40.ひと騒動Ⅱ
「坊やに何をしているの!!」
その女は青い顔で頭を下げるダグラス君を抱きしめ、俺達を睨みつける。
「すみませんがどなたでしょうか?」
アンジェが尋ねると、「私はこの子の母親よ!」という答えが返ってきた。
面倒なことになった。
アンジェは公爵令嬢、この女は侯爵夫人。一見アンジェの方が格が上に思えるが、厳密に言うと貴族の子供に爵位は無く、貴族の妻はその貴族とほぼ同等の権力を持つので、この女の方が格が上になるのだ。
「そうでしたか。それは失礼しました。」
アンジェの口調は変わらず丁寧だが、後ろ姿には戸惑いが見て取れる。
「この子に何をしたの!謝りなさい!」
女はヒステリックに叫ぶ。パーティーの参加者も何事だと耳を傾けているようだ。
このままアンジェに任せておくのも可哀そうだと思い、俺はアンジェの前に立った。
「アンジェ、謝る必要はない。」
「カルム…。」
「アンドレイと待っておいてくれ。」
そう言って後ろに下がらせる。
「誰よアンタ。」
「私はカルム・フォン・マンダリンと申します。」
「マンダリン?野蛮な男爵家が何の用よ。私はあの娘に用があるのよ!」
女はヒステリックに叫び続ける。
俺の目的は父様たち、ひいてはアンジェの父のクルール公爵がこの騒ぎに気付いて来てくれるまで時間を稼ぐことだ。叫んでくれるのは逆にありがたい。
「どうして彼女が謝らなければならないのでしょうか。」
「なんですって!?」
俺は時間を稼ぐべく話を続ける。
「この騒ぎは、御息子のダグラス君がアンジェリカ嬢に声を荒げたことにより起こりました。それに対してダグラス君が謝っていたのですよ。」
「何でアンタみたいな男爵の子供風情がうちの坊やを君付けで呼んでいるのよ!様を付けなさい様を!」
おっと失敬、これはうっかりしていた。
「ダグラス君がアンジェリカ嬢に謝罪しアンジェリカ嬢がこれを許す、そういう形で丸く収まるところだったんですよ。」
「なっ」
「それを貴女が阻止してしまったのです。アンジェリカ嬢が謝罪してしまうとダグラス君の尊厳を踏みにじりかねません。どうかここは穏便に行きませんか?」
畳みかけるように言うと、女は堪忍袋の緒が切れたようで俺に向かって猛然と近づき手を振り上げた。
俺は内心ガッツポーズをした。いくら貴族としての格が違うとはいえこの世界はまだ男尊女卑社会。貴族の妻風情が貴族家の男子に手をあげたとなると白い目で見られるのは明らかだ。
俺は体の力を抜き、来るであろう衝撃を受け流す準備をする。これはオーウェン兄様に教わった徒手格闘術の一部である。
しかし、いざ振り下ろされようとした時、背後から待ったがかかった。
「暴力はいけませんよ。」
柔らかい口調でそう呼び掛けられる。
振り返ると、そこにはサリア王女がいた。
先程の貴族の格の話は貴族だけに当てはまる物であり、王族はそのどれよりも格が上なのである。なのでこの太った女も王女には口が出せない。
「皆さま、今日はこの国の未来を支える子供たちの成長をお祝いする日です。仲良くしましょう。」
彼女の言葉は、その場に居たすべての人の心に届いた。王族としての威厳ゆえか、それとも彼女の持つ何かが原因なのかは分からない。しかし、彼女の声は人々の心を落ち着け、人々は冷静さを取り戻した。。
冷静になったダグラス母は状況をやっと理解したのか、気まずい表情でダグラス君を連れ何処かへ帰って行き、取り巻きも付いて行った。
「ありがとうございました。殿下のお陰で丸く収まりました。」
俺が代表しそう礼を言うと、サリア王女はにこやかな表情でこう言った。
「いいんですよ。それより、もうすぐお開きの時間です。お楽しみ下さい。では、また後で。」
そう言って彼女は何処かへ去って行った。
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