第七話

 拙くそして長い説教は終わり、俺は村に報告したり、ギルドに連絡したりと、夕方まで忙しく過ごした。

 夕飯は簡単なものになってしまったが、二人で囲む。

 アレクは言葉少なに夕食を取り、互いにそれぞれの部屋に引っ込んだ。 



 その様子を見て、俺は激しく反省をしていた。


 もっといい伝え方があったはずだ。

 まず無事だったことを喜び、フォレストベアを倒せたことを褒め、気をつけることをしっかり伝える。

 怒鳴らなくたってできたことだ。


 情けない話だが、あの時の俺は自制が効かなかった。


 だから、俺はアレクに詫びなければならない。



 その日の晩はやけに冷え込み始めたので、毛布を追加してやろうとアレクの部屋に向かった。

 今日のこともあったので様子も見ておきたかったし、謝れるのなら早く謝るべきだと考えていた。


 部屋の中から洟をすする音が聞こえる。

 あぁ、これは……。

 俺がしこたま怒ったのを思い出して、泣いてるのかもしれない。

 自身の情けなさや不甲斐なさに、胸のあたりが苦しくなった。

 すまない、アレク。


 俺はふと思い立ち、炊事場に向かい火を起こして薪をくべ牛乳を移した鍋を火にかける。

 魔導具ならすぐに火がつくのにと、少し後悔した。魔導具はとかく便利故に、やむを得ない場合を除き頼らず生活をするという方針でいたが、こんな弊害があるとは思わなかった。

 一人では思い至らなかったことだろう。


 シュヴァルツは止まり木の上で眠っていたところを俺の気配で起きてしまったようだ。しかし何かするでもなく、俺を見ていた。

 今日はありがとうなと伝えて、燻製肉をエサ入れに入れておいた。

 軽く首を振った後、鋭い嘴で手前に引き寄せていた。

 お気に召してくれたようで何よりだ。


 温まった牛乳をカップへと移して砂糖を落とし、この前ラオーシュからもらったチョコレートの菓子を数個皿に移す。カップは自分の分も用意した。残りの牛乳と、砂糖は……、軽く入れるか。

 疲れた時は甘いものとラオーシュはよく言っていたし、メディアナはつらい時は甘いものを口にして忘れることも肝要だと俺にお小言を言っていた。


 懐かしいことを思い出しながら燭台とトレイを手に取って、アレクの部屋へ向かった。


「アレク」


 名を呼び軽くノックする。

 しばらくすると静かに扉が開いた。

 扉の隙間から顔を出した寝間着姿のアレクは、濡れた子犬のような顔をしていた。小さな燭台では分かりづらいが、擦ったのであろう目元が少々赤い。


「一緒に飲もうか。よかったら部屋に入れてくれ」


 こくりとうなずいたアレクに招き入れられる。

 部屋の中は、ランタンの灯りのみで薄暗いながら柔らかい光に照らされていた。

 座学用の机へ燭台を置き、トレイはサイドチェストへ置く。

 アレクはベッドへ座り、俺は向かい合うように椅子へ座った。


「だいぶ冷え込んだからな、温かいものを飲もうと思って」


 そう言って、牛乳の入ったカップをアレクに手渡す。

 アレクが飲み始めたのを見計らって、今日のことを詫びた。


「今日は怒鳴ってすまなかった。お前が無事だったのを喜ぶことが先だったな」


 ずっと謝らねばと思っていたのだ。

 自然と言葉が綴られる。


「お前が生きていてくれて本当によかった」



 アレクはその言葉に驚いた顔をして、慌てて答えた。


「だ、大丈夫です。僕の方こそ、ごめんなさい。勝手な行動をしました」

「待ってくれ。まずは俺の話だ。

 たしかにお前は良くないことをしたと俺は思っている。だからと言って、怒鳴っていいわけじゃない。これからは気をつける。すまなかった」


 俺が謝りの言葉を述べると、アレクは柔らかい優しげな笑みを浮かべた。


「わかりました。ヴァルの気持ち、理解します。

 あの、僕も、僕もこれからちゃんと気をつけます。ちゃんと判断ができるようになりたい」


 そう答えてくれたアレクの頭を、俺はゆったり撫でる。

 気持ちが良いのか、アレクは可愛らしく目を細める。


「そうか……。分かった。次はきちんと考えような、二人で。約束だ。

 よかったよ、もう嫌になって出ていっちまったらどうしようかと思った」

「いいえっ、そんなこと、ない、です」

「でも、泣いてたろ」

「……!」


 あ、しまった。

 俺の脳内でメディアナが「あんた、そういうとこがデリカシーがないっていうのよ!」と叫んでいた。


「違う、違うんです……」


 アレクは否定するが、そこで言葉が詰まってしまう。

 少しの間、沈黙が部屋を支配する。

 無理をして聞くのはどうかと思ったので、気になった別のことをアレクに尋ねてみた。


「なぁ、なんで無理に追ったんだ? よかったら話してほしい」


 俺は戀うようにアレクの頬を撫でた。

 アレクはカップを握りしめて、更に黙り込んでしまう。顔がだんだんと俯いていく。


「大丈夫、ちゃんと話してくれれば、怒らないし、怒鳴ったりしないから。俺はただ知りたいだけなんだよ。……お前の気持ちを話してくれないか」


 な? と顔を覗き込むと、アレクは恐る恐る顔を上げた。


「……できないのが、怖かったんです。できなかったら、もうここにも居られなくなっちゃうのかなって」


 想定してない返答だった。


「んなわけあるか。できないなんて、最初は皆そうだよ。できるようになるために色々やるんだから」

「……でも!」

「でもじゃねぇよ。できないからって追い出さない。できるように俺となってけばいいだろうに」


 俺はいつも思っていることを口にする。

 すると、アレクの紫青色の大きな瞳からぽろりぽろりと涙がこぼれ始めた。


「わっなんで泣くんだよ」


 拭くものがない。

 俺の寝間着の袖を伸ばして、身を傾けて拭いてやる。


 アレクが俺の前で泣くのも、この五ヶ月で初めてだ。

 そうだ、これくらいの子供なんてまだまだ泣き虫なはずだ。妹なんていつもビービー泣いていた。


 助けろメディアナと思ったけれど、あいつも手のかからないエルの面倒しか見たことがないはず。

 じゃあ、ラインハルトだ。三児の父親の知恵を俺に授けてくれ……。


 俺がラインハルトの爽やかな笑顔を思い返している間にも、アレクはずっとぽろぽろ泣いていた。

 今の子供ってこんなに静かに泣くのか?

 俺の記憶にある妹なんてギャンギャンひどかったから、これはこれで不安が……。


 情けないことに、俺はおろおろするしかできなかった。



 しばらく泣いてから落ち着いたアレクは、牛乳をひとくち、ふたくちと飲んで、ゆっくりと話し始めた。


「僕、小さい頃から嫌なことがあって……。いつ死んでもいいやって生きていたんです」


 そう打ち明けるアレクの瞳は揺れていた。


「父様と母様が亡くなって、とてもとても悲しかったのです。つらかったし、寂しかった。

 それから叔父様の家族が邸に移り住んできたのですが、僕がいることを好ましく思ってはいらっしゃらなかった。だから、僕も早く父様と母様のところにいきたいと思って過ごしていたのです」


 アレクの諦観は、これだったのか。

 先にメディアナに、確認しておくべきだった。

 完全に失態だ。


 アレクの話を踏まえると、義理の家族となった叔父一家がしていたのは実質家の乗っ取りで、先代の嫡子であったアレクを邪険に扱い自分の息子に継がせようと画策していたようだ。

 手っ取り早いのはアレクが死ぬことで、事故死や病死に見せかけた何かしらを企んでいたようだ。

 アレクは、俺も痛感しているが――聡い子供だったので叔父夫婦の考えを理解していたのだろう。


 その時が来るかという頃、一人やしきを抜け出したアレクは町中でメディアナと出会ったというわけだ。


 たしかメディアナは、勇者出現の神託を受けてすぐに町に繰り出したと言っていた。

 そのお陰で、街で偶然通りすがった勇者を確保できたのだ。

 まさに女神の神託がアレクを救ったのだった。


「強くなった成果が欲しくて、フォレストベアを追いました。でも相手も強くて……。ここで死んじゃうのかなってそんな気がしたんです」


 長いまつ毛をゆらしてぽろりと涙がこぼれた。


「だけど、死にたくないって思ったんです。ヴァルのところに帰りたいって」


 右手で涙を拭い、顔を上げて俺を見つめる。


「だから、生きててよかったなって思ったら、涙が出てきちゃって」


 そう言って小さく微笑む。

 俺は相づちも打たず、アレクをじっと見つめ返す。

 言葉一つ一つをちゃんと聞くために。


「なので、僕はここにくることはつらくなかったのです。ヴァルはいつも気にしてくれていたけれど、大丈夫。

 今日のことも、ヴァルの言うことは尤もだと思う。僕のことを心配してくれてありがとう。

 だから、僕はここが好き、ヴァルが好きだよ」


 そう言って今度はしっかりと微笑んだアレクは、いつものどこか大人びた感じではなく、子供らしい笑顔だった。

 俺はアレクのコップを取り上げてサイドチェストに置き、アレクの横に腰掛けた。


「そうかよかった。お前が無事で、俺も本当に嬉しいよ」


 そう言って肩を抱いて、頭を撫でてやった。

 アレクは、くすぐったそうに表情を緩めた。



 俺が導き出した答えは、単純で、当たり前のこと。

 こんな小さな子供が諦めていいことではない。



 ――生きていてほしい。


 俺は、今一度この願いを反芻する。


 俺が守ろう、俺が生かそう。


 この子が子供であるように、俺は大人だ。

 この子が子であってくれるなら、俺は親だ。

 この子が勇者である前に、俺は勇者だ。


 俺にできることが一つでもあるなら、俺は尽くそう。


 アレクのために。



「俺もお前が来てくれてよかったと思ってる」


 驚くほど落ち着いた声が出た。


「たいへんだろうけど、二人で頑張ろうな。俺たちは家族だ。俺はお前を助ける。きっと皆もお前を助けてくれるから、安心しろ」


 アレクはうなずきながら、小さな体でぎゅっと抱きついてきた。肩が震えて、少し洟をすする音が聞こえる。

 背中に手を回して撫でてやると、嬉しそうにすり寄った。

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