第四夜
腹の子の親について、既に皆様もお察しのこととお見受けします。
ああ! 思い出すのも憎々しければ、語るもまた汚らわしい!
無垢な少女を弄び、心を蹂躙し、人生を狂わせたあの外道どもは、それでもまだ足らぬとばかりに哀れなジズのうえに影を落としたのです!
まるで周到に手回しのされた
まるで時限の機構を備えた呪いのように。
……ですが、不幸の種?
しかし不幸とは、はたしてどのようにして成り立つものなのでしょう?
あるいは、この少女がもう少しでも年嵩のいった娘であったならば。曖昧には男女のことも知っており、外道の所業に嬲られてなお、心を狂気から守り抜く気丈さを備えていたならば。
ジズと名を改めることもなく、未だ両親と街に住まっていたならば。
そうした想定の上でならばこれは、確かにこの上なき不幸ともなりましょう。
愛する人々の慰めによりやっと立ち直りつつあったとき、突然現れる懐妊の兆候。忘れかけた手触りと下衆の息遣いを思い起こさせる、悪夢の胎動。
出刃なり鉈なりで、少女は自らの腹を割ったかもしれません。
しかし。
重複を承知で、今一度申します。
ジズは、狂人なのです。街ではなく迷宮に住まい、父母ではなく魔物どもに養われる、彼らの愛する狂人の姫君なのです。
いましも、山羊頭によって派閥の面々に受胎は告げられました。ですが、彼女本人だけはそのことを理解しておりません。
この地の底でジズを庇護するのは、魔物どもだけではありません。狂気もまた、耐え難き現実を歪め、彼女を守っているのです。
ジズがその身の上の不幸を知ることなど、あろうはずもございません。
では、守護者の片一方はといえば?
集まった派閥の魔物どもは、山羊頭のこの報をどのように受け止めたのでしょう?
■
魔物どもは互いに吼え交わし、互いに鼓舞しあいながら、それを目指して走りました。
地底の丘に佇む、古代ドワーフ族の神殿を。
そして気炎高まったそのままに
それまで襲撃に対し逆襲するだけだった魔物どもの、はじめての自発的な
『身重のジズには安静に過ごせる住処が必要にして不可欠』との閃きに対する、極めて簡潔で、おそらくはもっとも合理的な解決方法がこれだったのです。
こうして、古き信仰の痕跡も顕わなドワーフ神殿が、ジズの居城として、派閥の本拠地として定まったのです。
さあ、それからの魔物どもはまたも大変な有り様!
今までに輪を掛け、ほとんど分別というものを忘れてジズに尽くしたがります!
白虎は頻繁に地上へと出向き、樹間を飛び、平野へと走ります。人間どもの牧畜する健康的な家畜を攫(さら)って来ては、まだ死に絶えていないそれらをジズの真ん前に差し出して、『にゃぁう』と、これはもうまっこと言葉通りの文字通り、正真正銘の猫なで声で、かわいい娘に鼻面を擦り寄せます。
剣歯兎は迷宮の小動物を狙いました。殺すために殺すのではなく、ジズと腹の子の糧とすべく数々の命を刈り取ります。リザードマンは地底の大河より魚を
食糧は山羊頭と火を畏れぬ連中により、貧弱な人間の腹でも受け付けられるよう調理されます。しかしその量のあまりの甚大さは、やはり山羊頭を悩ませるに十分。神殿の一室を倉庫と定めて氷雪の結界を
が、自重することを知らぬ魔物どもにより食糧はなおも運ばれ続けるものですから、第二、第三の倉庫は次々と増設されることとなります。
さて、そうした数々の献身のうちで最も感動的なひとつといえば、それはあの九十四体のグールのことでございましょう。
万能の山羊頭さえを差し置いて最もはじめにジズの懐妊に気づいた、あの元悪霊どもの。
派閥の一同がドワーフ神殿へと移住した当初、唯一グールたちだけがそれには伴いませんでした。
山羊頭が用いた屍操の魔術。あれは、単純に手段として一等手っ取り早かったが故に選択されただけだったのですが 悪霊どもにとってはまったく思いもよらぬ僥倖だったのです。
群体として融合してしまった彼らは、生きた術者のお膳立てがなければ、もう二度と分離の叶わぬ存在でありました。形のうえで千切れたりくっついたりは自由自在であったものの、そんなのは一時的に分裂しているだけに過ぎず、分裂したその切れ端にしたって様々な霊の混ざり物。
彼らはこれまでの長い間、単独の他の霊体がそこらの死骸に入り込んでは好き勝手やっているのを、無い指をくわえてじっと見守っているより他になかったのです。
ですが。
成り行きの上で、彼らはいとも呆気なくひとつから九十四への分離を果たし、たとえ一千年彷徨い続けたとしても手にはいる見込みはないととっくのとうに諦めたはずの、肉の体を手に入れていたのです。
グールたちは狂喜し、迷宮中を練り歩く大行進をはじめました。平らな土地も、盛り上がった丘も、大空洞より伸びる数々の地下道も、成り行き任せの衝動任せ、行き当たりばったりに見境なく歩き回ります。
大感激の旅の終着に彼らがドワーフ神殿へと辿り着いたのは、他のケダモノどもより遅れることなんと六ヶ月。はじめは新鮮だった体もすっかり腐敗して、これこそまさに屍鬼という風体になってからでした。
グールたちはジズを探しました。立派になった姿を一目見せたくて、手に入れた舌でひとつ言葉を掛けたくて、腐ったその手でただ一度、愛する彼女に触れたくて。
しかしいざ彼女を発見した瞬間、グールたちは唖然呆然。すっかり気抜けしてその場に固まってしまいます。
白虎の毛皮にもたれかかりうつらうつらと微睡むジズの姿は、確かに彼らの見慣れた微笑ましい情景でございます。ですが、寝息に則してゆったりと隆起するその腹は、既に誰の目にもわかるほどしっかと迫り出していたのです。
九十四体のグールたちは、すぐさま神殿をあとにしました。自分たちの腐った身体が、母子双方にとってよからぬものを媒介すると知って。
そして長き葛藤の末に、なんと、グールたちはお互いを攻撃しはじめたのです。念願の果てにようやく手に入れた肉の身体を、互いに破壊しはじめたのです。
乱闘劇は一昼夜に渡り演じられます。一帯には夥しい量の腐った肉片がまき散らかされ、その終末に、屍の形を成したものは一つとして残ってはおりませんでした。
体を失った九十四の霊たちは、もう一度混じり合ってひとつの群体となりました。再びひとかたまりの悪霊となり、再びジズにとりついて彼女を見守ることとしたのです。
悪霊の常識に則るならば、実に愚かな選択!
愚かで、しかし、なんと見事な自己犠牲でありましょうか!
なぜ? 魔物どもはなぜこれほどまでに張り切り、熱をあげるのでしょうか?
……ああ、それはまったく判りきったことではありませんか。
ジズの懐妊を喜べばこそ、子の無事な誕生を願えばこそではありませんか。
連中のうちに、子胤の主に
愛すべき姫君の
そのための共和と尽力! 邪悪な魔物らしからぬ結束と献身!
ああ、わたくしはなんと愚かな!
これほどまでに想われ、これほどまでに愛される生命を指して『不幸の種』などとは、まったく言語道断の喩え!
魔物どもにとって、腹の子はまさしく
夢のごとき
■
月日はさらに経過し、いよいよジズは分娩のときを迎えます。
十三歳の娘の身体は出来上がりにはほど遠く、陣痛は桁外れの重みをもって彼女を責め苛みます。ですがこればかりは、何者にも代わってやりようがありません。
それまであらゆる苦痛から守られてきたジズが、そしてそうしてきたのは他ならぬ自分なのだと、そう自負する可愛い娘が神殿中に
冷静を保つのは産婆の代わりを勤める山羊頭のみ。しかし、逆に状況を把握しているがゆえに、彼は出産のさなかにあって常に薄ら寒い予感につきまとわれます。
具体的には、死産。あるいは、母体もまたと。
そういったこともあり、無事赤子が生まれ落ちたときにもっとも大きく喜んだのが、実はこの山羊頭でございました。
彼が赤子から羊膜を剥がしてやると、魔物どものどよめきを圧し、高らかな産声が破裂しました。
剣歯兎が自慢の牙でジズと
赤子は女児でございました。ジズと同じ
かくして、三日三晩にわたる誕生の宴がはじまります。
すべての倉庫に貯蔵されていた食糧が一挙に解凍され、神殿の部屋という部屋、挙げ句の果てには廊下や建物の外にまで運び出されます。ケダモノどもはこれを思う存分に貪り食い、もちろんジズには調理されたものがまかなわれます。赤子が腹を空かせて目を覚ませば、山羊頭が彼女に授乳を促します。
白虎はジズと新生児から一時として離れたがらず、剣歯兎もまた同じく母子の足下に陣取って離れません。
オークはへんてこな踊りを即興で披露し、コボルトがそれを真似ておどけます。妖精どもは光芒を描きながら赤子の上を飛んであやし、山羊頭は感激に綻ぶ口元を取り繕うのに大変な苦労を伴いました。
また、二日目の夜にはなんと外部からの祝い客までもが現れるのですが、この客人がなんとも珍妙奇怪!
辺境魔境の探検を生業とする冒険者たちですらが存在を知り得ぬこの地下空洞に現れたその者の姿は、なんとまぁ、身なりよろしい人間の吟遊詩人だったのでございます!
これは余談に過ぎるのでこの者については多くを語らぬこととしますが、その実は山羊頭一の盟友たる魔界の貴族。様々の過去とこれからを見通す、牛頭の悪魔でございました。
さてその贈り物といえば、まず産まれたばかりの赤子には『これからへの祈り』を込めて、宝石のように青ざめた刀身を持つ短剣が贈られました。
これはいにしえの頃にドワーフ族の名工が鍛え上げた逸品で、忘れられた大戦のそのあとで魔界へと持ち去られていた名刀でございます。いかがでしょう、ドワーフ族の地下都市で魔族に取り上げられて生まれた赤子には、これ以上ないほどにうってつけの品物ではございませんか。
対して母親のジズに贈られたのが『過去への報復』だったのでございますが、これがなんとも気分爽快! まったく胸が空く贈り物!
かつてはドワーフ族の神の偶像などを飾ったと見られる祭壇に牛頭が並べて置いたのは、二つの生首です。それぞれ両の眼は恐怖に見開かれており、まるでその地獄の死に際を物語るかのよう。
ああ! これこそこの物語最低最悪のいまわしき外道ども! 産まれた赤子にとっては父にもあたります、ジズを孕ませたあの冒険者崩れの二人組でございました!
物語が良き物語であろうとする以上、下げるべき溜飲は下げられねばなりません。裁かれるべき悪は裁かれなければなりません。この牛頭に、わたくしも語り部として感謝を述べたい気分です!
もちろん、狂人のジズが首の正体に気づくことはありません。しかし彼女はこの贈り物をいたく気に入った様子で、腐敗して肉が落ちたあとも
こうして、多くの者がジズの出産を祝い、赤子の誕生を喜びました。
宴の終わりに 産まれた娘に最後の贈り物がありました。
山羊頭が用意した贈り物です。
三日目の夜、赤子は名付けられたのです。
気高きエルフの女王から名をもらい、オーリンと。
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