第六章 ふたりの魔法 ~ミリアムを守れ!~

「おい、フィレンツ」

 駆けつけてきた人馬は全部で五組――そのうちの中央の男が、馬上からフィレンツに声をかけた。

「……少し予定と違うようだが、何があった?」

「見れば判るだろう、トーステン? ――あれが例の駆龍侯ドラキスの娘だよ。隣にいるのはその従者だ。駆龍侯の弟子かもしれない」

「そういうことか……なら、先日うちの屋敷に忍び込んだのは、そちらの弟子どののほうかな?」

 トーステンと呼ばれた髭の男の問いに対し、ユーリックは胸に手を当てて軽く会釈しただけだった。

「相手が駆龍侯の娘と弟子となれば、この場でまともに戦うのは得策ではないな」

「そう思うのならミリアムを返してくれる? ミリアムさえ返してくれれば、わたしたちだってわざわざ追いかけたりしないから!」

「そういうわけにはいかんな。ミリアム嬢がいなければ我々も国に戻れん。我が一族の悲願――祖国への帰還と名誉の回復のためにも、ここで引き下がるわけにはいかんのだ」

「は? 何それ? どういう――」

「トーステン、おしゃべりをしている暇はないだろう?」

「ひっ――!?」

 フィレンツがミリアムを軽く突き飛ばし、トーステンたちのほうへ押しやった。

「――ここはぼくたちが引き受ける。トーステンは先に行ってくれ」

「判った。片がついたら例の場所で落ち合おう」

「く、クリオさん――!?」

 トーステンは細い縄を取り出し、鞍上に引っ張り上げたミリアムの手首を手早く縛り始めた。

「ちょ、ミリアム!?」

 ミリアムを助けようとするクリオの正面に、馬から飛び降りた男たちが立ちはだかった。みんな剣と弓矢で武装している。でも、学校に大量のニナッタが現れたことから考えれば、彼らは戦士であると同時に魔法士でもあるのかもしれない。

「ひとまず、お嬢さまはミリアムさまのほうをお願いします」

 そういいながら、ユーリックの手がクリオの制服の腰のベルトを掴んだ。ただそれだけで、クリオにはユーリックのやろうとすることが判ってしまった。

「うん! ユーくんも気をつけて!」

 直後、クリオの平衡感覚が軽くマヒした。

「――!」

 並はずれたユーリックの膂力によって放り投げられたクリオは、フィレンツたちの頭上を越え、一気にトーステンに肉薄した。

「トーステン、気をつけろ!」

「なっ……に!?」

 フィレンツの声にはっと振り返ったトーステンが、クリオを見て驚きに目を見開いていた。それでも、咄嗟に腰の剣を抜こうとしていたのは敵ながら天晴といっていいのかもしれない。

「――でもおあいにくさま♪」

 クリオは両手の指先に凝縮させた魔力を旋風に変え、自分の落下速度を抑えると同時にトーステンの乗る馬の鼻先にぶちまけた。

「!?」

 突然目の前の地面がはじけたことで、馬が甲高くいななきながら棹立ちになった。

「きゃああああっ!」

 馬上から放り出されたミリアムを抱き止め、クリオは砂塵を巻き上げながら着地した。

「ふ~……」

「く、クリオさん……」

「大丈夫、ミリアム? ケガしてない?」

「は、はい……」

 クリオが小さな炎の魔法で手首を縛る縄を焼き切ってやると、ミリアムはクリオにしがみついてきた。

「わ、わたくしが馬鹿でした……巻き込んでしまって、申し訳ございません」

「今はそういうのいいから! ホント!」

 視界の片隅で、落馬したトーステンがゆっくりと立ち上がるのが見えた。馬がいるとかいないとかを抜きにしても、今のミリアムを連れて彼らから逃げるのはさすがに無理だろう。

 ということは、ひとまずここで敵を迎え撃たなきゃならない。クリオは素早く左右に目を走らせ、背後にかばったミリアムに尋ねた。

「あ、あのさ、ミリアム……あなた二年生ってことは、多少は剣とか魔法とか――」

「わたくしですか? す、すみません……どちらも苦手で――」

「ああ……でしょうね」

 予想はしてたけど、戦いに関しては、ミリアムは何の助けにもならない。プラスかマイナスかでいうなら完全にマイナスだ。自分の身を守ることもおぼつかないぶん、クリオが守ってやらなきゃいけないからである。

 落馬のダメージから立ち直ったトーステンと、それにほかの男たちがこっちに向かってくるのを見たクリオは、自分自身の心を落ち着かせるため、綺麗なピンクに輝く人差し指の爪にキスをした。


          ☆


 フィレンツ以外の敵がすべてクリオとミリアムのほうに向かったのは、ユーリックにしてみれば、よくはないが最悪ではない展開だった。どう見ても複数のニナッタを同時に使役するフィレンツが一番の難敵で、それが自分との戦いに集中してくれるのなら、クリオが危険にさらされる可能性は激減すると考えていい。

 そして、ひとたび接近して捕まえてしまえば、ユーリックがフィレンツを始末するのは一瞬のはずだった。

「…………」

 ユーリックは低い姿勢で一気にフィレンツの懐へと踏み込んでいく。しかし、フィレンツの襟首を掴もうと伸ばした右手に、黒い獣が容赦なく食らいついてきた。

「前から感じていたんだが……きみのその馬鹿力は何なんだ? 頑丈な錠前をねじ切り、厚い壁に穴を開けるとは聞いていたが、武器も使わずにニナッタをちぎり殺すような輩はぼくも初めて見たぞ」

「――わざわざ秘密をお教えする必要はないかと」

 ユーリックの手首に食いついたニナッタは、籠手ガントレットを嚙み砕くより先に首の骨をへし折られ、無造作に引き裂かれて煙と化していた。動きこそ素早いが、ニナッタ程度の召喚獣の四、五匹であれば、武器がなくとも片づけるのはたやすい。

「しかし、気にはなるだろう? 駆龍侯の弟子というわりはふつうの魔法士というわけでもなさそうだ。魔法は使えるが、さほど高度なものを駆使できるというふうでもない……非常に単純で、力任せな使い手だ」

「私はクリオドゥーナ・バラウールの従者です。あいにくとそれ以外の立場はございませんので」

「確かにどうでもいい話か……ただ、ぼくとしては、娘や弟子ではなく、駆龍侯本人と術を競ってみたかったがね。噂に聞く“地龍召喚ロゲ・ドラキス”とぼくの“魔獣兵クリッタ”、どちらがすぐれているか――」

「……クリッタ?」

「ここまで見せてきたニナッタはまさに犬だよ」

「……?」

 くすくすと笑いながら、フィレンツはふたたび複数のニナッタを足元から召喚した。一匹一匹はさほどの脅威ではなくとも、これだけ連続して召喚獣を呼び出せるというのは、それだけで一種の異能といえるのかもしれない。

 いわゆる召喚魔法というのは、召喚の際にも、そして召喚したものを使役するにも、少なからず魔力を消費する。つまり、これだけ連続して複数の召喚獣を呼び出し、あやつれるということは、フィレンツがそれほど膨大な魔力を持ち、駆使できるということを意味している。クリオとガラム・バラウールを除けば、ユーリックは、こんな短時間でこれだけの召喚魔法を繰り返し使える魔法士を見たことがなかった。

「あながち大言壮語をいっているわけではない……のか?」

 ユーリックが首をかしげていると、あらたな番犬たちをしたがえたフィレンツは、早くも勝ち誇ったような口調で続けた。

「こいつらはしょせんは番犬だ。何匹束になってかかろうと、どうやらきみの相手にはならないらしい。――が、ニナッタとクリッタは似ているようでまったく違う。クリッタというのは、我々の言葉で“大きな獣”という意味だからね」

「……?」

 その時ユーリックは、フィレンツの真下に、あらたな――そして巨大な魔法陣が輝いていることに気づいた。あらたなニナッタを召喚しながら、フィレンツはすでに次の魔法の準備を進めていたのである。

 だが、そうと知っても、ユーリックに不安はなかった。

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