第二章 ばあちゃんのクッキー ~彼の生い立ち~
「――あ、レティツィアさま、わたし脇のストラップ締めますよー」
「ありがとう、カントレールさん。――ほら、バラウールさんも、ぼーっとしていないで早く着替えなよ?」
「う、うん」
最終的にレティツィアとマルルーナに手伝ってもらって革鎧を装着したクリオは、ふたりにせっつかれて練習場に向かった。だけど、さわやかな風が吹く春の陽射しの下に出ても、クリオの胸にわだかまったモヤモヤが晴れることはない。
「――お嬢さま」
すでに革鎧に着替えをすませて外に出ていたユーリックが、クリオたちに気づいてやってきた。きのうあんなカンジで別れたっていうのに、ユーリックの態度に特に変化はない。あまりにいつも通りすぎて、クリオのほうが戸惑うくらいだった。
「どうかなさいましたか? 表情が暗いようですが……」
「いや、ほら……何というか」
「この講義がお気に召さないのですか? お気持ちは判りますが、馬術も重要な科目のひとつですよ?」
「う、うん、判ってるって」
とても本当のことを説明する気にはなれず、クリオは表情のぎこちなさを自分の馬術嫌いのせいにした。
実際、馬術にかぎらずクリオは身体を動かす科目があまり好きじゃない。だったら座学が得意なのかと聞かれると、それはそれで返事に困るんだけど、とにかくクリオは体力を使う科目が好きじゃなかった。
もちろん、クリオが生まれ育った屋敷にだって馬の何頭かはいたし、ユーリックに教えてもらって馬に乗ることくらいはできるけど、馬に乗ったまま剣や槍を振るうというのはまた別の話だ。
「……そもそも論として、剣より魔法のほうが強いんだから、あんまり意味ないと思うけどな。特にわたしにとっては」
ほかの生徒たちといっしょに厩舎前へと集まったクリオは、心の声を隠そうともせずぼそりともらした。
「そのセリフ、騎兵科の先輩がたが聞いたら激怒するよ? 内陸国のフルミノールにとって、騎兵は永遠に軍の花形なわけだし」
隣を見ると、レティツィアが長い金髪をリボンで結ってまとめている。
「――それに、魔法が使えるといっても、きみの魔力だって無尽蔵ではないよね? もし戦場で魔力が枯渇したら、きみはどうやって自分の身を守るのかな?」
「よく判らないけどさ、法兵なら魔力が枯渇する前に退却すべきじゃない? 弓兵だって矢が切れる前に退却するじゃん? 砲兵だって弾薬が切れそうになったら退却を考えるじゃん? だったらそれと同じでしょ? 兵士の魔力だの矢だのがすっからかんになるまで戦わせるなんて、それはもう司令官が無能なんじゃない?」
「……本当にきみは屁理屈が得意だね。しかも、それがあながち的はずれでないところが腹立たしいというか何というか――」
「おほめの言葉どーも」
「……だからこれも皮肉だよ」
端整なレティツィアの眉がひくっと震えたのを見て、クリオは胸のモヤモヤがほんの少しだけ晴れたような気がした。
まあ、だからといってクリオの身体能力が劇的に向上するわけじゃない。
「おっ……も――!」
いざ授業が始まると、クリオはただひたすらに醜態をさらさないようにするだけで手一杯だった。馬のあつかいはまだいいとして、持たされる木製の槍がとにかく長くて重くてあつかいづらいのである。
「こんなの片手でキープするなんてムリだよー!」
槍を地面に突き刺したマルルーナも、ぷるぷると震える自分の右手を見つめて半泣きになっている。でも、それは決してクリオたちだけの感想じゃなく、ほかの女子たちも同様で、みんな槍の重さに悲鳴をあげていた。女子生徒の大半を占めるのは貴族の娘だし、だったらなおのこと、こんな重みのある武器なんか持ったことのない子がほとんどだろう。
「おいおい……そんなことでどうするんだ、お嬢さんがた? きょうの課題はその槍を右手で構えたまま、練習場の柵に沿って馬を一周走らせるだけなんだがな。たった一周だ、簡単なもんだろ?」
なかば呆れたような担当教官の声が飛ぶ。けど、実際にやってみると思っていた以上にキツい。訓練用の木製の槍でこれなんだから、本物の金属製の槍だったらどれほど重く感じるのか、想像もしたくなかった。
鞍の上に槍を横たえ、クリオは弱々しく呻いた。
「やっぱりこんなの意味ないって……槍じゃなくて魔法でいいじゃん、魔法で」
「諸君らのすべてが騎兵科に進むわけじゃないってことは判っているが、ま、現実の戦争とはままならなんモンだからな」
授業そのものの意義を問うようなクリオのぼやきが聞こえたわけではないのだろうが、レオノール教官は顎の無精髭を撫でながらいった。
「――時には負け戦になって、増援や補給もなく疲労困憊のまま撤退戦をしいられることも考えられるだろ? そんな時に自分の身を守るためにも、最低限、馬上で武器を振るえるくらいの体力と技術は身につけておいてもらわんとな」
「だそうだよ、バラウールさん?」
苦労しているクリオやマルルーナを横目にうっすら微笑んでいるレティツィアは、幼い頃から乗馬をたしなんでいるというだけあって、手綱さばきがとてもうまい。おまけに、ほかの女子たちが悪戦苦闘している馬上槍も、片手で平然と構え続けている。
「ぐぬぬ……」
クリオが悔しさに歯ぎしりしていると、急に男子たちの歓声が聞こえてきた。
「お、おい! 見ろよ、あれ!」
「……あいつ、ホントに俺たちと同じ一年か?」
彼らの感嘆のまなざしの先にいるのは、槍を構えたまま悠然と馬を走らせているユーリックだった。
「何だよ、見せつけやがって……」
「まあ、貴族の従者なら、馬のあつかいは慣れたものだろうさ」
「ははっ、違いない」
驚きの声の中、聞えよがしにユーリックをサゲていたのはルロイとその取り巻きたちだった。平民のユーリックが、貴族である自分たちにとっても難しい課題を楽々とこなしているのが、きっと内心では歯噛みするくらい悔しいんだろう。
「はー……やっぱりカッコいいよー、ユーリックくん」
マルルーナの呟きを意図的に聞き流していると、今度はレティツィアの声が聞こえてきた。
「彼は――」
「え?」
「ドゼーくんは、いつ頃からバラウール家の従者としてはたらいているのかな?」
「え~と……いつからだっけ?」
ユーリックの母はマウリンの娘だという話で、父親が何者かはクリオもよく知らない。その母がユーリックを産んですぐに病死してしまったため、祖母に当たるマウリンがガラムの許しを得て、ユーリックを屋敷に引き取ったと聞いている。ちょうどというか、ユーリックより少しだけ早く誕生していたクリオもまた、産褥で母親を亡くしていたため、ふたりはマウリンを親代わりとして、実の姉弟のようにいっしょに育ってきたのである。
「なるほど……」
「でもなんでそんなこと聞くの?」
「いや、カントレールさんのいいようではないけど、もし彼が貴族の生まれであれば、もっと違った道もあったはずだと思ったものだからね」
レティツィアは自分の唇を撫でながら、何ともいえない表情でユーリックを見つめている。彼女の言葉の意味がクリオにはよく判らなかったけど、とにかく何だかまた胸のモヤモヤが濃くなってきたような気がして、クリオは槍を構え直すと苛立ちを溜息に変換して吐き出した。
「溜息なんかついて、どうしたのかな、バラウールさん?」
「何でもない! ――教官どの! 次、わたしに行かせてください!」
みずから名乗り出たクリオは、ユーリックを絞め殺すつもりで槍を小脇にぎゅっとかかえ込むと、馬の腹を蹴っていきおいよく走り出した。
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