第5話 置いてきぼりの心
三月上旬に彼が高校を卒業し、新生活準備が整った部屋へと何度か足を運ぶ。これ迄同様、緩やかさを保ちつつ、求められれば応じる日々を続けながら。
出かけた日の夜は、彼の腕に抱かれていた時間を反芻するように物思いに耽る。
髪に、頬に、首筋に触れるしなやかな指。
頂きに、窪みに、隙間に伝う汗を拭っていく舌。
じわりじわりと侵食してくる彼の全て。
身体を重ねる度に我知らず新たな発見があり、そこから得られる感覚はたまらなく心地良かった。
ただひとつを除いては。
ミツルからの連絡は、二月以降、音沙汰も無い。
手堅い公立に進学したのか、我が学園を選択したのかもわからぬまま、私の新年度が始まった。
勘だけが頼りの一年間に知識と経験が加わり、上下に挟まれる居心地の良さとやがてくる進路決定の重圧に悩まされる、二年生。
梅雨の走りでぐずつく空模様にどこか我が身を重ねて部活へ向かうと、入部希望だという一年生の姿があり、これ以上ない衝撃を受ける。
「先輩、約束通り来ましたよ、覚悟してください」
彼との関係は順調に続いていた。
が、どうしても納得できないものがあった。
心だけが、置き去りのままで追いつかないのだ。
その理由はわかっていた。
受け入れる勇気がなかった。
上手くいく筈と思いこんだ日々はやはり幻想でしかなく、現実は脆く儚く崩れ去っていく。
なのに、この不甲斐なさに嫌気がさすどころか安堵すらしている事実を、ミツルに会ったこの瞬間に確信してしまった。
私はとんだ裏切り者だ。
かつてのミツルの言葉は、どう足掻いても覆ることはなかった。
恐らく、私の中で運命というものが決定的となったバレンタインデーの偶然の遭遇。あれが有ろうが無かろうが結果は明らかなのに、自分の心に蓋をし、気持ちを誤魔化してここまで彼を利用した。
こんな私では彼を苦しめる、以前に私が苦しいなんて自分勝手な話。
そして漸く、梅雨明けを目前とした曇天の下で彼に別れを切り出した。
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