渦巻く指男は何も知らず
その日、ひとりの少女が群馬ダンジョンへやって来ていた。
彼女がダンジョンキャンプへやってくると、通り過ぎる者の目をよく惹いた。
絹のように白い髪。
色気の宿る褐色の肌。
豊かにふくらんだ双丘。
まだ酒も飲めぬだろう年齢のはずなのに、誰もが求めて羨む、垂涎ものの美貌を誇っていた。
ただし、黒いスーツにに黒いネクタイをビシッと締めて、暗黒のコートを羽織っているため、いくばくかそのエロティックな部分は隠されている。
せいぜいシャツがはち切れんばかりに張ってるだけだ。実に巨大だ。
彼女の名前は畜生道。
下の名前はあまり有名じゃない。
「っ、これはまさか、本部エージェントの方がこちらへいらっしゃるとは!」
群馬某所のクラス3ダンジョン対策本部にいた財団職員は、畜生道の胸につけられたブローチを見て、ハッとして、背筋を伸ばした。
豊かな胸に乗せられた黒金属のブローチ。
そこには6つの紫色の宝石の輝き──アメジストが宿っていた。
アメジストの数に応じて、エージェントの階級があがるというのは、職員たちの間では有名な話であり、こと6つは最高位エージェントであることの証であった。
初めて見るアメジスト6つの輝きに、対策本部に緊張が走る。
「あたしは昨日、ここでダンジョンウェーブを見たんだよ。指男、凄かったよね。あれはC級の戦い方じゃないよ。だから、これ。……修羅道がいるのでしょう。彼女に渡してね」
「は、はい! たしかに受けとりました!」
畜生道はそれだけ言って、すこしキャンプを見てまわり、すぐに帰路に着いた。
ふと、キャンプの中へ入っていく指男とすれ違う。
(ダンジョンが封鎖されているというのに……君も、もう後戻りできないんだね。迷宮に惹きつけられてしまっている)
畜生道はくたびれたような笑みをうかべ「あれは行くところまで行っちゃうね」と、同族へ憐れみ表した。
「っ、あの車は……!」
畜生道は高ぶった声をもらした。
道路脇に停められた黒塗りの高級車を見つけたからだ。
それまで、影のある美人という雰囲気だった彼女は、タッタッタっと走り寄り、黒いスモークガラスを嬉しそうにノックした。
ビーッとスライドして降りてくる運転席の窓。
表情に乏しいくせに、澄ましてるだけで、やたらカッコよくなってしまう顔の良い餓鬼道がひょこっと出てきた。
サングラスを外し、宝石のような青い瞳を畜生道へ向けて「なにか用?」とでも言いたげに眉根を寄せる。
(餓鬼道お姉さまと、こんなところで会えるなんて! 餓鬼道お姉さまはクールで計算高く、計略に優れた一流のなかの一流エージェント。世界を股にかける財団の最終兵器! 同じアメジスト6つでも、餓鬼道お姉さまほど優れたエージェントはいないよね! あぁ、見てる、あたしが何も言わないから、どんどん不機嫌になっていく! だけど、それもカッコいい……! 好き好き好き! クール! 知的、カッコいい!)
IQを3くらいまで下げながら畜生道はハァハァと呼吸を荒くする。
ただの限界オタクであった。
「あ、あの、餓鬼道お姉さま……お仕事、順調ですか……?」
(よかったら、その、お手伝いとか、いりますか? ──って、言いたかったのにい! 恐れ多くて言い出せないよ〜///// あ~ダメ、そんな眼差し向けられたら孕んじゃう……//////)
視線に悶え、もじもじとする畜生道。
敬愛する餓鬼道のために、役に立てることはないかという彼女の優しさは、いつも言葉にならず空回りしてしまう。
「私には(あなたと話をしている)時間がない。なぜなら(この後、指男の情報提供者と会うことなってるから)……」
畜生道は敬愛するお方の言葉の裏を読み解く。
(『私には時間がない。なぜなら……』つまり、これは餓鬼道お姉さまはあまりにも多忙なため、あたしの助力を受け入れてくれているということね? 流石は餓鬼道お姉さま、あたしの言葉の裏をいともたやすく読み解いて、あたしのことをわかってくれたのですね!)
餓鬼道はフッと得意げに鼻を鳴らし、畜生道へ「乗りなよ」と、首を軽く振って合図する。
(
餓鬼道の冴え渡る推理は、今日も絶好調だ。
ウキウキ、ワクワクな畜生道。
黒塗りの高級車はやがて、近くの公園に止まった。
ごく自然と降りる畜生道。
走り去る黒塗りの高級車。
「え?」
畜生道は唖然として、遠ざかる車を見送る。
「トイレ……なぜ餓鬼道お姉さまはトイレにあたしを置いて……。っ! まさか、WC!」
(エージェント訓練生時代。科目に教官からの厳しい評価が下されることがあった。その時、WC──つまり、ダブルC評価以下は不合格で、居残りをさせられた……)
「餓鬼道お姉さま……あたしの助力など必要ない、つまりそう言うことですね。流石です、あたしの思惑を看破したうえで、ここまで厳しい評価CCを下されるとは……指男に関する調査は、あたしのような未熟者には早かった、と、そう言いたいんですね。わかりました、ここは大人しく帰りますね」
最も優れたエージェントのひとりとして財団からも高く評価されている畜生道であるが、餓鬼道が関わると、彼女の優秀な能力──IQ170、5か国語話者、ハッキングスキルetc──は迷走しだす。
その夜、本部に帰った畜生道はエージェント室へ報告した。
「指男にサファイアブローチを渡して来たよ」
エージェントマスターは畜生道の報告を受けて「ふむ」とうなずく。
「して、指男についてはどうだった。エメラルドブローチを届けさせたエージェントは、好青年、というありふれた印象しか語らなかった。餓鬼道くんからあがって来てる報告とは、いささか
「ダンジョン因子が強いことは確かだよね。あたしたちと同レベルかもね」
「ふむ。ほかには」
「ほかには──あたしには何も語ることはできないよね」
「ぇ?」
「餓鬼道お姉さまはあたしを遠ざけたんだよね。恐ろしいと噂される指男から遠ざけたんだよ? つまり、そこには現場にいるスーパーエリートエージェントのお姉さまだけがわかる高度な駆け引きがあるということ(※ない)」
「っ、君ほどのエージェントを遠ざけるか、エージェントG」
エージェントマスターは一考する。
このまま餓鬼道ひとりにすべてを背負わせていいものだろうか、と。
報告書であがってくる指男のプロファイリング像は、もはや人間とは思えないものだ。
エージェントマスターのプロファイリング経験からすれば、幼少期に虐待され、暴力漬けにされ、真夜中の山に放置されて、野犬に食われそうなったところを助けてくれた二番目の両親が、実はこれまためちゃくちゃ虐待気質な大人で、地獄のような日々を送り、この世界に救いはないとすべてを諦め、人類を憎悪し、己を鍛え世界への復讐に目覚めた狂人に育ったとしても、指男のようになるかは微妙なところだった。
「だが、あの餓鬼道くんがそう言うのならそうなのだろうな。指男。計り知れない男だな。やはり、この大仕事に餓鬼道くんを派遣して正解だったようだ。私のような才能のない無駄に年だけを喰ったエージェント崩れでは、とても指男の本質を見抜けなかっただろう。ご苦労、畜生道くん、この一件は最後まで彼女に任せるとしよう」
エージェントマスターは思う。
(エージェントG、エージェントマスターの私でさえ、底知れない少女だ。多くを語らない。冷めた表情。沈黙のなかに答えを散りばめる。語るまでもなく、すべてを見透かしているとでも言いたげだ。これは彼女の冴え渡る知性と、非効率を嫌う徹底的に論理的な性格からくるものだろう。財団は彼女こそ至高のエージェントと満票で評価している。現場にいるのは彼女だ。彼女の判断こそ絶対の信頼を置くに値する)
エージェントマスターは独自の経路で入手した指男の隠し撮り写真付きのファイルを閲覧する。
「指男……その爽やかな笑顔の裏でなにを考えている」
エージェントGと似た底知れない暗黒を感じた。
ぷるりと背すじを冷たいものが走った。
────
一方その頃、群馬某所のホテルで眠りについていた赤木英雄は──
ピコン!
「うぉ、びっくりした……ぁれ? またレベルが勝手にあがった?」
レベルアップの音で目が覚めていた。
「す、ステータス……」
──────────────────
赤木英雄
レベル98
HP 6,386/6,386
MP 1,016/1,016
スキル
『フィンガースナップ Lv4』
『恐怖症候群 Lv2』
『一撃』
装備品
『蒼い血 Lv2』 G3
『選ばれし者の証』G3
『秘密の地図』G3
『アドルフェンの聖骸布』G3
『ムゲンハイール ver3.0』G4
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「おかしいな……なんでだろ。経験値の判定バグってるのかな」
渦巻く嵐の中心は穏やかなように、成長し勢力を増していく恐怖症候群のことなど、この時の指男にはまるで想像もできない事だった。
そして、寝てる間にスキルレベルがアップしたせいで『恐怖症候群 Lv2』がステータスに加わっていることにも気が付かなかった。
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『恐怖症候群 Lv2』
恐怖の伝染を楽しむ者の証。
他者の恐怖を経験値として獲得できる。
Lv2では獲得経験値に2.0倍の補正がかかる。
解放条件 10人に重たい恐怖症を伝染させる
───────────────────
「ふぁ〜、寝よう」
考えてもわからないことは仕方がない。
赤木英雄はウィンドウを閉じ、すやーっと深い眠りに落ちた。
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