第五章 恋人たちの逃避行 ~化けの皮ポロリ~
「もしかして……これ、みんなレオノール先生がやったんですか?」
ジュジュが眉間にしわを寄せ、自分の首筋に手刀を押し当てて見せた。
「そう引かんでくださいよ。……ホントはオレだってひとりかふたりは生かしておいて、こいつらの正体や目的を吐かせようとは思ってたんです」
自分ひとりしかいないのならともかく、ほかに観客たちがいる状況では、可能なかぎり短時間で賊たちの戦闘力を奪うしかない。そのためには急所を狙って即座に沈黙させるのがベストだった。
レオノールは血で濡れたズボンの裾を見やり、溜息をついた。
「この程度の敵を相手に返り血を避けそこねるとは、退役して正解だったな……」
「そ、それよりも先生! たいへんです!」
「は?」
「ひとまず校舎内に避難させた生徒たちに点呼させたところ、一年生と二年生が数名、行方知れずなんです!」
「は!?」
タバコを投げ捨てて立ち上がったレオノールは、あちこち血でぬかるんだ練習場を見渡した。残念ながら、逃げ遅れて命を落とした観客たちの亡骸がいくつか転がっているのが見えるが、しかし、制服姿のものは見当たらない。勇敢に戦っているのは五年生ばかりで、一年生や二年生は交じっていないはずだった。
「行方が知れないってのは誰と誰です? 騒動が起こったのは観覧客用の客席からですから、生徒たちが巻き込まれる可能性は低いはずなんですが――」
「今のところ姿が見えないのは、一年一組のバラウールさんとドゼーくん、二組のバンクロフトくん、あとは二年二組のドートリッシュさんです」
「一年の三人はともかく、二年のドートリッシュってのはもしかして……辺境伯の?」
「はい。もしあの子に何かあったら、学長先生が責任を取るくらいじゃすまないかもしれません」
「ですが、あの子は臆病で、何かあったら真っ先に逃げ出すようなタイプでしょう? 逃げ遅れるとも思えないんですが……」
「教官どの!」
レオノールとジュジュが顔を見合わせて嫌な汗を垂らしていると、レティツィアが厩舎から馬を引いてやってきた。
「おいおい、ロゼリーニさん! きみは一年だろ? だったらおとなしく教室に籠城してろ! いっしょに避難した観客たちを守るのは下級生たちの役目だぞ!」
「それを承知の上で申し上げたいことがあるのですが」
「何なの、ロゼリーニさん?」
「わたしたちが教室に避難した直後、バラウールさんとドゼーくんが、何かを追いかけるようにして南へ向かうのを目撃しました」
「南……?」
「バラウールさんはともかく、ドゼーくんが何の考えもなしにそのような真似をするとは思えません。ふたりが何を追いかけていったのか気になりますので、これからそれを確かめにいきたいのです」
「……あのメガネくんか」
「レオノール先生」
ジュジュがレオノールにそっと耳打ちする。
「――バラウールさんには陛下も期待をお寄せのようですし、何かあれば我が国にとって大きな損失になりかねません。万が一のこともありますから、ここはロゼリーニさんに様子を見てきてもらったほうがいいと思います」
ジュジュのいう通り、駆龍侯の娘たちのことは放っておくには厄介すぎる問題だが、だからといって、レオノールやジュジュがこの場を放棄して様子を見にいくわけにもいかない。まずはここにいる敵をすべて片づけなければならないからである。
「そういうことなら……ま、いいでしょ」
したり顔でうなずき、レオノールは小さく笑った。
「――ほかの一年生だったら任せたりしないんだが、ロゼリーニさんならあとでちゃんとした報告書も書いてくれそうだし、いざって時にはオレが責任を取りゃあいい。たのんだぜ、お嬢さん?」
「了解です」
それらしく敬礼し、レティツィアは馬に飛び乗って颯爽と駈け出した。
「オレが責任を取るなんていってましたけど、いいんですか?」
指をぽきぽき鳴らしながら、ジュジュがどこか楽しそうにいった。
「そりゃまあ、オレはここに勤め始めてまだ日が浅いですからね。詰め腹切らされてもさほど痛くないというか――」
腋の下に剣をはさんでしごき、血糊を大雑把にぬぐったレオノールは、まだ戦い続けている五年生たちのほうへと歩き出した。
「まあ、ジュジュ先生が代わりに責任を取ってくれるというんであれば、そのご厚意に存分に甘えまくりますがね」
「嫌ですよ。わたしだってほかに勤め先がなくてここではたらいてるんですから」
「なら、せめて自分の職分に関してくらいは落ち度がないように、やることやっときますか」
剣の峰で首筋を叩き、レオノールはにやりと笑った。
☆
フィレンツの制服の袖から、すさまじい速さで何かが飛び出してきた。
「――ちっ」
クリオへと飛びかかってきた黒い影を寸でのところで弾き飛ばしたユーリックは、すぐさま頭上を指さした。
「お嬢さま、上です!」
「!」
はっと顔を上げたクリオは、淀みのない動きで天を指さした。次の瞬間、その指先から極度に細く収束させた灼熱の炎がほとばしり、ユーリックの一撃で宙に打ち上げられたそれを撃墜した。
「きゃっ!?」
落ちてきたものに驚き、ミリアムが悲鳴をあげる。それは、半分炭化した、犬とも猫ともつかない奇妙な獣の焼死体だった。
「うわー……もしかしてこれ……?」
「少々姿は違いますが、私が先日バンクロフト邸で目撃したものと同種の召喚獣かと。確か彼らはこれを“ニナッタ”と呼んでいました。南方の異民族の古い言語で、“小さな獣”を意味する単語だそうです」
「ってゆ~か、いつの間にそんなこと調べたわけ、ユーくん?」
「屋敷の人間の言葉に妙な訛りがあったものですから。……それに、アフルワーズはもともと大陸南方からやってきた異民族国家ですし、念のためと思いまして」
自慢するわけでもなく、ユーリックが淡々と答える。それを見たフィレンツは、忌々しそうに舌打ちしてかぶりを振った。
「……振り返ってみれば、ドートリッシュ家の人間に感づかれたのがケチのつき始めだったな。あれのせいできみたちとかかわるはめになってしまった」
「なるほど……それで計画を早めたわけですか」
「……本当に腹が立つな。途中までうまくいっていたのに、どうしてこうなった?」
「あなたが尻尾を掴ませたのが悪いのでは?」
「いいや、きみたちが悪い。あの日、あの夜、ぼくが殴られているのを黙って見て見ぬふりをすればよかったのに……おせっかいにもほどがある。特にバラウールくん、きみは本当に余計なことをしてくれた」
「え!? わ、わたし?」
「きみの仲立ちなど最初から必要なかったんだよ。親切ごかしに手紙のやり取りを手伝うだって? どうせただの野次馬根性だったんだろう? 本当にありがとう、おかげでぼくらの計画は台なしだよ!」
「わっ、わたしのせいにしないでよ!」
たぶん本来のフィレンツたちの計画では、もっと時間をかけてミリアムをゼクソールから連れ出すはずだったんだと思う。けれど、ふたりの交際がドートリッシュ家にばれ、さらにそれがきっかけでクリオがそこに首を突っ込むことになった。だからフィレンツたちはやむなく計画を前倒しするはめになったんだろう。
「……まあいい」
制服の前のボタンをすべてはずし、フィレンツは大きく深呼吸した。
「そもそも甘ったるい愛の逃避行なんてぼくの柄じゃなかったんだ」
そううそぶいたフィレンツの背後に、いつの間にか、騎馬にまたがった数人の男たちの影が接近しつつあった。
「ユーくん、あれ……」
「学校で陽動を起こしていた連中のほかに、まだ仲間がいたようですね」
少しだけ面倒なことになったと、ユーリックは胸の中で舌打ちした。
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