、すみません、まだまだ精進が足りないみたいです。頑張ってはいるんですけどね」

「……くさい」


 いや、辛すぎいい!! 俺が何したっていうんですか!?


「すみません……もう行きますね……ぅぅ……」


 ミス・センチュリー、やっぱり苦手だなぁ。

 精神ボコボコにされてベッドで泣きました。





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