第三話
メディアナのやつは早口で説明を終えると、エルと一緒に転移陣からサフィラ教国へ帰っていった。
メディアナの苛烈のかの字も引き継がなかったエルは、へらっと笑いながら「ヴァルおじさんまたね」と可愛らしく手を振っていた。
神殿で大事に育てられているエルは、明るくて感情も豊かに育っている。
治癒師としても優秀な兆しが見えているそうだ。
忙しいメディアナはあまり相手をしてやれないと言ってはいたが、様子を見る限り良い環境にいると思う。
ただ可愛げがあるのはいいんだが、俺のことをおじさんって呼ぶんだよな。
俺まだ二十七だぞ……と悲しみに暮れつつ、目の前の勇者をどうしようかと俺は溜息をつく。
目の前の勇者――アレク少年は、ふぅふぅと牛乳に息を吹きかけていた。
温めた牛乳をカップに移し、砂糖を少し入れてやった。俺は残った紅茶を飲んでいる。
メディアナが受けた神託は、簡単に言うとこうだ。
勇者アレクを次代の魔王が誕生するまでに鍛えなくてはならず、その師に先代の勇者ヴァル――つまり俺を名指しで指定してきたのだと。
なんでも俺は強くなりすぎてて、魔神から女神に「ちょっとバランスというものを壊しているから、そっちももう少し苦労して」と文句があったらしい。
意味がわからず「協定みたいなのがあるのか?」とメディアナに尋ねると、肩をすくめていた。
どうやら、もっとややこしい関係らしい。
それで、二人の神が話し合った結果、一旦仕切り直しと銘打って魔王は先代の力を全部引き継ぎ、勇者は先代を師事し鍛錬を積む、ということになったのだとメディアナもやや頭を抱えて話していた。
このメディアナが困惑する女神って、いったいどんな感じなんだと思ったけれど、聞いても話させても不敬だろうと互いに口を噤んだのだった。
俺が師になって強くしろだぁ?
つまり、俺一人でこいつを育てろってことだろ?
身勝手過ぎない? 女神さま……。
俺が勇者として王都に連れて行かれた時は、十二歳だった。
それまではヴォールファルト王国の片田舎で両親、妹と暮らしていて、質素だが平和で暖かい生活だった。
出てきた王都でだって周りの皆が良くしてくれて、衣食住にも訓練内容にも困らず、良い日々を送らせてもらえた。今でも感謝している。
俺は本当に恵まれていた。
習ってきた座学だって、優秀な先生がたくさんいたから多くの知識を得られた。剣やそれ以外にたくさんの武器が使えるのも、師匠をはじめ多くの師のお陰だ。魔法だって同じだ。
皆に何かしらの損得勘定がなかったとは言わない。
それでも俺は、俺が勇者たり得たのは、皆のお陰だと思っているんだ。
その皆の優しさに、魔王が俺より弱かったせいで待ったがかかるのは、正直気に入らない。
もしまた勇者を育てろと言われたら、皆、俺と同じように良く勇者を育ててくれるだろう。
勇者としてだけでなく、一人の子供として。
正直、そうできるなら絶対にその方がこの子にも良いと思う。
それができない状態で、俺一人が勇者を育てる?
俺が親代わりをやれってことだろ?
俺は子育てなんかしたことないんだぞ?
ちょっと無理が過ぎないか、女神さまよ……。
今八歳のアレクが俺と一緒にこの辺境で暮らす。
――それもどうなんだ?
俺が田舎から出てきたよりもだいぶ小さい。
環境を考えて、王都に移るか?
……いや、だめだ。
今の俺の周りには、俺を育ててくれた人たち以外に、討伐の結果を見てすり寄って来た連中が多すぎた。俺の結果を見た連中が、アレクに先んじてすり寄るなんて目に見えている。
どうしたらいいんだ……。
「あ、あの……」
口をつけていたカップをテーブルに置き、恐る恐るといった様子で、アレクは口を開いた。
俺は一人で考え込みすぎていたみたいだ。アレクの方を見やる。
アレクの頭の動きに合わせて、さらりと銀の髪が揺れる。
瞳は、純真さを表すようにキラキラとしていた。
「勇者さまはとてもお強いと聞きました。あと、お優しいと、メディアナさまが。僕頑張りますので、よろしくお願いします」
うぐ、メディアナ、お前、なに期待を煽るようなことを……。
「あ、ああ、こちらこそよろしく頼む。俺はもう勇者じゃないから、俺のことはヴァルって呼んでくれ。な? 勇者アレク」
「ヴァル、さま……」
「ヴァルでいい、様はいらねえよ」
「じゃあ、……ヴァル」
「ああ」
少し気恥ずかしげに俺の名を呼ぶアレク。
なるほどな、口振りからするとアレクはいいところの坊ちゃんなのか。行儀が良いのはそういうことな。んー、ここで生活させて大丈夫なのか?
だがよくよく様子を窺ってみると、不満はなさそうだった。泣きそうという様子もない。受け答えもしっかりしている。
知らないところにいるという緊張と、ありはするだろう不安は感じられるが、概ね好意的なようだ。よかった。
俺の話しかけにも一つ一つ丁寧に答えてくれる。
愛らしく微笑んで細められた紫青の瞳は、美しい色をしていた。
気になると言えば、親について尋ねたら「頑張って来いと言われました」と、バツの悪そうな雰囲気で答えたことだった。
なんだ? 無理やり連れてきたのか? ……いやまあ嫌だと言ってもどうにもならないことだもんな。
今度メディアナに確認しよう。
そのような感じで、話してみた印象としてはアレクは賢くて聞き分けが良いようだった。
俺に対しても緊張はしているが、嫌には思っていなさそうに感じたな。
これなら大丈夫か。
手探りにはなるが、他人と協力してはだめと言われてないし、十年あるんだもんな。
焦らず丁寧に進めていって、場合によっては都会に出よう。
そう方針を決めれば楽なもんだった。
こうして俺は、次代の勇者アレクの師、そして養父となったのである。
◇
それから始まった勇者育成という名の子育ては、まあまあ順調に思えた。
俺が削り出した木剣を持たせたり、弓矢を渡し狩りに連れて行ったりした。
アレクは飲み込みが早く、できることに一喜一憂する様を微笑ましく見守った。
成長が楽しみだというのはこういうことを言うのか。
メディアナやラオーシュからは本が届けられ、歴史や戦術、魔法の座学も進めていく。
俺を教えてくれた先生に感謝しながらの手探りにはなるが、一つ一つ吸収していくアレクは手間がかからなかった。親馬鹿という類ではなく、本当にアレクは優秀な子供であった。
ただ俺一人では軽いところしかできなさそうだから、問題ない範囲で先生たちを頼りたいと思うようになっていた。
いずれ旅をするからと森で野営をしたし、飯も作らせた。森での過ごし方、野営のコツ、少しずつ伝えていく。飯は……、もう少し練習が必要だな。
動物や魔物も解体できるようになって欲しいので、狩りの獲物は俺が説明しながらばらしている。少しずつ手伝ってもらっているから、すぐにコツを掴むだろう。
魔物が倒せて解体できるようになったのなら、冒険者としてギルドに登録させてもいい。冒険者としても将来が楽しみだった。
村の人たちにも紹介した。じいさんばあさんたちは孫ができたかのように喜んでくれた。
アレクは可愛がられるのに慣れていないのか、とても恥ずかしそうにしながらも、村に馴染んでいった。
小さくはあるが、とても恵まれた環境だ。
皆に感謝したい。
ひと月、ふた月など瞬く間に過ぎ去った。
着実に剣の腕は上がり、アレクの才能に感嘆した。森や山での狩りも、小型の魔物にも臆さず一人で自身の獲物を狩れるようになった。
雉や野ウサギであれば一人で捌けるようになり、アレクの器用さに驚きを隠せなかった。
俺は子供の成長を舐めていた。
早晩、俺一人では教えきれなくなるだろう。
辺境の冬は雪深くなる。その間は王都に行ってもいいかもしれない。
村に関しては定期的に様子を見に戻ればいいだろう。そのための転移陣だ。
そんなことを考えながら、更に一つ月が過ぎ――。
「よし、そうだ。もう一回。いいぞ、適切に振れている」
俺の声に合わせて、アレクが木剣を振る。
小柄ながら体重をうまく乗せて切り込んでくる様を見て、基礎ができていることを褒めた。
俺からすると軽すぎるものではあるが、丁寧にアレクの調子に合わせながら打ち合わせる。
森の中での打ち合いは、足の踏み場一つで何もかもが変わる。
足場、木々の幹、下枝、下草、そのすべてが妨げにも助けにもなるのだ。アレクは小柄な体格を生かし、俺の死角を突いてくる。技術としてはまだまだ拙いが、状況を見る目もあるようだった。
それから何度か打ち合った後、俺は自分の木剣を下げた。
「休憩しようか、アレク」
軽く肩で息をしているアレクは、ふぅと一つ息を吐いた後、こくりとうなずいた。
まだ小柄で体力の少ないアレク相手に、俺が打ち合いをするのは思った以上に気を遣うことだった。
アレクに汗を拭くための布を渡し、カップに水を汲んでやる。カップをそのまま片手で握り、生活魔法を使用する。魔法で温度が下がり、瞬く間に冷たい水へと変化していった。
それを受け取ったアレクは、冷えた水を美味そうに飲み干した。
「アレクは呑み込みが早い。基本的なことは一通り身につけられたな」
「ありがとうございます」
嬉しそうに、面映ゆそうに微笑むアレク。
この調子ではすぐに俺の説明だけでは物足りなくなるだろう。
かと言って、俺相手にだけ打ち合っていても何も進歩しないだろう。
何せ、相手は魔物、魔族、そして魔王だ。
俺の実技というのが次の段階なのだが、連れて回るだけではアレクにとって良いこととは思えない。
どうしようか。
師匠に会わせるか、それともラインハルトか。
騎士団の練兵に混ぜてもらってもいいかもしれない。もし遠征などがあるなら混ぜてもらえば、小競り合いとはいえ最前線だ。
アレクにさせてやりたいことが多数あった。
俺が子供の頃の皆の気持ちはこうだったのかもしれないな。
しかしここで考えていても仕方がない。俺は思考を打ち切って、アレクに声をかけた。
「今日はそろそろ家に戻ろうか。帰り道、薪になりそうな枝を拾ってから帰ろうと思う。手伝ってもらっていいか」
「はい!」
先程の疲労を感じさせない声で、アレクは返事をする。
俺には勿体ないくらいできた子供だ。
アレクの頭を数回、軽く叩くように撫でてやると、俺たちは家への帰路についた。
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