第五話

 アレクが我が家に来てから、五ヶ月目の中盤へ差し掛かろうかという頃。

 俺はある準備をしていた。

 そわそわと準備を進める俺を、少し大きくなり始めたシュヴァルツがつまらなそうに見守っている。


 森で拾われたシュヴァルツは、毎日与える肉を食べてしっかりと体力を取り戻し、小さいながら一端の鷹然とした姿をするようになった。今も澄ました顔で、居間の隅に立てられた止まり木に止まっている。艶やかになった黒い羽は美しさを増し、黒曜のように鋭い嘴は凛々しくなり始めた。

 アレクにとても懐き、仲良く過ごしている。互いの信頼が見えるようだった。


 ちなみにこいつは、俺にはさっぱり懐かなかった。同じくらい面倒を見ているのに、納得がいかない。その止まり木だって俺が作ったのになぁ。


 シュヴァルツの周りをうろうろしながら、テーブルに布を広げその上へ運んできた木箱を丁重に置く。

 これだ、これを待っていたんだ。


 アレクとの生活の合間に、転移魔法で王都に行ったりラインハルトと連絡を取ったりとちょっと手間がかかったが、話がまとまってよかった。

 この辺境ではどうしようもなかったことだったので、ラインハルトに相談したわけなんだが、なぜか話を聞きつけたラオーシュが乱入してきて大変だった。ラインハルトは終始ニコニコしているし、ラオーシュは根掘り葉掘り聞いてくるし、なんと言ってもニヤニヤといけ好かない顔をしていた。

 なんなんだ、まったく。


 今日は、それが無事に届いた。

 添えられた手紙には、ラオーシュの文字で「無事できてよかったね。喜んでもらえることを祈るよ」と書かれていた。なんか本当にいけ好かない。


 気を取り直して、箱を開ける。


 それは大切そうに布に巻かれて中へ収まっていた。

 布の中も確認したほうがよいか迷ったが、最初に見るのはアレクの手でさせたいと思う。俺は作成過程や最終段階で十二分に確認しているしな。

 布越しに持ち上げる。小ぶりだ。想像以上に軽い。

 それでもこれは、アレクにとって重要な品になるだろう。


 よし。


 少しでも早くアレクに渡そう。

 正直緊張している。

 まるで宝物を前にした子供のような気分だと、我ながら思った。


 箱へと丁重に戻すと、すぐさまアレクの元に足を向けた。



「アレク、ちょっといいか」


 ドアをノックし、自室で自習をしていたアレクに声をかける。

 反応があったので扉を開けると、机の前で入門用の兵法書を読んでいたようだ。

 宝石のような青の瞳が俺を見つめている。


 アレクの部屋は、客間の一室に調度品を足したものだ。座学用の机と椅子、書棚を入れた。あと俺が使う簡単な作りの椅子だ。


 部屋に入った俺は、アレクの勉強の進み具合を確認する。一通り確認して成果を褒めると、アレクは照れながら可愛らしく笑った。

 その様子が嬉しくなり、俺はアレクの頭を撫でてやる。


 座学に関しては、基本的なことは教え終えたので、最近は自習もできるようになった。

 そのお陰でこの時のための準備ができたのだから、アレクにも感謝しなくてはな。

 冬が始まり雪深くなる頃には、王都の邸――管理をラオーシュに任せ何年もほったらかしだ――に行こうと思っている。

 俺なんかの数倍、数十倍優秀な先生方と共にいろんなことを学んでもらおうと思っているのだ。皆、早く会いたいと言ってくれている。

 親馬鹿な俺は、アレクの優秀さを自慢したくて仕方なかった。きっと皆アレクを褒めてくれるだろうし、アレクにとって良い環境を作る手伝いをしてくれるだろう。


 アレクの少し伸びた髪を指で梳る。手触りの良い銀の髪が心地よかった。髪は俺が切ってあげているのだが、またそろそろ切る時期かもしれないな。

 そんなことを思いつつ、甘んじて触れられてくれているアレクに言葉を続ける。


「話があるんだが、少し時間をもらえるだろうか」


 そう、これからが本題だ。


「はい、大丈夫です」

「居間にいるから、きりの良いところで来てくれ」

「わかりました」

「ありがとう、待ってる」


 大人びた表情で、瞳が柔らかく細められた。



 そうして俺は、先に居間へと戻った。


 何というのが正解かは分からないが、アレクは随分と落ち着いていて。どうも子供らしさが欠けているような気がするんだよな。手間はかからないが、こう、なんか違うんだよな。

 辺境にいると子供とは縁遠いのだが、王都に邪魔すると騎士団や孤児院に行くことはある。

 そこの子らとアレクは、差異がありすぎると感じるのだ。騎士団の従士や従騎士たちは、皆やんちゃで負けん気が強い。孤児院の子らは、皆様々だが、それでもいつも元気だし、堅苦しくない。


 アレクは……、なんかまだ俺との距離を感じてしまう。

 意識してそう思うと、なんだか寂しい気持ちになってきた。


 だめだ。

 気を取り直して、気持ちを上向きにする。


 今から大事なことをするのだから。

 俺たちにはまだまだ時間がある。

 絶対にもっと打ち解けてみせるぞ。


 そのようなことを考えながら居間で待っていると、アレクが小走りでやってきた。少し伸びた髪が緩やかに揺れ、小綺麗な服を品良く着ている。とても落ち着いている。

 うーん、貴族の子供と考えればそういうもんかね。



 俺は思案を切り上げて、布に包まれたそれを箱から取り出した。


「これは?」

「アレク、これはお前のだ」


 俺からそれを受け取ったアレクは、丁寧に布を開いていく。

 俺が散々悩んで作ってもらった特注品が姿を現した。


「剣だ……!」


 アレクが瞳を輝かせる。いつもよりも声も大きく、表情には驚きと喜色が溢れている。

 これだ、こういう子供らしい反応を見たかったんだよ。

 嬉しくて思わず顔がほころんでしまう。


 少し無骨な鋼色の装飾に、濡羽色に近い手馴染みのよい革を貼った柄と鞘。柄は滑らないようしっかりと加工もしてもらった。柄のガード部分には青い宝石が嵌め込まれている。

 本当に悩み抜いて選んだ素材を惜しみなく使用し、王都でも一二を争う腕前の鍛冶師に誂えてもらったとっておきのショートソードだ。


「まだ小柄なお前には、軽くて取り回しの効くショートソードがよいと思った。年齢を考慮すると、長く使えるだろう。よかったら使ってほしい」

「いいのですか? こんな良い品を」

「ああもちろんだ。お前のために良い品にした。よかったら抜いてみてくれ」


 アレクはこくりとうなずくと、ゆっくりとした動作で慎重に柄に手をかける。

 鋭く澄んだ音を立てて、刃は抜かれた。


 それは職人の髄が施されており、怜悧な輝きを湛えていた。美しさにため息が出そうになる。鋼色の細工も青い宝石も涼やかな色で瀟洒に見えた。刃渡りは短いながらも、アレクを支えるに足るものとなるだろう。


「僕でもこれは素晴らしいものだということが分かります。ありがとう、ヴァル。嬉しいです」

「そうか。お前には良いものを使ってほしいし、喜んでもらえたならなお良かった」


 アレクの素直な言葉に、面映ゆくなる。

 アレクの頭に、ぽんっと手を乗せた。


「それにその、俺もお前のために見栄を張りたかったんだよ」

「大切にします」


 喜びだろう感情で高揚したアレクの表情は、俺に嬉しさと満足をもたらしてくれた。

 俺が用意してものでこれほど喜んでくれるとは。

 悩んでよかった。用意してよかった。心からそう思う。


 試しにと、腰のベルトに細かいベルトを付け足して、帯剣できるようにしてやった。

 作業のために膝をつくと、アレクの顔が近づく。

 目が合うと、柔らかく笑んでくれた。普段の大人びた表情は鳴りを潜め、愛らしく無垢な笑顔だった。


 俺も微笑み返して、ベルトに鞘を固定する。

 外れないよう少し力を入れて、留め具を確認した。大丈夫そうだ。


 今まで使っていた短剣は、その反対側に鞘を回しいつでも使えるようにする。

 この短剣は俺のお古だったが、存分に役目を果たしてくれていた。小さな魔物とも十分に戦えたし、これからも解体や野営の準備、他にもいろいろなことに使えるだろう。


「これで大丈夫だ。どうだ、違和感はないか?」

「はい、大丈夫だと思います」


 アレクは、俺の質問に頷くと、腰に佩いた剣を見て嬉しそうに見下ろしている。

 紫がかった青の瞳は、宝石のように輝いて見えた。

 そうして、大事そうに鞘を撫でた。


「明日手入れの仕方を教えてやろう」

「本当ですか? ありがとう、ヴァル!」


 ふわりとした頬を指の背で撫でてやる。

 少し驚いた後、アレクはくすぐったそうに笑った。



 師匠から初めて貰った剣は、俺にとって特別で格別だった。

 その気持ちに近い思いを、アレクは抱いてくれただろうか。


 もしそうだとしたら、とても喜ばしい。


 俺はアレクの師として、第一歩を踏み出せただろうか。

 教えられることを無駄なく教え、授けられるものを惜しみなく授けたい。

 俺は彼の師として誇れる人物でありたい。

 そう切に思った。


 俺たちは勇者の運命からは逃れられない。

 そうであるならば、その道が少しでも本人にとって意義のあるものであってほしい。

 自身がいてよかった、存在してよかったのだと、アレクには思える未来を勝ち得てほしい。


 この剣が彼の助けにならんことを、女神に願うばかりであった。

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