第二話

 ぼやくラオーシュの相手をした日から数日たった。

 あいつは二日酔いの頭を抱えて、転送陣に消えていった。また王宮でいろんな圧力に苦しみながら、大量の本と書類に埋もれてるんだろう。


 今日は、森の少し奥に魔物が出たというので、それを狩りに行った。ワイルドボアだったので、肉も持ち帰る。少し干し肉にして、柔らかいところは村のじいさんばあさんに分けてやろう。


 そんなことを考えながらボアを担いで帰宅したら、家の中から俺を呼ぶ声が聞こえる。

 俺の名を叫びながら、家の中のドアを開けて回っているようだ。


 勘弁してくれ、何かあったのか?


 嫌な予感しかしなくて、庭とは名ばかりの玄関前にボアを置き、できる限りでかい声で呼びかける。


「俺は外だ、出てくるか、居間でちょっと待ってろ」


 そう言いながら、外の作業台脇でブーツを手入れをしようとしたその時。


 バターンと大きな音で我が家の扉が開かれる。

 うげぇ、壊すんじゃねぇぞ……。


「ヴァル、どこ行ってたのよ!」

「うるせー! 来るんだったら、お偉いさんらしく、先触れの一つくらいよこせっての」


 燃えるような赤毛を振り乱し、オーガの如く立ち塞がる。

 元聖女さまで俺の魔王討伐仲間、現サフィーア教会――通称神殿の高位神官メディアナだった。

 俺と同じでそろそろ三十路だっつーのに、なんつーか……黙ってりゃ愛らしいし、まだ美少女って言われても納得いくんだが、相変わらずの性格だな。

 さすが、“”メディアナ。


「あのなぁ、ラオーシュといい、お前といい、こんなど田舎にぽんぽん遊びに来てんじゃねぇよ」

「遊びにきたんじゃないわよ、大事な話! それとも何、ちゃんと手順でも踏めば、あんたがサフィラの神殿本部かヴォールファルトの王都まで来てくれるの?」

「行かねぇよ! 行くわけねぇだろうが」


 棚から手入れ道具の入った箱を下ろしつつ、できるだけでかい声で怒鳴り返す。

 こいつにゃ少しでも弱さを見せると畳み掛けられるからな。こんなでかい声、久々に出すぞ。


 ちなみに、サフィラというのは神殿本部があるサフィラ教国のことだ。彼女はそこで高位神官の地位にいる。俺やラオーシュが住むヴォールファルト王国とは隣国で、国交も友好的だ。


 ブーツの手入れを終えた俺は、脇においてあった浅い靴に履き替え、ブーツは風通しのいい場所に置いて風に晒す。手入れはすぐにしておかないと、駄目になりやすい。手入れ道具も棚に戻した。

 それから手を洗って、干してあった手拭き布で拭きながら、不機嫌そうなメディアナの方を見やる。

 今の俺はうんざりした顔をしてるだろうな。


「どうした、魔王のヤツもう復活したのか?」

「復活じゃないわよ! あんた、ラオーシュに何吹き込まれたの」

「ラオーシュじゃねえよ。目覚めたばかりで前と同じ強さなんて、普通に復活だと思うだろ」


 メディアナは不服げに顔をしかめた。可愛らしい顔も、美しい紫紺の瞳も歪む。

 こいつは気に入らないとすぐこの顔をする。


「その顔やめろって。かわいい顔が台無しだ。にっこり笑って裏から潰せって、いつも言ってるだろ」

「あんた相手にカワイ子振っても意味なんてないし、腹芸だってやる気もないわよ。そういう冗談はやめてよね」

「そりゃすまなかったな」


 悪びれずに言葉だけ投げかける。

 こいつなりに俺相手には素で接してくれるし、そうできる数少ない相手の一人には加えてくれているんだろうな。二つ名どおり苛烈なところはあるので相手をするのは大変だが、心地よい苦労だと思っている。


 そんなことを思いながら、短い外套を脱いで叩き、上着からも葉屑や砂埃を落としておく。これもしておかないと、家が汚れるし埃っぽくなってしまう。

 斧と鉈を腰から外して玄関脇に立てかけ、手拭きの布で顔の汗を拭った。


「あ、悪いんだが、お前、洗濯物取り込んでくれないか?」

「はいはい。私にこんなことさせるの、世界を探してもあんたくらいよ」


 呆れたように言いながら、干場に向かってくれる。


「身綺麗にするなら、洗浄魔法を使えばいいでしょうに。そっちの方がすぐでしょう?」

「あー、そうっちゃそうなんだが。頼りすぎると使えなくなったりしたら困るだろう? 使えることを当たり前にしちゃあ駄目だ。だから普段は魔法は使わずに過ごしてるんだよ」

「はぁあ、そりゃあ、なんというか清貧な心がけですこと。あんた、そういうとこ真面目よね」

「そりゃどうも」


 言いたいことは分かるけどねと肩をすくめながら、メディアナは続けた。


「魔導具もほとんど使ってないみたいだし、たまにくる手紙も手書き。今なんて魔力を込めれば、声だって様子だって届けられる時代なのに……」

「俺がそれに慣れたら、じいさんばあさん相手する時もそれが前提になる。魔導具使わずに火を付けるとか、水を用意するとか、ここじゃあ大事なことなんだよ」

「たしかにね。……あんたってほんと人の為に生きるのが苦じゃないのね」

「それはお前らだってそうだろ」


 でなきゃ、こんなど田舎まで俺に会いには来ないだろうと思ったけれど、口には出さなかった。

 乾いた洗濯物を抱えたメディアナを連れて、家へ入る。

 暖炉の手前のソファを指し、そこに置いてくれと伝えると、種類を分けながら置いていってくれる。口から出てくる内容や話し方とは違って、基本的には丁寧で気遣いのできる性格なのだ。


 その間に、俺はメディアナのために紅茶を準備する。彼女が普段飲んでいるものよりも質は下がるが、確か村の雑貨屋のばあさんにもらったいい茶葉だ。

 俺用にはコーヒーを淹れる。


 メディアナは、取り込んだ衣類の一つ――俺の下履きを握りしめながら、引き続き憤慨していた。


「あんたが田舎にひっこんじゃったから、上の方の連中はだんだん勇者っていたっけ? みたいな雰囲気になってるところがあるのよね。納得がいかないわ。

 今までの勇者は討伐後も名を残す立場にいたから、歴史にたくさん残ってる。場合によっては次代に向けての準備をしたり、得意な分野の上層部に居座ったり、報奨金を使って経済回したり……」


 メディアナが何とも言えない顔で睨んでくる。

 それ、俺の下履きなんだけど……と言っていいか悪いか読めない俺の様子は、無視されている。


「あんたなんて、王女様と結婚して侯爵って話まであったのに。リリエッタと仲良かったのに、なんでよ……」


 リリエッタの話、お前まだ根に持ってんのかよ。


「あのな、たしかに俺とリリエッタ王女は仲良かったよ。友達としてな」

「でもあの子はそうじゃなかったでしょ!」

「そうだが、それでも恋愛感情ではなかった。あれはただ『勇者』だから『魔王を倒した』から、ちょっとのぼせただけだ。周りからも色々言われただろうしな。それでもどう考えたって、幼馴染みで長く婚約者だったヘンドリクスとの方が互いに幸せになれた、そうだろ」

「それは……、そう、だけど」


 まあメディアナの気持ちは俺なりに分かっている。

 神殿関係者で上の方の立場の人間は、結婚しないことも多い。メディアナもする気がないのだろう。でも、人の結婚、特に親友のように仲のよかったリリエッタ王女の気持ちは応援してやりたかったのだろう。

 俺の気持ちは丸っと無視されているがな。

 俺は王女リリエッタの友人ではあったが、公爵家嫡子ヘンドリクスの友人でもあったのだ。あの二人を裂こうなんざ、一欠片も気持ちがわかねえよ。


「今の幸せそうな二人を見れば、間違いじゃないって俺は言うよ」

「……じゃあ、なんであんたは独り身なのよ」


 そう言ってくるメディアナは不服そうだ。

 柔らかそうな唇を尖らせて、俺を睨んでいる。


「んー、そりゃあ必要ないからさ。王都にいた頃はそれなりに遊んだし、もういいかなって思うしな。俺はここでの生活も気に入ってるんだよ」


 俺が住んでいるのは、辺境も辺境の山の中。

 二十分くらい山道を下ると小さな村があるくらい。

 村はじいさんばあさんばっかり住んでる、まあ不便な村だ。


 『勇者』って肩書は、便利なことも美味しいこともたくさんあったけれど、それ以上に面倒なことが多すぎた。

 魔王討伐のあと、何年かは王都に滞在したんだが、嫌気が差して旅に出た。

 しばらく冒険者をして金を貯めながら各国を回り、ひとしきり堪能したからこの辺境に来て家を建てた。

 というか、もう少し奥まったところにある洞窟に住んでたら、俺の生体魔力を追ってきたラオーシュとメディアナに見つかって、家を建てられた。


「急に旅に出るし、連絡がなくなったと思ったら山中の洞窟に住んでるし、あんたやることが突拍子もなさすぎるのよ」

「そうかなぁ」


 魔王倒して、報奨金が出て、両親に家買って、旅の間に世話してくれた人たちに礼もして、やることなくなっちまったんだよな。

 だからあとはのんびり過ごせればいいかなって、そう思ってたんだけど……。


 立ち話もなんだからとメディアナにテーブル脇の椅子を勧め、飲み物を出しながらそれを話してみる。

 それを聞いた彼女は、


「はああ、なにそれ、おじいちゃんになっちゃったの? 大司教様だってもっと若々しいわよ」


と、盛大な溜息をついた。


 大司教のじいさんは俺が子供の頃からじいさんだったが、魔法がとにかく強かった。回復魔法とか強化魔法とか教わるのかなって顔合わせに行ったら、小競り合いしている魔族領まで転移魔法で飛んでいって、神聖魔法と水魔法で荒野にでかい湖を作ってた。

 あんだけ強けりゃ、そりゃ今だって元気だろうって思うな。

 いや、年取って少しは落ち着いてくれなきゃ魔族かわいそうだなと、子供の頃に思った気持ちを改めて思い直した。


 そんな大司教の愛弟子がメディアナなわけで、彼女の強さには納得がいくばかりだ。


 喚くメディアナを尻目にソファで衣服を畳んでいると、彼女が勢いよく立ち上がった。


「まあいいわ、だったら尚更よ」


 そう言って、通信用魔導具を取り出してどこかへ連絡を入れ始める。


「ええ、そうなの……、ええ、そう、……すぐに対応して! ありがとう、頼んだわよ」


 通信を終えたメディアナは、奥の部屋――転移陣が描かれている部屋に入っていった。

 我が物顔だなと呆れつつ、畳んだ衣類を衣装棚へとしまい、俺は少し冷えてしまったコーヒーに口をつける。


 奥の部屋に魔力が集まる気配がしたかと思うと、また大きな音を立ててメディアナが扉を開いた。


「あんたの生活に目的をあげるわ。女神様からのご指名だから、拒否は許さないからね!」


 彼女の後ろには、二人の子供が手をつないでついてきていた。

 一人は焦げ茶の瞳と薄褐色の髪をした少年で、俺も知っている。王都の教会前に捨てられていたのをメディアナが引き取って育てているエルだ。神殿本部で治癒魔法とか補助魔法とかを学んでいる最中だ。

 もう一人は、初めて見る。銀髪で紫がかった青の瞳の……男か女か分からんが、可愛らしい感じの子供だった。


「ヴァル! この子を、あんたの半分くらいでいいから強くしなさい。期間は十年よ」


 凛々しい顔で横暴なことを言うメディアナ。

 十年? まさか……。


「こいつが次の勇者か……?!」

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