第二章 ばあちゃんのクッキー ~馬術訓練~


          ☆


 フルミノール王国は大陸のほぼ中央に位置している。平野部と森林地帯がなかばする農業と林業の国で、それらの産業を背景に、古くから富国強兵を進めてきた。

 今から三〇〇年ほど前のプルターク二世から三世の御世、王国は精強な大軍団を擁して領土拡大に乗り出し、大陸の四割近い土地を征服してのけた。しかし、隣国アフルワーズを盟主とする反フルミノール同盟が誕生し、組織的な反撃に転じたため、王国の大陸制覇の野望はここで頓挫したのである。

 以来、フルミノール王国はゆるやかな衰退期を迎えることとなる。侵略戦争によって手にした領土を少しずつ手放し続け、現在の国土は三〇〇年前より縮小してさえいた。逆にアフルワーズは周辺諸国のあらたなリーダーとして、かつてのフルミノール王国に取って代わりつつある。

「その動きが頂点に達したのが……えー、二〇年前に始まった、“七王戦争”というわけで……」

 この学校で一番の古株であるオルコット教官が、すぐにずり落ちるモノクルをいちいち押し上げ、戦史学の教科書をめくった。

「当時は私もまだ現役の軍人として、えー……幾度となく出陣し、連合軍を相手に激しい戦いを――」

 老教官の過去の栄光を交えて語られる“七王戦争”というのは、アフルワーズを筆頭に、グデア、ヤズール、ホルムヤード、レイヤード、ボドルムらによる六国連合軍が、かつての威光を失ったフルミノールに攻め入った大規模な戦いを指す。当時、フルミノールは六国連合軍を相手によく戦いはしたものの、開戦から二年後には、ついに国土の奥深くにまで敵軍の侵攻を許すこととなってしまった。

「その時に活躍して王国の窮地を救ったのが、のちに“駆龍侯ドラキス”と呼ばれることになる流浪の魔法士マージ、ガラム・バラウールというわけだね」

 ノートに要点をまとめながら、隣に座るレティツィアが小声で呟く。

「……そんな話聞かされても、今ひとつピンと来ないんだよね」

 オルコット教官の口からガラム・バラウールの名とその功績が語られても、クリオにはそれが自分の父のやったことだという実感がまるで持てない。講堂で講義を受けている生徒たちがちらちら自分を見ている視線を感じながら、クリオは嘆息した。

 クリオをはさんでレティツィアの逆隣りに陣取っていたマルルーナが、そばかすを散らした鼻先をひくつかせてクリオにいった。

「でもさ、クリオちゃんは当時まだ影も形もなかったんでしょ? だったら実感なくても仕方ないよー。“七王戦争”のあとはそんなおっきな戦争とかなかったし――」

「それもあるけどさ……そもそもうちのとうさん、ふだんの生活からして救国の英雄って柄じゃなかったもん」

「へー、そうなんだ?」

「だってとうさん、いつも屋敷の一室に籠もってほとんど外に出てこなかったもん。英雄っていうか、完全にただの変人だよ、あれは。確かに魔法士としてはすごいってことは判ってるけど――」

 幼い頃からクリオが見てきたガラム・バラウールは、英雄と称されるような気風のある人間じゃなかった。本当に魔法の研究のことしか考えていなくて、貴族の地位をもらいはしても、貴族としての人づき合いもしないし貴族っぽいぜいたくもしない。

「救国の英雄とか駆龍侯とか、もらった肩書だけはやたらと偉そうだったから、ほかの貴族たちからは成り上がり者ってやっかまれて、社交界にろくに知り合いもいないから味方になってくれる人間も少なくてさ……あとに残されるこっちの身にもなってほしいよ、ホント」

「それは持てる者ならではの悩みだよー。ウチの親なら、誰かにやっかまれてもいいから立派な肩書が欲しいっていうに決まってるよ、きっと」

 マルルーナの実家のカントレール家は、本人いわく、うだつの上がらない貧乏貴族らしい。レティツィアがいっていた、結婚相手を物色しに入学してきた女子生徒の典型例で、実際、本人も暇さえあれば上級生の教室の近くをうろついている。

 ただ、そういう不純な目的で入学してきたわりには、マルルーナの成績は悪くない。彼女いわく、優良物件を見つける前に成績不振で退学になったら元も子もないから、だそうである。

「……まあ、財産も権力もない、ちょっとばかり由緒があるだけのウチみたいな家の出身じゃ、せめて勉強くらいできないとね。ホント、世知辛いよー」

 そういってあっけらかんと笑うマルルーナはしたたかだ。クリオと同い年で、すでにはっきりとした将来のビジョンを持ってここに入学し、そのための努力を惜しまない。紋切り型の貴族の娘たちばかりの中で、彼女は少し特別な存在に見えた。

「なら、自分自身が軍人として身を立てることを考えてもいいんじゃないかな?」

 戦史学の授業が終わり、広い講堂が生徒たちのほっとした吐息で満たされる中、レティツィアはてきぱきと教科書やノートを片づけながらマルルーナにいった。

「――カントレールさんにはそのほうが向いている気がするけど」

「わたしが? いえ、そんなの無理ですよー。レティツィアさまみたいにデキがよくないんですって、こっちは」

「そんなことはないと思うけど……まあいいか。それより急ごう。次は馬術の講義だから、早く着替えないと」

「うん」

 クリオは離れた席に座っていたユーリックをちらっと一瞥し、レティツィアたちといっしょに女子の更衣室へ向かった。

 このゼクソールでは、二年次終了までに一般教養や基本的な馬術、剣術などを習得し、三年からはおのおのの特性に合った専門科へ進んで、より深い知識と実践的な技術を学ぶことになる。つまり、一年の時点で馬術や剣術の単位が取れなければ、それだけでもう留年が決定してしまうのだった。

 更衣室へとやってきたところで、マルルーナがふと思い出したようにいった。

「――そういえばクリオちゃん、わたし、前から気になってたんだけど」

「何が?」

「ユーリックくんてどういう生まれ? クリオちゃんの親戚か何か?」

「え? 親戚じゃないけど……ウチの屋敷ではたらいてたばあやの孫だよ」

「ふぅん」

 しゅるりとボウタイを引き抜き、ブラウスを脱ぎながら、マルルーナは天井を見上げて何ごとか考え込んでいる。その横顔になぜかざわつくものを感じ、クリオは思わず聞き返していた。

「……それがどうかしたの?」

「あ、たいしたことじゃないんだよー。ただ、もしクリオちゃんの親戚とかなら、一応はユーリックくんもバラウール家の親戚ってことになるわけで、だったら候補のひとりに入れといてもいいかなーって」

「こ、候補?」

「うん。結婚相手の候補」

「は!?」

 マルルーナの口からこぼれてきた言葉に、クリオは思わず手にしていた胸当を取り落としてしまった。

「ちょっ……バラウールさん!?」

「あ、ご、ごめん、レッチー……ていうか、今の本気でいってるの、マール?」

「えー? 何かおかしい?」

「お、おかしいっていうか――」

「まあ、ありえない選択ではないと思うよ、わたしも」

 手よりも口ばかりが動くクリオと違い、すでにレティツィアは革鎧を身に着け、ベンチに腰を下ろして脛当のストラップを締めている。

「――ここまでの成績を見ても、ドゼーくんはかなり優秀な生徒だしね」

「そうだよー。クリオちゃんはいつも近くにいるから感覚がマヒしてるんじゃないの? ユーリックくん、成績はいいし背は高いしケンカも強いし、何より顔がいいもん。これでもしクリオちゃんの従者じゃなかったら、絶対モテてるよー」

「…………」

 自分と姉弟同然に育ってきたユーリックが馬鹿にされれば、当然、クリオだって腹が立つ。けど、こうしてほかの少女たちから手放しでほめられているのを聞いても、なぜか無性に腹が立ってくる。どっちにしろ腹が立つのである。

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