第3話 甘くて塩っぱくて
点けっぱなしのテレビでは、寺の本堂に立ち並ぶ有名人が節分の掛け声と共に豆をまいていた。
英会話教室でも何故か毎年豆を食べていたな、とあの頃を懐かしみ立春を迎えると、先んじて行われた私立高校の受験を終えて気が緩んだと思われるミツルから、
⇒ 友チョコならぬ、部活チョコください
などと、謎の連絡が頻繁に届くようになる。
当然、相手をするつもりはなく見事にスルーを決め込み、時に『全集中せよ』とキツく
二月中旬になると学年末試験が行われ、この日は勉強会と称して彼と会う約束をし、駅からふたりで自由登校となった彼の家へと向かう。
実際は別の目的が有るわけだが、後ろから掛けられた声にその疚しさを見透かされた気がして、心臓がドクンと飛び跳ねる。
「お、コウタじゃん、女子連れて何してんの?」
「うおぉっ! ミツルか、脅かすな、バカ! いま試験中だから、勉強見るんだよ。お前こそ、こんな真っ昼間に何ブラついてんだよ」
「今日まで三者面談で早いの、知らないの? 美しい兄妹愛は薄っぺらいもんだね……って、おや〜? コウタには勿体ない美人さんだ、はじめまして、彼女さん、だよね?」
彼と慣れた口調で話すミツルが初対面のように振る舞う様子に動揺しつつ、彼に気付かれぬよう笑顔の裏にひた隠してそれに合わせる。
「こんにちは、コウくんのお知り合い?」
「近所の中坊。俺が地元の中学に進まなかったからか、小学生時代のままで今でもタメ口、生意気なヤツ。気にしないでいいから、行こう」
「やだね、今日びの高校生は。そんなに色ボケかましてると、推薦取り消されるんじゃねーの? いっその事そうなればいいのに、ざま」
「おぉい、受験生はさっさと帰って勉学に励め!」
「いたっ、暴力反対っ! じゃあね、彼女さん。襲われないように、くれぐれも気を付けて」
視線をチラッと合わせてそう言うと、ミツルは満面の笑みで私達を抜き去っていった。
何だろう、胸の奥にモヤモヤしたものが渦巻く。
これまで居合わせる機会がなかったから当然だが、二人が名を呼び合う仲だったとは初耳な上に、あの『初対面対応』。
「どうした? 行くよ」
「あ、うん、待って」
何故あんな態度をとるのか。
得も言われぬ感情がせり上がるのをこらえて、彼の後について行った。
自転車を押してもらい、整頓したばかりだとハニカんで暴露する彼の部屋へあがり、名目通り問題集と教科書を広げる。
試験は残すところ英語と歴史のみ。
特に苦手な英語について勉強のコツを教わりながら、持参したお菓子を渡す機会を伺う。
「頑張ってチョコマフィンを焼いてみたの。お口に合えば良いけれど」
「絶対美味いに決まってる! ありがとう」
この上なく嬉しそうに笑う彼の手がそっと重なり、見つめ合った視線を互いに落とし口づけを交わすと、続けて彼が遠慮がちに尋ねてきた。
「さっき、元気なさげだったから、どうしたのかなと思ったんだけど……」
ミツルと
そんなつもりは無かったが、消化しきれない何かが態度に出ていたようだ。
「その……デコピンしながら楽しそうに話してた感じが、何ていうか、余り見たことない姿だったから……」
「それは、さぁ! 生意気なガキへの態度とは違って、その、彼女の前ではカッコつけたい男のサガというか……え、もしかして、知らない一面見せたからちょっと妬いた……的な?」
「さぁ、それはどうでしょう?」
ツン、と顔を背けて意地悪く惚けてみせると、わたわたと慌てふためきだした。その収拾がつかない男心の面白さに思わず吹き出すと、彼は頭を掻きながらマフィンに手を伸ばして漸く着地点をみつける。
「早速ですがいただきます、むぐむぐ……おー、丁度いい甘さ。ほら、一口食べて」
試作を味見済みだが言われるがまま口にし、好みに合って良かった、と視線を合わせると、不意に彼の顔が近付いてマフィンの油分で艷やかになった唇が再度重なり、次に互いの甘みが口いっぱいに広がっていく。
「がっつき過ぎだとわかってるけど……いい?」
おでこをつけて私の頬を包む彼が気弱げに呟く。
漸く来たか、と覚悟を決めて一つ呼吸を置く。
「受験生の妹さんは、お出掛け?」
「塾に行った。夕飯時に帰ってくるけど、また出掛けるって。母さんは仕事だから、暫く誰も居ない。嫌なら言ってくれて―――」
彼の口元に人差し指を当てて首を横に振り、視線を合わせて先程の問いに応えるようにひとつ頷く。
優しくベッドに促され、これまでにないキスが息苦しくなる程に止めどなく続いていく。辿々しく衣服を脱がせ合っては、もどかしいながらも二月の寒さなど吹き飛ぶ程に火照る身体で抱き合い始めた。
自身と異なる温もりの人肌が、触れ合っては離れて、また触れ合って―――。
「…いっ……ぅん…」
「ごめん、痛い? ツラい?」
「そう言ったら、終わりなの?」
「無理強いはしたくない……けど」
「大丈夫よ、続けて……」
彼の動きに合わせてベッドの軋む音が次第に激しくなる。
聞き慣れない声が我が口から漏れ出して思わず押さえる。
初めての経験には悦楽が微量だった。
だからなのか?
こんな時に限って、これが世にいう男女の営みなのかと、何処か別の世界から覗いているような俯瞰的な感情が湧き上がってきた。
◆ ◆ ◆
「せめて駅まで送るのに……」
「今日は両親の帰りが早いし、ギリギリ陽も落ちてないから大丈夫よ」
玄関でトントンと靴先を鳴らし、振り返る。
「今日はお邪魔しました。勉強、ありがとう」
「いや、こちらこそ! その……」
そう言うと、上がり框から高い背を
「……ありがとう。これからも大切にします」
照れてるのか触れる彼の耳は熱く、囁く声と相まって胸の奥が擽ったくなる。
「じゃあ、また」
「おう、気を付けて」
門扉の前で彼に手を振り別れ、マフラーを引き上げてペダルをこぐ。
西の空には一際輝く宵の明星。
気持ちばかりが焦ってくる。
こぎ出せ、こぎ出せ、もっと速く。
そして、早くあの交差点を過ぎるのだ。
でないと、また会ってしまうから。
塾へ向かおうとする、あの『生意気な』後輩に。
変に茶化されたら今は冷静に返せる自信がない。
それだけ衝撃と驚愕の出来事だったのは事実で。
改めて思い出すと途端に恥ずかしさが込み上げて、それと同時にポッカリと開いた穴が塞がらずにいるような、謎の感覚を覚えている自分がいた。
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