第三章 乙女の秘密 ~辺境伯の娘~

「わたしだって幼い頃から魔法の勉強をしているけど、髪の色が変わったことなんてないし、そんな話、聞いたこともないな」

「いや、でもホントなんだって」

 幼い頃の自分がその変化をどう感じたのか、クリオはもうよく覚えていないけど、今の彼女はこのカラフルな髪をとても気に入っている。鏡を覗くたびに目に入る華やかな自分の髪を見ていると、それだけで気分が上向きになる気がするのだ。

「……理解不能だ。だいたい、きみは爪だってこんな――」

 クリオの指先に視線を向けたレティツィアは、はっと何かに気づいたみたいにその手を掴むと、ぐっと自分の目の前に引き寄せた。

「な、何よ、今度は!?」

「これは……」

 クリオの両手の爪は髪と同じくあざやかな色に塗り分けられていて、そのひとつひとつに小さな五芒星や六芒星を取り入れた魔法陣が刻み込まれている。それぞれの魔法陣は幼い頃に父に教えられたもので、その意味はクリオ自身にもよく判っていない。

 ただ、爪に魔法陣を刻み込んでいるのといないのとでは、実際に魔法を使った際の効率が大きく違う。仕組みは判らないけど、経験則によって、クリオは父から授けられたこの魔法陣に大きな意味があることを理解していた。

「ということは、これはガラム・バラウールが考案した魔法陣ということか……? なら、きみのこのやたらと派手な髪の色にも何か意味が――」

「いや、だからこっちは勝手に変わってっただけだっていったじゃん。爪は自分で塗ってるけど!」

 しっかりと手を握り、しげしげと自分の爪や髪に見入るレティツィアに苦笑しつつ、クリオはあたりを見回した。

「ってゆ~か、そろそろお湯に浸かろうよ。わたしの手ならいくらでも握らせてあげるから」

「えっ? あ、ご、ごめん、そうだね」

 三人は洗い髪をタオルで包み込むと、大理石の縁を乗り越え、綺麗なお湯をたたえた湯船に入った。

「――ところでさ、二年生のミリアムさんて、今ここにいる?」

「ミリアムさん……?」

「誰それ?」

 ぱしゃぱしゃとお湯で顔を洗っていたマルルーナは、レティツィアと顔を見合わせ、怪訝そうに首をかしげた。

「えーと、確か、辺境伯のひとり娘とかっていう――」

「ああ……ドートリッシュ家のミリアムさまのことかな?」

「あ、知ってるー! だったらほら、あそこにいるのがそうだよー」

 マルルーナは大浴場内に視線をめぐらし、やがてその一角を指さした。

「あそこで髪を洗ってらっしゃる――ほら、青みがかった長い黒髪の」

 後ろ姿と横顔くらいしか見えないけど、くだんのミリアムは、蒲柳の質といえばいいのか、たおやかで守ってあげたくなるような少女だった。肌の色はレティツィアと同様に透き通るような白さだったけど、ミリアムのほうが全体的にほっそりとしていて、はかなげな深窓の令嬢という表現がよく似合うだろう。

「……やっぱり男って、ああいう子に弱いのかな?」

「たぶんそうだよー。貴族の娘たちの中でも、ミリアムさまみたいなのはホントに貴重だからさー」

 そんなことをいいながら、クリオとマルルーナは、ミリアムとレティツィアの二の腕を何度も見くらべた。

「……ふたりとも、何なのかな、その視線は?」

「いや、ほら、レッチーはあちこち引き締まっててうらやましいなって」

「ひい!?」

 お湯の中でクリオに脇腹をつつかれたレティツィアは、またもやあられもない悲鳴をあげ、水飛沫を飛ばして後ずさった。

「ぶっ、不躾だよ、バラウールさん!」

「だってさあ、そうやっていちいち騒ぐとこっちもいじりたくなるじゃん?」

「き、きみは本当に、貴族としての慎みや作法をきちんと学ぶべきだ」

 またさらに顔を赤くしたレティツィアは、ぶつぶつと小言をいいながら湯船から上がると、クリオたちを置いてさっさと大浴場から出ていってしまった。

「あれ? もう出ちゃうの? せっかくだからもうちょっとゆっくりあったまってけばいいのに……」

「きっとレティツィアさまは勉強の時間が惜しいんだよー」

「あの克己心には頭が下がるけど、詰め込みすぎはかえって能率を落とすんじゃない? 余計なお世話だとは思うんだけどさ」

「ホントだよー。……といいつつ、わたしももう上がるねー」

「えっ? マールも?」

「湯上りに石鹸の香りをただよわせて食堂のあたりをふらふら歩くって、実はけっこう効果あるんだよー」

「あー……がんばってね」

 将来の夫を捜すマルルーナにとっては、男子生徒の物色と同時に、自分自身のアピールもおろそかにはできないということだろう。

「……ま、きょうにかぎっては好都合だけど」

 マルルーナが大浴場からいなくなったのを確認してから、クリオは湯船から出ると、ていねいに髪を洗っているミリアムの隣に移動した。

「え~と……ミリアムさん?」

「はい……?」

 そっとあたりを見回し、クリオは肌が触れ合うほどにミリアムに寄り添って腰を下ろした。

「わたし、一年のクリオドゥーナ・バラウールといいます」

「あ……ひょっとして、駆龍侯ドラキスの?」

「はい」

「これはこれは、このようなところでごあいさつすることになってしまって申し訳ございません。わたくし、バーロウ辺境伯の――」

「あ、いや、そういうのは今はいいですから!」

 ミリアム本人はたぶん至極真面目なんだろうけど、裸のまま慇懃に頭を下げようとする姿が何となく滑稽で、クリオは慌てて彼女を押しとどめた。

「それより、ちょっとほかの人には聞かれたくないお話があるんですけど」

「は……?」

「その――バンクロフトさんのことで」

「――――」

 クリオがこそっとささやくと、ミリアムはまるでこの世の終わりを迎えたかのような表情を浮かべ、手にしていた櫛を取り落とした。

「ど、どうしてそれを――」

「あ! ご、誤解しないでください!」

 ミリアムとフィレンツの仲は誰にも知られちゃいけない秘密の関係である。それを同じ学校の生徒に知られたとなれば、血の気が引くのも当然かもしれない。クリオは慌てて自分がふたりの関係を知るにいたった事情を説明した。

「フィレンツがうちの使用人に……?」

「バンクロフトさんはそういってました。ドートリッシュ家の使用人が相手だと判っていたから、彼もあえて抵抗してなかったみたいだし……」

「そんな……ずっと秘密にしてたのに……」

「とにかく、そういうことがあったから、もしかすると、校内にあなたのことを注意して見張っている人間がいるのかもしれません」

 ドートリッシュ家くらいの大貴族なら、実家を離れて寮生活をしている娘をひそかに見守るために、教官たちや学校職員の誰かに接触していたってこともありえる。

「ど、どうしましょう? わたくし、どうしたら――」

「バンクロフトさんは、いつかミリアムさんにふさわしい軍人になって自分たちの仲を認めさせたいっていってましたけど……」

「フィレンツがそんなことを……?」

「はい。だから、当面は目立たないようにしたほうがいいと思います」

 フィレンツもいっていたけど、もしふたりの仲がもっと深いものになっていたら、フィレンツだって殴られるだけじゃすまなかっただろう。最悪の場合、ドートリッシュ家がその権力を使って、フィレンツをこの学校から追い出そうとするかもしれない。

「そんな……っ!」

「だ、だからほら、今はちょっと会うのをガマンしたほうがいいんじゃないかな~って思うんです」

「クリオドゥーナさまのおっしゃることは判りますけど――」

 さまづけで呼ばれるこそばゆさに耐え、クリオはきのうから引っかかっていた疑問をぶつけてみた。

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