第六話

 俺とアレクは結構満更でもない日々を過ごすことができていた。

 俺もこれで父親の仲間入りだなと、乳幼児期を経験してないのに余裕をかまし始めた頃。


 早々と五ヶ月が過ぎ、季節は移り変わって――。




 北にある辺境故に過ごしやすかった夏は終わり、女神の恵みあふれる季節がやってきた。

 森を覆う木々は橙や茶に色付き、いずれ訪れる冬に向けて最後の爛熟を誇っている。果実は熟れ、獲物が肥え、我々も蓄えを増やす。冬の前にやらなくてはならない事は多かった。


 その日は、アレクと共に森へと入っていた。

 秋の内に獲物を狩り、燻製肉や干し肉にしたり、魔法の氷で固めて保管したり、ずるい話だが中に入れると時間の止まる別空間の収納スペース――インベントリにしまって保存したり。生きるためには準備が必要だ。

 王国最北であるこの辺境は、冬になってしまえば雪深くなり、動物だけでなく魔物ですら姿を隠す。この恵みの秋の間にどれくらい越冬準備ができるかが大事になってくる。

 俺たちの事情だけでなく、村の皆のことも考慮する必要があるだろう。

 備蓄を確認して、場合によっては遠方からの荷運びの手伝いを受けることになるかもしれない。


 通年通りであれば、山中に入り込み獲物を探すのだが、アレクのいる今年はそのような無理は難しい。俺自身の都合だけなら微塵も問題ない。しかし与えるだけではままならないのだ。

 それに俺がやっていることは、高ランクの冒険者が自身よりもランクの低い狩場で獲物をあさるようなものなのだ。それをアレクの前でやるわけもいかない。

 まずもって、アレクのためにならないのだ。


 それに今は、警備巡回も兼ねていた。

 先日からフォレストベアが彷徨っている形跡があったからだ。


 フォレストベアは、中型の魔物で、森や山中を縄張りとし住処としている。

 ここ数日は、小型の魔物の残骸や木々へ爪痕を付けるマーキングと多数発見している。相手も冬になる前に栄養を付けておきたいのだろうし、縄張りの確認をしているのだろう。

 これは、俺たち、人に対する警告でもある。


 この山の森は魔族領に接した辺境ということもあり、魔物がよく出没する。

 動物の熊も存在しているが、魔物の熊フォレストベアは生物としての格が違う。体格も体力も膂力も、そして凶暴さも段違いだ。

 近隣の村にも猟師はいるが、敵う相手じゃない。

 同じ魔物のウルフやボアとも違いすぎるのだ。


 魔物である以上、根本的な生態が違うため、越冬のための冬眠はおこなわない。

 しかし、この辺りは降雪により食料が激減するため、秋の内に獲物を確保するというのは、俺たちと同じだ。場合によっては、人を襲うこともある。


 秋から春先にかけてのフォレストベアは魔物被害の筆頭で、正直なところ、秋の内の片を付けて冬を迎えたいと思っていた。

 アレクのために王都へ出るなら尚更だった。


 この辺境の森近くで暮らすなら、フォレストベアとの遭遇は避けて通れないため、アレクにも経験させようと思い連れてきたのだ。

 アレクは緊張した面持ちで、周囲から魔物の痕跡を見つけようとしている。

 シュヴァルツは警戒しながら、森の上空を旋回していた。アレクの指示を理解し、飛ぶことを覚え、共に戦うにはまだ幼いが連れて狩場に出れるくらい成長していた。

 この調子でアレクに懐いてくれれば、最悪の事態は避けられるし、アレクにとってよい相棒になるかもしれない。俺はそんな淡い期待を抱いていた。


 しかし、数日も魔物を放置するとは、俺も迂闊だった。

 冒険者ギルドでも定期的に冒険者を派遣してはくれる。それでもこんな辺境に長期滞在をしてくれるのは稀なことだ。

 なので俺がちょくちょく巡回して潰していたのだが、今回はなかなか出くわさない。いや、まあ……、奴ら俺の気配を察すると逃げるんだよな。なのでいつもは気配隠蔽を施して巡回していたんだが、最近はアレクの相手に夢中になって忘れていた。

 どうりで痕跡はあるのに見かけないなと思っていたんだよな。

 被害が出る前に何とかしたいと、少しだけだが焦っていたりはする。



 そうしてしばらく回っていると、森を少し奥へ入ったところで叫び声が聞こえた。この声は、猟師のおやっさん、ディールスの声だ。


「アレクっ!」


 俺はアレクの名だけ呼ぶと、声の方へ駆け出した。

 アレクは、一つ大きく返事をし俺に追随する。


 人が通った形跡のある獣道を進むと、思ったとおりディールスがこちらに向かってきたところだった。奥の低木が揺れている。


「ディールス! こっちだ!」

「ヴァル! フォレストベアだ!」

「わかってる!」


 ディールスを後ろに回すと、腰の鉈を右手で抜く。

 身構えると、フォレストベアが低木をかき分けてその身を現した。

 これはまた、大型とまではいかないが、まあまあの大きさだ。こりゃタイミングが悪かったら、やばかったな。


 鉈を大きく振り牽制する。威圧も忘れない。

 突然現れた俺に度肝を抜かれたのだろう。怯み動きが鈍ったことが見て取れる。しかし自分より弱い獲物を見つけて気が昂っているのか、引かずに俺との間合いを測っているようだ。


 大型までとはいかないし俺もいることから、アレクには優先的に挑ませた方がよいだろう。


「アレク、一人でやってみろ。俺がサポートする」

「はい! いきます!」


 アレクは腰のショートソードを抜いて、フォレストベアに対峙する。

 俺の渡したショートソードは、良い感じに手に馴染んだらしく、うまく扱ってくれている。師としても親としても嬉しい話だ。

 俺はアレクに身体強化と簡易結界をかけた。他人に魔法をかけるのはそれほど得意ではないが、ないより全然マシだろう。


「主な攻撃は両手の爪くらいだ。捕まらなければ噛みつかれない」

「わかりました!」

「体格はいい。体当たりに気をつけろ」

「はい!」


 威勢のよい返事と共にアレクがフォレストベアへ斬りかかったことを確認すると、俺はディールスに駆け寄った。村の中では若者に当たるとは言え、ディールスもいい年だ。避けきれなかったのだろう、左肩口に痛々しく爪痕が残されていた。俺は腰のベルトに通してあった布を傷口に当てながら、浄化と治癒をかける。


「傷はここだけか」

「ああそうだ……。すまねえな、ヴァル」

「いやいい、生きてるだけで儲けもんだ」


 狩りで森にいたところを襲われたのだろう。いくらベテランの猟師とは言え、魔物のフォレストベアは相手が悪い。

 生きていてくれて本当によかった。


 その間も、アレクは的確な身のこなしで、着実に攻撃を加えることができていた。自分よりも遥かに大きな中型の魔物相手になかなかの腕前だ。しかもフォレストベアを前にしてこの胆力。

 これはもっと認識を改めないといけないなと思った。


 このまま押し切れるのではと思ったその時――


 フォレストベアは観念したのか、アレクと一定の距離を取った後、身を翻して木々の中を四つ足で駆け出した。そのまま森の奥へと分け入っていく。

 惜しいところまでいっていたが仕方がないか。

 俺はよくやったとアレクに声をかけようとしたが、当のアレクはフォレストベアを追って走り始めた。


「アレクっ!」


 俺は声を張ったが、そのまま森の奥へと消えてしまう。これ以上奥に単身入るのは無謀だ。ディールスの体を支えていた俺は、咄嗟に追いかけることができない。

 シュヴァルツが高く一声鳴きアレクを追った。


「アレクっ!!」


 更に声を張り上げるも、虚しく響くだけだった。

 小さく舌を打ち、ディールスを見やる。


「ディールス、悪いが少し無茶をさせるぞ」


 ディールスは、真剣な顔でうなずいた。

 しっかりと体を支えてやり、俺は呪文の詠唱を始める。ディールスがいる以上、安易な無詠唱は避けたい。言葉を紡ぐごとに足元に陣が構築されていく。適切な魔力のうねりを感じた。

 しっかり唱えきると陣が輝きに包まれる。


 次の瞬間には、俺の家の前だ。

 人を連れた転移の魔法なんて久々だ。

 魔力よりも精神的な疲労を感じつつ、玄関扉を蹴り開け空いている客間のベッドにディールスを横たわらせた。


 転移酔いはしていないようだった。

 しかし負傷と回復で体力を消費したのだろう、少々顔色が悪かった。


「アレクを回収してくる。戻ってきたら必ず村まで送るから、留守を頼む」

「ああ……、坊主のこと頼むぞ」


 ディールスの強がった笑みに、任せろと答えると今一度、転移魔法を詠唱する。

 陣のない転移は魔力が結構いるし、曖昧な場所は転移座標がズレることもある。自宅は勝手知ったる場所なので問題はないのだが、森の中は集中して座標を決めなくてはならない。逸る気持ちを抑え、再び詠唱することにしたのだ。


 無事成功した転移で急ぎ森へと戻った俺は、アレクの魔力と俺の補助魔法の痕跡を追って森の奥へと入っていく。フォレストベアによって折られた低木の枝や踏みつけられた下草が続いている。


 アレクの身が不安で、とても肝が冷えた。久々に口の中の味が変わっていて、早鐘のような鼓動が落ち着かない。腕で汗を拭いながら、ひた走る。足場の悪さに前のめりになりつつも、無心で足を動かした。

 魔王を目の前にしてもこんなことはなかった。


 そんな風に俺が焦燥に駆られている時、前方から膨大な力が溢れるのが分かった。


 これは知っている。

 俺自身も持っている勇者の力の一端だ。

 使い方はまだ教えていない。

 暴発したんだ。


 必死に足場の悪い森をひたすら走り、アレクの元へ向かった。

 先程までと違いはっきりとアレクを認識できている。


 前方で姿を認めることができた。

 シュヴァルツも周りを飛び回っている。

 俺を認めると一鳴きした。


 アレクはフォレストベアと思われる残骸の前で立ち尽くしていた。


「アレクっ」


 俺は名を呼びながら駆け寄り、アレクを掻き抱く。


「ヴァル……」


 アレクがこちらへ視線を送り、小さく俺の名を呼んだ。


「よかった……」


 ただ一言ぽつりと漏らして、アレクの身体を抱き締めたまま、何度も何度も必死に撫でた。

 まるでアレクの存在を確認するかのように撫で続けた。



 ◇



 三人――二人と一羽で帰宅しディールスを村に送り届けた後は、説教の時間だった。


 アレクが来てから約五ヶ月、俺は初めて怒鳴ったと思う。

 この時ほど自身の言葉の拙さを悔いたことはなかった。心の中の憤りを適切に伝えるには、俺には言葉が足りなかった。

 死んでたらどうするんだ、お前に死なれたら俺は悲しい、いなくなってほしくない、俺を一人にするのかと、とにかく俺がどう思ったかを散々訴えた。

 勇者だからじゃなくて、アレクだから心配だったと伝えたかった。


 子供だ。

 小さな子供でしかない。

 万が一だって、最悪の事態だってあるのだ。


 アレクは俺の話を俯いて聞いていた。

 反論もせず、拗ねもせず、俯いているがきちんと聞いていることは分かった。


 俺は、アレクが諦観を抱いていることに薄々気がついていた。死にたいとまでは思っていないだろうが、生きることに頓着していないように思っていた。

 だから、もしかしたら今日がその時になったのかもしれない。

 俺の知らないところで、俺の守れないところで死んでしまうことになったのかもしれない。


 俺はそれが嫌だった。

 心底嫌だったのだ。


 俺がこいつにしてやれることはないのか?


 何ならできる?


 できることがあるならしてやりたい。



 だから――



 その答えに辿り着いた時、心の中に何かがすとんと降りてきた。


 ああそうか、俺は……。


 こう願う俺は、こいつと家族になりたいと思っているんだな。



 拙すぎる説教を垂れながら、俺は俺の気持ちをそう理解した。

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