第二夜

 皆様もご存じの通り、人類五種族のうち、ドワーフ族はもっとも衰退した一派でございます。

 他種族――そのほとんどは人間族ですが――に紛れて暮らす彼らの姿は各地に散見されますが、伝承のように地下都市に住まう者は、これはもうまったくの皆無。

 どころか、遺跡を目にした経験のあるドワーフは、もはやそちらの方が少数派という始末だとか。


 遺跡、つまり古代ドワーフ地下都市の発見報告は今なお大陸中から相次いでおりますが、その成り立ちや滅亡の謎についての究明は、現代に至るまでほとんど果たされぬまま。

 ですが学者たちの立てる見解や仮説の中には、なるほど、興味深いものも多くあります。

 たとえば、距離的な隔たりのある遺跡同士を比較してみても、内部の構造などに大きな違いがほとんど見受けられないという事実。このことについては、古代ドワーフ族が土地柄や交流を持った他種族からの影響をほとんど民族性に反映させることなく、常に種族固有の文化を尊重してきたと見る向きが有力です。

 また、それぞれの遺跡から無数に伸びる地下道は、実はすべての地下都市を結んでいる大動脈なのだと、そんな仮説を立てる者も一人二人ではありません。

 古代ドワーフ族の民族的結束、その血の絆の、なんたる強固なことでしょう!

 ですが、ドワーフ遺跡の持つそうした共通点の中には、ひとつだけ、ひどく皮肉な表情をしたものもございます。


 これまでに報告されてきた地下都市のすべてが、発見の時点ではもう既に、凶獣魔物の跋扈 ばっこする邪悪な迷宮へと成り果てていたのです。



   ■



 もの狂いの少女が長い長い隧道 トンネルを抜けると、そこには広大な、一見して無辺とも錯覚 さっかくするほどの大空洞がひろがっておりました。

 天井は空のように高く、その高い天壁の下には地下の山脈もかくやと地面の隆起が眺められます。

 壁面には光を発する苔がびっしりとむしており、さながら遙か東国の夏の夜がごとし情景。奥行きもまた果てしなく深く、少女の生まれ育った城郭都市も楽々とおさまってしまいそうなほど。

 かつてはドワーフたちの居住区だったとみえ、半壊のものも含め、石組みの、または岩壁をくりぬいた家々が、そこらじゅうに散見されます。

 古き時代、古き種族の繁栄の残滓 ざんしが、少女の前に横たわっておりました。


 さぁ、そのときです。


 突然、少女の傍らに漂う悪霊どもが、彼女にしか聞こえぬ声でなにやらガナガナと騒ぎはじめたではありませんか。

 狼に似た咆吼が空間をつんざいたのは、その次の瞬間でした。獣の激声は反響して山彦と化し、何頭かの別の個体が応えるかのように、そこここで吼え哮ります。

 ざりざりと、ずりずりと、這いずるような音がして、生臭さを通り越した腐敗の異臭が大気に混ざります。音に反応して少女が視線を向けると、石の家の角から姿を現したのは、命を持たない歩く死体。

 豚亜人 オークのグールが、ウジの湧いた肉をぼとぼととまき散らしながら通り過ぎてゆくではありませんか。

 続いて、人間を真似た甲高い哄笑 こうしょう。これは下級の妖魔が発したものでございました。



   ■



 おそらく皆様の大半が、はやくも物語の終幕を予感しているのではないかと思います。

 それも何一つの意味もなく、酌み取れる寓意 ぐういのひとつも含まない、ひたすら残酷なだけのおしまいを。このような悪趣味につきあって時間を無駄にしたと、はやくもお怒りのかたすらいらっしゃるご様子ですね。

 いえいえ、無理もありません。迷宮という場所に造詣 ぞうけいの深い皆様方のこと、その脅威 おそろしさについても身沁みて痛感していることとお察しいたします。

 ゆえに、なんの力も持たぬ脆弱 ぜいじゃくな街娘がそこで生き延びられるはずもない、このいやらしい詩人がこれから語るのは、きっとあの可哀想な少女のひたすらに残酷な最期の描写に違いないと……

 皆様がそうお考えになったとしても、それは至極まっとうな発想です。


 ですが皆様。わたくしとて、この道に生きる物語り師のはしくれ。そのように粗悪な結末を提供したとあっては、自らの矜持 きょうじにいちじるしく もとります。

 そう、確かにわたくしは最初、この物語を『悲劇』であると紹介しました、そのふれこみに嘘偽りのなき結末も用意してございます。

 ですが、それはまだ少しばかり先のこと。まったく意外に思われることでしょうが、少女がケダモノどもの牙に、あるいは妖魔どもの爪に引き裂かれ命を落とすことは、このときはまだありませんでした。

 もちろん、少女は正真正銘、なんの素質も持たなければなんの素養も身につけてはおらぬ、平々凡々などこにでもいる可愛いだけの女の子。

 ですが、百千万 ひゃくせんまんの『脆弱な街娘』とただ一人の彼女だけをわける要素が、ひとつだけございました。


 それは?

 そう、そうです、その通りです。

 まったく、皆様のご推察のままでございます。


 物語の冒頭において外道どもに蹂躙されたときより 少女は完全なる白痴。狂気に魅入られ狂気に蝕まれ、理性などとうに破壊された気狂い。すべての正統な感性を失い、芽生えた衝動にのみ従って生きる醜い精神の抜け殻でございます。

 ああ、皆様! この世に、これほどの皮肉が他にありましょうか?

 その、人の世にあっては呪いとしかなりえぬ狂気の心こそが、迷宮のうちに彼女の生きる道を照らした、唯一の光明だったのです。

 ほかの諸々の情緒とともに、忌避し、畏怖し、恐怖する感情をも失っていた少女は、ケダモノどもと鉢合わせてもまったく臆するところがなく、むしろそれが幸いしたのです。

 迷宮に住まう魔物どもは彼女を排すべき侵入者とはみなさず、無害な一匹の獣として、新しい住人として、さしあたって手出しはせずに捨て置こうと決めたようなのです。


 いいえそれどころか、森の悪霊どもが先駆けてそうしたように、なんと! 彼女と親交を結ぶものまでが現れる始末です!



   ■



 迷宮に足を踏み入れてより、まず三日。少女は様々な生き物と出逢います。

 最初に出会ったのは三匹の豚さんたち。醜悪に息づく家畜の首を持ち、しかしその性向は極めて温厚なオークの三匹衆です。

 それぞれが自作の石器と皮鎧で武装した亜人の戦士たちは、打ち解けてみればどこまでもひょうきんに、少女を楽しませようとおどけた振る舞いをみせてくれました。


 お次は地上に繁殖するもののおよそ三倍もの大きさを持つ黒兎です。一目には可愛いだけのこの兎も、その実は高い知性を備える魔獣の一匹でございました。草食の性にも関わらず長く鋭利な牙を生やし、餌食にするでもなく遊びで他の生き物を殺して楽しむ、見かけとは裏腹の残忍な本性をもつ剣歯兎。

 この兎もまた少女の友となり、彼女の足下をトコトコとついて歩きまわります。


 夜と昼、明と暗の双方を見抜く真っ赤な瞳と、野生の雄牛を上回る巨大な体躯を誇る真白い虎は、あらゆる生物を戦慄させて然るべきおのれの咆吼に少女が平然としているのを目の当たりにして、反対に畏れを抱きます。

 ですが、少女がこてんと首を傾げ、次に両手をいっぱいに広げて毛皮に抱きついてきたとき、この雌の魔獣に眠っていた母性は一挙に覚醒します。

 それから後、この白虎は少女にぴったりと付き従い、彼女を狙うすべての害悪を見抜かんとして、赤い瞳をより爛々らんらんと輝かせます。


 そのようにして三日が過ぎ、さらに四日が過ぎ去ります。

 そうして週が一周りする頃には、少女を紐帯 ちゅうたいとした異形の集団は形成されていたのです。



 さて、こうなって来ると害意を抱いて少女に手を出すものも現れはじめます。

 すっかり注目の的となった彼女の肉を喰らってみたい、そんな欲求に駆られた魔獣どもや、人間の分際で種々にして雑多な下僕どもを はべらせる――襲撃者の目にはそのように映ったのです――彼女を面白く思わない連中など、すぐに引きも切らせぬ有り様となります。

 しかしそうした奴輩 やつばらのうち愚かにも直接の襲撃に乗り出したものは、怒り心頭となった白虎の母により例外なく八つ裂きにされてこの世を去りました。

 そのとき中途半端に死にきれなかったものはさらに無惨。完全に命尽きるまでのあいだ剣歯兎の遊具として弄ばれ、実時間を超越した長き苦しみを体感させられる羽目になりました。

 では反面、魔術による攻撃を企てたものは?

 魔獣、亜人、あるいは暗視の猛禽などと比べれば少数派ではございましたが、迷宮には魔界の系統に連なる者、いわゆる『悪魔』も幾らか住まっておりました。

 連中はその大半が魔術を扱います。人間を真似た舌で人間の術師と同じ呪文の韻律 いんりつを刻む者もあれば、神代 かみよの昔に魔神たちが工夫したという魔族にしか唱えることの出来ぬ呪法を扱う者もおりました。

 遠距離からこのような魔力に狙われた際は、はたしてかようにして対処したのか?


 まさに、魔術には魔術を持って対するが最善にして最適です。

 つまりそのような際には、少女の側についた悪魔がひとつ骨を折ったのです。


 悪意ある魔力の律動 りつどうを察するがはやいか、その者は敵方の数倍の速度でもって魔力を練り上げ、相手の術法が完成するよりも先にこれを叩きます。既に放たれてしまった呪文に関しても、対抗呪文で事も無げに無効化してみせました。

 純粋に力のみを美徳とする魔族の価値感――下等な悪魔ほどこの傾向は強くなるのだそうです――においては、少女はまさに虫螻 むしけらも同然の存在でございました。ゆえに、大勢のケダモノどもが少女に親しみを覚え、あるいはその狂気に蠱惑 こわくされて集団に加わった中で、彼女の味方となった悪魔はたった一人だけ。


 しかし、これがとびきりの大悪魔だったのです。


 全身を熊のような剛毛がびっしりと覆い尽くす等身大の人間に、大きく湾曲した角を生やす牡山羊の首を接いだその姿は、まさしく、地上の人間たちが思い描く魔族の像そのものでありましょう。

 貴賤 きせんの位もその風格に劣らぬもの。各地に召還の記録が残される無数の同族たちの中でも、この山羊頭 やぎあたまは指折りに高位な一柱でございました。

 この魔族の貴人がいかなる経緯 いきさつから辺境のドワーフ遺跡に住み着いたのか、今はまだそれについて触れるときではありませんが、ともかくこのようにして、狂った少女のもとで団結した魔物の一大派閥は、たちまちのうちに迷宮最強の一派へと膨れあがったのです。



   ■



 さあ、集団の結束は日毎に深まってゆきます。そしてその肝心要となったのが、これもまた山羊頭の功績です。

 山羊頭は数多の魔族言語に精通しており、それと同時に獣や亜人どもの思考を察する術にも長け、さらには人間族の言葉にも堪能という万能ぶり。

 最後のひとつについては、なにしろ唯一の人間である少女のほうが言葉を失っているものですからまったく意味を持ちませんでしたが……とにかく、彼は種族の異なる連中の間で通訳のようなこともやったのです。

 剣歯兎の他愛ない憤りをオークに教えて二者の確執を未然に防いだり、巨大な白虎が小さな妖精に抱いた興味を当人に伝えて、彼女らが親交を深める手伝いをしてやったりもしました。蜥蜴亜人 リザードマンと犬亜人(コボルト)がとっくみあいの喧嘩をおっぱじめた時などは、見事なたとえ話を持ち出して両者を納得させてしまったりも。

 それまで決して理解し合うことの出来なかった相手と通じる楽しさ、喜びは、人々に邪悪と見なされている魔物たちにとってすら絶大なものでした。

 山羊頭のもとには常に多くのケダモノどもが集う有り様となり、そしてそのことによる多忙が、なんとこの悪魔の貴人にとってみてもまんざらでない様子なのだから、まったく実に気の良い連中ではございませんか!


 さて皆様。わたくしはこれまで、このおはなしの主人公のことを、あの狂人の娘のことを、ただ『少女』とだけ呼び習わしてまいりました。

 しかし、物語はついに、それを改めるべき局面に至ります。

 ある時を境にして、魔物どもは言葉ならざる言葉で、少女を呼称しはじめたのです。

 彼らは皆、それぞれ発音器官の構造がまるで違うわけですから、あるものが地を這うような低音で『うぉん』とでも言うのに対し、あるものは金切るような高音で『きゅぃん』と。

 ですが、それらの音が成そうとする言葉はすべて同じく、ただひとつでした。

 ケダモノどもが自分たちのお粗末な舌に絶望しかけたとき、またも骨を折ったのは山羊頭。万能のまとめ役でございます。

 山羊頭は全員を一同に集め、その鈴生りの中央に少女を座らせます。

 そうして一匹、あるいは一頭、あるいは一羽ずつを順番に、少女と対面させます。


 にゃぁう。

 にゅい。

 ふご、ふご。

 きゅるきゅる。

 きゅいん。

 うぉん。


 百を超える友人たちが、それぞれまったく異なった音で、それぞれがまったく同じ意味を、少女に伝えようとしました。

 そしてその、ある種の儀式めいた催しの締めくくりが山羊頭でした。

 彼もまたケダモノどもに倣い、まずは自らが常に用いる魔族の言語でその言葉をなぞり、そしてついに、人間の言語に直して、訳して、彼女にそれを贈りました。


『ジズ』、と。


 それは多くの意味を持つ、古い言葉でした。

 まどろみ、ゆがんだ神秘、あるいは『狂気』など。

 沈黙の間がありました。

 そしてその後に、少女は、少女特有の音でそれをなぞります。

 あーうー、と。


 この瞬間、感極まった白虎がすぐそばの高台に駆け上がり、洞窟中に随喜の咆吼を轟かせます。するとそれに唱和 しょうわして、オークの三匹衆が、コボルトが、リザードマンが、目一杯の歓声をあげます。少女にとりついた悪霊どもは興奮のあまり空間を陽炎のようにぼやけさせ、妖精どもは鱗粉を振りまいて宙を舞います。獣も、鳥も、めいめいに騒ぎ立てます。

 彼らの結束が、絆が、不動のものとなった、これがその瞬間でございました。

 邪悪な魔物どもは、自らを束ねる無名の少女に、親愛を込めて名を贈りました。


 少女はそれを受け取りました。彼らの姫は、他ならぬ彼らによって名付けられたのです。

 この地の底で、その生における二度目の命名がなされたのです。


 盛り上がる面々をよそに、狂人の姫君ジズはもう一度、「あーうー」と呻きます。

 それから、満面の笑みを歓声の代わりにして、愛すべき一同に唱和したのでした。

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