第四章 優等生の真意 ~自分を高く売るための努力~

「……で、マールは何をやってるわけ?」

「あ、これ? これはレティツィアさまにちょっと……優雅な歩き方をレクチャーしてもらってて――」

「バラウールさんにもカントレールさんのまめさを見習ってもらいたいものだね」

「いえいえ、別にまめってわけじゃないですよー。この際だからぶっちゃけていいますけどー、ここでこうしてレティツィアさまに見てもらえば、レッスン代がタダじゃないですかー。もし有料だったらやってないですよー」

「ホントにぶっちゃけたね、マール」

「それにー、やっぱりこういう礼儀作法がきちんとしてるほうが、自分を高値で売り込めるっていうか――」

「……いずれにしても、向上心があるのはいいことだよ」

 マルルーナの歩き方のレッスンを続けながら、レティツィアはちらりとクリオを見やった。

「それで? バラウールさんはいったいどこへ行っていたのかな?」

「え? またその話?」

 なぜレティツィアはそんなにわたしの行動が気になるのか――そんな疑問に首をかしげつつ、何かうまい答えがないかと考えていると、すべり落ちそうになった頭上の辞書を慌てて押さえたマルルーナが、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「レティツィアさま、たぶんアレですよー」

「あれとは?」

「きっとユーリックくんと会ってたんですよー。……そうでしょ、クリオちゃん?」

「そ、それは――」

「そういえばきみたち、馬術の講義のあと、何かもめていたよね」

「え……み、見てたの、レッチー?」

 ばつの悪さを感じながらも、級友たちの言葉で大事なことを思い出したクリオは、意を決してレティツィアに詰め寄った。

「そ、それよりレッチーに聞きたいことあるんだけど!」

「……何度もいうけど、そのレッチーという呼び名、やめてもらえないかな? どうにも安っぽいというか」

「じゃあレティツィアさま、ちょっと聞いてもよーろーしーいーでーしょーぉーかー?」

「ああ、かまわないよ。代数学? 戦史? それともきみも優雅な歩き方を知りたいのかな?」

「勉強とか作法のことじゃなくて!」

「だと思った」

「……っ」

 今夜は何だかいつも以上にレティツィアの態度がイラっと来る。それはひょっとすると、今から聞こうとしている話題に関係しているのかもしれない。

 クリオは深呼吸して心を落ち着かせ、椅子に腰を下ろしてあらためて尋ねた。

「あなたさぁ、わたしの知らないところでこっそりユーくんと会ってない?」

「ああ」

 本に向けた視線を動かすことなく、レティツィアは即答した。さすがに取り乱しはしないにしても、ちょっとくらいはぐらかすかな? という予想を裏切られて、逆にクリオのほうが言葉をなくしてしまった。

「え~と……こっそり会ってるの? ホントに? ユーくんとだよ?」

「そう念を押さなくても間違えたりしないよ。会っていたというか、何度かふたりきりで話をしたことがあるね。現にきょうも」

「え? ホントですかー、レティツィアさま?」

「マールはちょっと黙ってて! ――それっていつ? きょうのいつ!?」

「きみが彼を打擲ちょうちゃくした直後」

「ちょ、ちょうちゃく……?」

「きみに判りやすくいうなら、きみが彼をひっぱたいた直後かな」

 そういって、レティツィアは本から顔を上げ、クリオを見やった。その顔がうっすらと微笑んでいるのを見た瞬間、得体の知れない羞恥心と怒りが込み上げてきて、クリオは思わず椅子を蹴倒して立ち上がってしまった。

「ちょ――ど、どうしたの、クリオちゃん!?」

「もう夜も遅い。静かにしないと舎監の先生が見回りにくるよ?」

 レティツィアの冷静な言葉に少しだけ落ち着きを取り戻したクリオは、椅子を引き起こして腰を落ち着けると、努めて低い声で尋ねた。

「……どうして?」

「どうして? その問いの意味が判らないな」

「どうしてふたりきりでユーくんに会う必要があるの?」

「わたしが彼と話したかったからだよ。ふたりきりになったのは、まあ、たまたまそうなっただけというか……でもそれが何か?」

「理由は? 何を話したの?」

「……それをきみに教える必要があるのかな? 知りたければ彼に聞けばいい。彼はきみの従者だよね? わたしはきみに嘘をつくかもしれないけど、彼はきみに嘘はつかないだろう?」

「い、一応よ! ユーくんからも聞くけど、あなたからも一応聞きたいの! わたしの従者だって知ってるくせに、どうしてふたりきりで――」

「彼と話をするのに、いちいちきみの許可がいるのかい? たとえばルペルマイエルくんはいつもドゼーくんと仲よさげにおしゃべりをしているけど、彼もきみの許可を得ているのかな?」

「そっ……いや、ほら、それはだから――」

 意味のない接続語を並べながら、クリオは次に話すべき言葉を捜していた。でも、いつもと違って何も出てこない。レティツィアのいい分がいちいち正論すぎて、何をいっても詰まされてしまう気がする。

 あうあうやっているクリオを見て、またレティツィアがくすりと笑った。

「……別にたいしたことは話していないよ。ちなみにきょうは、なぜきみに叩かれたのか聞いてみた」

「彼をひっぱたいたって、いったい何があったの、クリオちゃん? もしかしてユーリックくんとケンカでもしたのー?」

「だからマールはちょっと静かにしてて! ――そ、それで、ユーくんはあなたに何て答えたの?」

「自分がお嬢さまを怒らせるような真似をしたせいだといっていたね。具体的に何をしたのかは教えてくれなかったけど」

 ユーリックの口からミリアムたちのことがもれていないと知ってほっとしたけど、でも、それでもクリオのモヤモヤがすべて晴れたわけじゃない。クリオはレティツィアのことが嫌いじゃないけど、彼女と会話していると、この手のモヤモヤがよく発生するような気がする。

「ほ、ほかには? それはきょうの話題でしょ? これまではユーくんとどういうことを話したの?」

「そうだね。話題としては――たとえば、あんな自覚の足りない子が主人だと苦労するね、とか……いつ頃からバラウール家に仕えているんだい? とか……わたしに仕えるつもりはないかな? とか」

「自覚が足りないとか大きなお世話! ってゆ~か、え!? あなた今、何ていったの? さっ、最後!」

「ああ……もしそのつもりがあるなら、バラウール家の従者を辞めてロゼリーニ家に仕てみないかって」

「ちょっ……な、何を人の従者を横取りしようとしてるわけ!?」

「彼の主人であるきみに、前もってひと言いわなかったのは悪かったかもしれないけど、別にドゼーくんはきみに買われたわけではないよね?」

 読みかけの本を閉じ、レティツィアは頬杖をついた。

「五年なり一〇年なり、長期の年季奉公をする使用人はうちの屋敷にもいたけれど、話を聞くかぎり、ドゼーくんはそうではないみたいだ。たまたまきみの家に仕えていた使用人の孫というだけで、厳密にいえば従者ですらないんじゃないかな?」

「いや、ほら、ち、違うから! ちゃんといろいろ……その、は、払ってるし!」

「そのあたりはどうでもいいけど……とにかく、年季に縛られていないのであれば、わたしが彼を雇ってもかまわないと思うけど?」

「どっ、どうしてユーくんなのよ!? あなたのおうちくらいの名門だったら、従者だろうが使用人だろうが、いくらだって雇えるでしょ? 確かあなた、大宰相サマの孫娘なんでしょ!?」

「わたしは別に、身の回りの世話をしてくれる従者が欲しいわけではないからね」

 レティツィアは机の片隅に置かれていたきらびやかな鞘のナイフにそっと触れた。

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