第四章 優等生の真意 ~少女たちの密会~


          ☆


 ゼクソールでは、夕食後の自由時間にも、自主的に勉強をする生徒のために校舎内の図書室が開放されている。といっても、さすがに日中ほどの利用者はないので、人目を忍んで誰かと会うには都合がいい。実際、以前はミリアムとフィレンツもたびたびここで逢瀬をかさねていたと聞いている。

「……ふたり揃って仲よくここに出入りしていたからバレたんじゃないのかなあ」

 入浴を終えたばかりのクリオは、湯冷めしないように制服の上からコートをはおり、図書室に向かった。

 図書室から続く奥の自習室には、衝立で囲まれたブースが無数に並んでいて、図書室の本を使って勉強に集中したい生徒にはうってつけの場所だった。ざっと見たところ、ランプの明かりがついているブースは一〇か所ほどしかない。ちなみに、決していばれることじゃないけれど、そこまで勉強が好きじゃないクリオは、実際にここへ来るのは今夜が初めてだった。

「…………」

 自習室の入り口のところでクリオがきょろきょろしていると、奥の壁際にあるブースの衝立の上に、見知った顔がひょっこりと覗いていることに気づいた。

「……お待たせ、ミリアムさん」

 毛足の長い絨毯の上を小走りに歩き、クリオはミリアムのところへ急いだ。

「お手数をおかけいたします、クリオドゥーナさま」

「いや、ほら、だからそこはさまづけしなくていいっていったじゃん」

 ミリアムの座る机の前にもうひとつ椅子を持ってきて腰を下ろしたクリオは、相変わらず折り目正しい少女に苦笑した。

 最初にお風呂で接触したあの日以来、クリオは何度もミリアムとこうして密議を繰り返しているけど、何度いってもさまづけが抜けない。そういえば、レティツィアやマルルーナもミリアムのことをさまづけで呼んでいたけど、これも貴族の娘にとってはふつうの習慣なのか、クリオにとっては肩が凝って仕方がなかった。

「そ、それでは……クリオ、さん?」

「さんづけもいらないんだけど……まあいいや」

 ここで余計なおしゃべりをしているヒマはない。クリオはあらためてあたりを見回し、近くに第三者の目がないのを確認すると、ポケットから一通の手紙を取り出した。

「これ、バンクロフトさんから」

「ありがとうございます」

 これ以上首を突っ込むなというユーリックの警告を無視して、クリオはこうしてミリアムとフィレンツの間で手紙や伝言の仲立ちをしている。ふたりを応援してやりたいという義憤にも似た気持ちが八割と、あとは他人の恋の行方がどうなるのかという野次馬めいた好奇心が二割だったけど、総じてミリアムたちの役に立てているとは思う。

「ねえねえ、何て書いてあるの?」

 恋人からの手紙を熱心に読んでいる少女の横顔を見つめ、クリオは小声で尋ねた。

「あまり……いい話題ではありません。フィレンツのお父上から彼に手紙が届いて、わたくしと別れるよう命じられたと――」

「えっ?」

「おそらく、うちの父がバンクロフト家に何か手を回したのでしょう。バンクロフト家はバーロウの州都を中心に商売をしておりますし、この王都でも、我が家の別邸にワインを届けてくれていますけど……たとえばその商売に絡んで何らかの圧力をかけるようなことも、父ならば可能ですので」

「そんな……!」

 クリオもミリアムと会ってからちょっと調べたんだけど、辺境伯というのは、王国内の重要な州の政治と軍事のすべてをつかさどる要職で、つまりは、国王からとても大きな権力をあたえられている。とにかく単なる地方貴族とはわけが違うらしい。バーロウ辺境伯であるミリアムの父親なら、自分の地元で商売をしているワイン商人を潰すくらい、きっと造作もないだろう。

 ミリアムはクリオに手紙を渡すと、両手で顔をおおってしまった。

「わたくしたちふたりだけの問題ではないということは、最初から承知しておりましたけど、実際にこういうことになってしまうと――」

「……ねえ、ミリアム、これ」

 フィレンツがつづる情熱的なフレーズは適当に飛ばして最後まで手紙を読んだクリオは、その一部分を指さし、

「これ……本気かな、彼? できることなら駆け落ちしたいって――」

「…………」

 目を赤くしたミリアムは、クリオの問いにゆっくりと首を振った。

「わたくしにもよく判りません……ただ、もしどうあってもわたくしの父がわたくしたちの仲を認めてくれないのであれば、ふたりだけで誰も知らない遠いところへ行こうと……そんな夢のようなことを語り合ったこともございました」

「でもさ……こんな状況で駆け落ちなんて書いたってことは、彼、わりと本気で考えてるんじゃないの?」

「でも……だとしたら、わたくしはどうしたらよいのでしょう?」

「どうしたらって……わたしにそれを聞かれても――」

 手紙をたたんで封筒に戻し、クリオは腕組みをした。

「たとえば……もしミリアムたちが本当に駆け落ちをしたらどうなるかな?」

「それは……発覚した瞬間、父は怒って追っ手を差し向けると思いますけど……」

「だよねえ」

 こういう時、ユーリックならどうにかうまい手を考えてくれるのかもしれない。けど、いろいろと偉そうなことをいってしまった手前、いまさらユーリックの手は借りられない。というか、借りたくない。

「ミリアムのおうちには、ほかに兄弟とかいないんだよね? 若い男性の親戚とかもいないの? 要するに、ほかに跡取りになれそうな人は?」

「父の跡取りになれるのは、あいにくとわたくしだけで……ですから父も決して許してはくれないでしょう」

「そっか……それって厳しいよね」

「でも、フィレンツならきっと、わたしたちの未来のために何か手立てを考えてくれるはずです。彼は……わたしより大人ですから」

 かすかに頬を赤らめたミリアムは、真新しい便箋を取り出し、羽根ペンを手に取って手紙を書き始めた。

「今すぐフィレンツへの返事を書きますので、どうかこれを……今後について、もう少し具体的なことを彼と話し合いたいのです」

「うん、判った」

 ふたりの仲が大きく動きそうな気配がして、クリオもちょっとだけ興奮してきた。

 駆龍侯ドラキスの娘としての自分は、自分が置かれている今の状況から逃げ出すことはできないし、逃げ出すつもりもないけど、でも、この美しい少女たちには、まだ決められていない未来を自分たちの手で選び取る自由があってもいい気がする。

 もしかすると自分がミリアムたちを応援する気になったのは、義憤でも野次馬根性でもなく、自分自身の姿を彼女に投影しているからなのかもしれない。

 ――と、クリオは思った。

「それではよろしくお願いいたします」

「うん。あしたもパレードのための学年合同の馬術の講義があるし、その時にでも渡しとくから」

 封蝋を捺したばかりの手紙を懐にしまい込み、クリオはミリアムを残して自習室をあとにした。

「――おや」

 クリオが女子寮の自室に戻ってきた時、湯上がりのレティツィアはすでに寝間着に着替え、机の前に座って難しげな本を読んでいるところだった。それ自体はよくある光景だったけど、いつもと違うのは、なぜか隣の部屋のはずのマルルーナが頭の上に辞書を乗せ、ぎこちない動きで部屋の中を歩き回っていることだった。

「あ、クリオちゃんおかえり~」

「春とはいえ夜はまだ冷え込むのに、のんびりとお散歩かな?」

「べ、別にいいでしょ? 風流を解する女なの、わたしは!」

 ミリアムとこっそり会っていたなんてことが知られれば、勘のいいレティツィアのこと、きっと何かあると考えるに違いない。さりげなく話題を切り替えようと、クリオはコートを脱ぎながらマルルーナに尋ねた。

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