第九話
ダールベルクの指示で部屋に残されたのは、俺とアレクとエル。
シュヴァルツは、ギルド奥の裏口から出たところにある厩舎――もちろん従魔用のスペースもある厩舎、の方へと預けてある。もう登録証もつけたから飛んでいても問題ないらしいのだが、初めて訪れた街ということもあり、預けておくという判断をアレクがしたのだ。
アレクの言うことをよく聞くシュヴァルツは、厩舎の止まり木に大人しく身を預けた。厩舎担当の職員は「初めてきたところでこんなに大人しいのはすごいねぇ。それによく懐いている」と感嘆の声を上げていた。
アレクがちょっとだけ、ちょーっとだけだが誇らしそうな顔を見せたのを、俺は見逃さなかった。
「皆、座れ」
ダールベルクの促しに俺がソファへと腰かけると、それに続いてアレク、エルの順に隣に座る。
二人ともさっきからだんまりで、緊張しているのが感じられた。分かるぞ、このおっさん怖そうだからな。
「わ、何すんだ」
ひょいっと横からアレクを抱えて膝に乗せ、エルの隣に腰を寄せる。そして俺が座っていた場所へアレクを下ろした。
「こう座ろう」
にこやかに二人を交互に見つめると、エルはふにゃりと微笑んでうなずき、アレクはすぐ子供扱いすると言ってぶすっとそっぽを向いた。
そうしたら、堪えきれんとばかりにダールベルクが肩を揺らしてくつくつと笑い始めた。
「随分と悪くない生活のようだな」
「どういう意味だよ」
「そのままの意味だ」
俺がすこし不服そうに返答すると、ダールベルクは当然そうに答える。
気心知れたやり取りに懐かしさを感じていると、ダールベルクは目をすっと細めて続けた。
「で、……その銀色の方が、次代の勇者か」
誤魔化しなど効かない、有無も言わさぬ口調でそう下す。
深い青碧の中、鋭い光が俺を見据えている。
「そうだ」
俺ははっきりと答えた。
隠したところで、どうとにもならないことだ。
おそらく上から話が下りているのだろう。
ファルティを立ち会わせなかったのは、そこまでは下ろしていない情報ということだな。
「それで、茶色の方は」
「エルです。エルと呼んでください」
俺の服の裾をぎゅっと握りながら、エルは訴える。
落ち着きさえすれば――毎日のようにあの苛烈の相手をしているのだ、そうそう物怖じたりしないだろう。
「そうか、すまなかったな。エル、エルだな。お前は?」
ダールベルクはアレクの方に視線をやり、名を促す。
アレクも俺の服の裾を握りながら、小さく名乗った。
「アレク」
「アレクだな。私はダールベルクだ、この支部のギルドマスターをしている。二人ともよろしく頼むぞ」
人の良い笑顔でにっかりと笑うダールベルク。
重苦しかった空気が一気に消え去った。
子どもたちも互いに顔を見合わせた後、恐る恐るながら軽く笑んでこくりとうなずいた。
「エルが、聖女メディアナの養い子だな。あれか、女神の愛し子か?」
「いや、そこまでは聞いてない。どちらかというと使徒なんじゃないのか」
女神の愛し子というのは、何かしら特別な能力を持って生まれてきた者のことだ。
例えば、魔力が尋常じゃないとか、身体能力がおかしいとか、特殊な能力を持っているとか。俺のようにレベルを上げることに苦痛を感じないとかもそうだ。
愛し子は、ただちょっとばかしすごい能力を持っているというだけで、別に何かを成すために生まれてきたわけじゃない。
ほんのちょっと何かができるようにした、ただの女神の愛の表れだ。
何か成すべきことがある者、それが女神の使徒とされる。
魔王を倒すべき勇者のように、な。
使徒も何かしらの能力や才能を持っているし、聞くだけなら愛し子と大差ないように感じるだろう。
明確な違いは、ちゃんとある。
使命がありそれを成すために、女神から授けられた破格の力があること。
俺が女神から勇者たらん御業や権能を受けているのは、使徒の証だ。ラインハルトの女神の聖盾もそれに当たる。あとは、神託でそう言われたからそうである、みたいなこともあるがな。
そう、俺が、今代の勇者が強すぎるとされた理由は、女神の使徒でありながら女神の愛し子だったせいだ。
しかも能力同士の相性が良すぎた。
そりゃ、魔神も苦情が出るわな。
女神が悪い。
聖女メディアナは、使徒たる証を持っている。
エルがそれを継ぐのだろうと、俺は潜在的に理解しているのだ。
それは、同じ使徒としてなのだろうかな。
「お前がそう言うならそうなのであろうな」
そう言って、ダールベルクはエルを見つめた。
当のエルはよく分からないといった様子で、見つめ返していた。
「そう言えば、伝えなくてはならないことがあったな」
ダールベルクは、俺たちの座るソファへと歩み寄って膝を突いた。
「お前たち二人がヴァルの傍にいてくれているお陰で、我がギルドの冒険者の立場を保証することができた。礼を言う」
目を伏せ頭を下げる。
この前、相談が来た件だな。俺の一筆と伝手が役に立ったようで何よりだ。
丁寧に頭を下げたダールベルクの様子に、エルは驚いたように訴えた。
「それはヴァルおじさんのお陰でしょう、僕たちは何もしてないです。頭を上げてください」
はっきりとした口調で、更に付け加える。
「偉い人は簡単に頭を下げてはいけないと教わりました」
焦げ茶の瞳はキラキラとしていて、エルの純真さを体現しているようだった。
「今の僕は頭を下げる者ではあるけれど、大きくなれば下げてはならない時や、下げたくても下げられない時が来るのです。それはそれだけの立場の人間なら当たり前のこと」
メディアナのやつ、もうエルにそんな小難しいことを教えているのか。
俺はアレクへと目をやった。
そんな人の悲喜交交を、俺はアレクには教えたくなかった。
俺はアレクには自由に生きてほしい。
俺が若い頃に受けたしがらみなんかに巻き込まれず、自由に夢を持ってアレクらしく生きてほしい。
俺はそれだけを願ってやまなかった。
きっと、エルやリーンとは今のように一緒に居られない。
俺とラオーシュたちのように住む世界や立場が変わってしまう。
彼らは自由を失い大人になるのだ。
いずれ来てしまうだろう彼らの別れに自身のそれを重ねてしまい、俺はすっと右腕でアレクを抱き寄せた。
「ヴァル?」
アレクは不思議そうに俺を見たが、俺はなんでもないと曖昧に笑い返すしかできなかった。
「いつ何時その立場や状況に立たされるか分かりません。その覚悟を常に胸に抱いておけというのは、我が師メディアナの言葉です」
「さすが“苛烈の”メディアナ。子供にすらそう教えるのか」
エルの語りに、ダールベルクは肩を震わせて笑う。
「安心しろ。今は私が頭を下げるべき時だ。本当に感謝しておるのだよ」
そう言う笑顔は泰然としていて、彼の懐の大きさや背負うべきものの多さを感じることができた。
「もちろん、ヴァルにもな」
ダールベルクは、にっと笑って立ち上がると、俺たちの向かいのソファに腰を下ろした。
「それにヴァルのことも礼を言わねばな。
ヴァルの傍にいてくれているということは、ヴァルのことを好いてやってくれている、ということだろう? その男は存外寂しがりやでな。一人にしておくとすぐ消え失せるのだ」
だから、ここにいるのはお前たちのお陰なのだよ、と穏やかな笑みでダールベルクはそう告げた。
誰が寂しがりやか。
……などと、反骨心を抱いていると、アレクがそっと俺の手を握ってきた。
なんだ? と思ったが、こちらをちらりとも見ないアレクの心情は計り知ることができなかった。
ダールベルクは居住まいを正すと、アレクをじっと見る。
「次代の勇者が、グリュンフェルトを選んでくれたことにも感謝の意を示そう。とても栄誉なことだ。我がギルドは、次代の勇者が勇者とならんとする手伝いをさせてもらいたいと思う」
「そう受け取ってくれることに感謝する」
アレクが凛然とした表情で返答した。
え、ちょっと待って。
何でそんな真面目な展開になってるんだ。
ちょっと世話になるよっていう報告に来ただけなんだぞ。
「俺はもっと軽い気持ちで来たんだが。俺の時は、こんな挨拶なかっただろ」
「そりゃお前、特に名乗りも連絡もなくやってきて、しれっと冒険者登録したのは誰だ」
俺だ。
「しかも、類を見ない速度で依頼を消化しまくって、グリュンフェルトの冒険者やギルドに混乱をもたらしたのは誰だ」
俺、……です。
「新緑の森の奥地に飛来した魔族たちを、王都から転移で駆けつけたS級A級パーティを待たずして、単身壊滅させたのは誰だ」
はい、それも俺です。
「そういうことをやらかして、手伝うとか以前にさっさと強くなったのは誰だ」
あぁもう、それも俺だよ。
「よく理解できたようだな」
楽しそうなダールベルクとは対象的に、俺は溜息をついて項垂れた。
「昔からこんななのか……」
アレクも呆れている。
俺を見つめる紫青の瞳は呆れと不信とちょっとだけの優しさが見え隠れしていて、俺はなんとも言えない顔でアレクを見返した。
「だが、呆れるだけではないぞ」
ダールベルクはにやりと悪い笑みを浮かべだ。
次は何を言い出すんだ。
「こやつがそれをなしたのは十四の時。たった一年で全てなしたのだ」
「一年!?」
アレクが思わずといった様子で立ち上がった。
ちなみに、俺の手は握られたままだ。
「その後、一年と少しでS級にまで上り詰めた。冒険者になって二年半もかからなかった。歴代最速最年少記録だ。
ギルド本部は騒がしくなり、騎士団長や将軍だけでなく、各国が首を突っ込んできて大変だったぞ。最終的には、勇者ということで特別記録に落ち着いたがな」
ダールベルクは、当時を思い返すように語った。
この頃のダールベルクは確かS級冒険者を引退して、この支部のサブマスターについたばかりだったかな。俺が何かする度に、荒ぶったり呆れ返ったりしていた。懐かしいなぁ。
アレクが愕然とした顔で俺を見る。俺の手をぎゅーっと握っている。
「そうだ、そうだった。勇者ヴァルは大陸史においてすべてが規格外で最強だって……」
誰だ、そんな煽り文句考えたのは。
「なあ、ギルドマスター。俺もそれくらい強くなれるか? 何レベルになればそうなれる?」
だめだ、レベルの話は駄目だ。レベルは抜け出せない底なし沼、先には終わりのない回廊が待っているだけだ。
俺が慌てて止めようとすると、ダールベルクが俺を視線で制した。
「レベルを気にしているようでは強くなれんだろうな。勇者教育の積み重ねと冒険者としての経験があるからこそ、ヴァルは強いのだ」
「積み重ねと、経験……」
「そうだ。レベルを上げれば強くなるのであれば、冒険者は皆レベルを上げるだろうし、上げなくてはならなくなる。上がるに越したことはないが、誰も囚われていないのはそれ以上に必要なものがあるからだ」
「そうなのか、ヴァル……」
俺が心の中でダールベルクの口上に感謝していると、アレクは座り直して俺を見上げながら尋ねた。
「そうだなぁ、お前がエルやリーンと一緒にいるのはレベルに関係あるか? レベルがないと一緒にいられない? これから探すだろうパーティメンバーは、レベルがないと組めないのか? それらに大事なことは果たしてレベルだろうか?」
「ちがう」
一瞬の逡巡もなくアレクは否定した。
紫青色の瞳に迷いはなかった。
俺はこくりとうなずく。
「そうだ、レベルなんて関係ない。俺の勇者パーティの仲間は、レベルなんかじゃ替えられないものを互いに持っている。それが答えなんじゃないか」
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