第三夜
折りにふれ、わたくしはこのように思うのです。
もしも彼女のことを地上に知らせる者がいたならば、はたして人々は耳を傾けてくれたのだろうか、と。
たとえば、深き仁愛と確乎たる正義の心を持つともっぱら評判のローレルキャニオン候。彼に謁見を求め、『月桂樹の森の何処かに未発見のドワーフ遺跡が埋もれており、迷宮と化したそこで魔物どもと友誼を結び共に暮らす少女がおります。どうか彼女を発見保護し、親元へと帰してやってくださいまし』と、そう直願する者があれば、はたして
いいえ、きっと侯はその優しさゆえにご気分を害し、正しさゆえにお怒りになったでしょう。ただ一言『創作にしても悪趣味に過ぎる』とでも吐き捨てるがはやいか、臣下に命じてその者を居城より放りだし、もしかしたならば厄除けの香さえ焚いたやもしれません。
では、彼女の
ああ! 我ながらなんと残酷な発想でしょう!
そう告げた瞬間、きっと母親はくらりと卒倒し、父親のほうはといえば怒りのあまり娘と同様の気狂いと化し、報告者を殺すべく街中を追いかけ回したかもしれません。
それほどまでにふざけた話です。
それほどまでに
しかし皆様。これまで語って参りましたジズにまつわる物語は、まったくの真実。すべてがすべて
……おや、やはり皆様にも信じてはいただけないのでしょうか?
ええ、ええ、いいのですよ。まったくそれでよろしいのです。
なにしろわたくしは詩人。そして詩人は、ただ物語を紡ぐのみ。
そこに寓意や教訓を見いだすも、酒の肴に楽しんで
■
地上の時間に照らし合わせれば、ジズが迷宮に住まうようになってから
そのころにはもうすっかりドワーフ地下都市での生活にも馴染み……と申しますと、いえいえ、これはなにやら些かの違和感、多少の
なにしろ、狂人であるジズは元々迷宮での生活になんら不快を感じてはおらず、どころかその
馴染んだのは、むしろ彼女の友人たちのほうでございます。ジズを中心とした日常に慣れ、多様な仲間と共に生きる中で自らを変革させていったのは 派閥の面々たる魔物どもの方こそ。
あの感動的な命名の日を境に、魔物どもはみるみるうちにその性質を変化させはじめました。
それまでたった一体で生きてきたものがほとんどであるにも関わらず、山羊頭の指示のもとで組織的な働きを見せるようになり、派閥外からの襲撃に際しては種族を超えた連携でこれを排撃しました。さらに驚くべきは、この頃になると山羊頭を介さずに異種族間の意思疎通を成功させる連中さえ現われはじめていたのです。
リザードマンとコボルトが駆け比べのような遊びに興じることがあり、剣歯兎はオークをあちこち連れ回すようになり、白虎の母がジズを甘やかしたがるときは、それに便乗して毛皮に安らぎを求めるものが続出しました。
捕食、天敵、脅威、利害……。
殺伐とした枠組みの中でしか接点を持ちえなかった魔物どものあいだに、続々と芽を吹きはじめているのです。
『仲間意識』とでも呼ぶべきものが。
ですが、そうした共和の外にまるっきり取り残された存在が、ひとつだけございました。
わずかな差ではあるものの、派閥内で最もジズとつきあいの長きものども。鬱然を極める原始林のうちに彼女を見いだし、この迷宮に導いた張本人たち。
あの群体の悪霊どもは、自らの声が誰にも通じぬことに歯痒さを募らせておりました。
かつて彼らが意味不明な衝動の結びに練りあげたジズへの愛着は、その後もむくむくと膨れあがり、いまや白虎の強烈な母性愛にも伍するほど。また、彼女のもとに群れ集う派閥のケダモノどもにもなかなかの親しみを覚えており、とりついた相手に対する底なしの独占欲をまずもって語られる『悪霊』の常識を真っ向から否定するほどの寛容さ。
このように、『仲間意識』に不足はないはず。
では、なぜ?
ああ……それは彼らが死霊であるという、どうあっても覆しかねる本質のために。
死者と生者の間には決定的な隔絶がございます。狂人であるジズや一部の霊感鋭きものどもは、その存在を感知し、その叫びを耳にすることが確かに可能でしたが、だからといってその言い分までもを察するには遠く及びません。
あるいは、彼らがもう少しばかり単純な霊体だったなら、話もまたいくらか違っていたのかもしれません。彼らの派閥には山羊頭がおります。あの万能の悪魔にならば、死者の声を聞き分け、その主張をわきまえることも不可能ではございますまい。
ですが、彼らはいくつもの死霊が寄り集まって混じり合い、凝り固まった
ガナガナ、ガナガナと、もどかしさから悪霊どもが騒ぎたてます。
……しかし、はて、焦慮?
いったい何を焦るというのでしょう?
自分たちだけが仲間はずれになっている、この事態を?
いいえ、そうではありませんでした。
このとき彼らは、仲間の魔物どもに早急に知らせねばならぬ情報を抱えていたのです。
ジズにとりつき、四六時中その傍らに漂う彼らのみが気づいた事実。
彼らが愛してやまない狂人の姫君の身体に関わる、最も重大な事柄でございました。
悪霊どもは決して通じることのない主張を連日叫び続けました。全身全霊を傾けて……と申しましても肉体はとっくの昔に滅び去っておりましたが、ともかく、目一杯の大騒ぎをしたのです。
どんどんやかましさを増していく悪霊どもに、とうとう音を上げたのが山羊頭です。
人間の言葉と魔族の言葉との双方で『必ずや手立てを講じてやるから、今は静まれ』と彼がそう告げると、悪霊どもの
さて、山羊頭はその日のうちに準備に取り掛かります。悪魔にとって約束事が絶対だというのももちろんありましたが、『またうるさくされたら堪らない』という憂慮がまず大きく疼いたのです。
彼はまず力持ちの獣や亜人どもを招集し、返り討ちにした襲撃者の死骸の中から、出来るだけ新鮮なものを選んで拾って来るよう言い渡しました。魔物どもが張り切り勇んで散ってゆくのを見届けると、今度はふわりと高く浮遊して近隣を見渡し、ちょうどいい場所を見出し、それからそこに結界を張り、さらには魔方陣なども準備します。
彼が術式の場と選んだそこに、魔物どもが次々と死骸を運び込みました。
山羊頭が手配した死骸の総数は九十と四。これは、あの群体を形成する悪霊の数とピタリ等しい数でございます。
作業に参加した連中が見物している前で、山羊頭がなにやら呪文の詠唱をはじめます。それは、これまで共に襲撃者を屠ってきた魔物どもですらがはじめて耳にする韻律でございました。
さあ、魔術の効力はすぐさま発現します!
ガーゴイルの死骸がビクビクと
もちろん、襲撃者どもが蘇ったわけではございません。
山羊頭が駆使した呪法は、蘇生ではなく屍操の魔術。これもまた申すに及ばず、中身は死骸の引力と山羊頭の魔力によりひとつずつに分離された、我らが悪霊どもでございます。
悪霊どもは久方ぶりの肉の身体に喜び、しばらくはそれぞれ好き勝手に盛り上がっておりましたが、山羊頭に『あれほどやかましく騒いでしてみせた理由はなんぞ』と単刀直入に問いただされると、ただちに本来の目的を思い出してまたもガナガナ、ザワザワ、ギャアギャアと騒ぎ出します。
最初、山羊頭はただうんざりしてそれを聞いていました。折角面倒な魔術まで用いたのにまたこれかと、彼がそう思うのも当然でございましょう。
ですが、グールどもの叫びの中に同じ意味合いの言葉を発見したその刹那。
彼はくわっと目を瞠ります。山羊の瞳を瞠目させます。
山羊頭は大慌てで派閥の本隊に合流すると、白虎の毛皮で午睡に
事情を知らぬ面々はこちらもまた目を瞠りびっくり仰天しましたが、山羊頭は構わずみなに集合をかけました。
そして全員が揃うのも待ちきれず、悔しい口ぶりで語りだします。なぜ指摘されるまで気づけなかったのかと、いくらか自尊心に傷のついた様子で、先ほど悪霊どもから告げられた事実を皆に話して聞かせたのです。
ジズの腹には
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