第二章 ばあちゃんのクッキー ~冷めた紅茶~




 日当たりのいい庭の一角に、石造りの四阿あずまやがある。

 没落した貴族からこの屋敷を買い上げた時、祖父ジャコモは庭全体をあらたに作り直させ、みずから図面を引いた四阿をここに置いた。だからたぶん、祖父にとってはここがこの屋敷で一番好きな場所なのだろう。

「――おじいさま、お茶をお持ちいたしました」

 手ずから銀のトレイに紅茶の用意をして四阿に運んだレティツィアは、緑に囲まれて美しい花々を眺めている祖父に声をかけた。

「そのようなことはメイドにでもやらせればよかろうに……」

「いえ」

 あたたかそうなガウンをはおった祖父は、ゆっくりとした動きで振り返り、しわの数を増やして嬉しそうに笑った。

 レティツィアの祖父――フルミノール王国の大宰相ジャコモ・ロゼリーニはかなりの高齢で、杖がなくては自力では歩けない。祖父が四阿に上がるのを手伝い、レティツィアはあらためて紅茶をカップにそそいだ。

「……おじいさまがわざわざ本宅ではなくこちらに戻ってこいと遣いを寄越したということは、何かわたしに内密のお話があるのでしょう? それこそ、メイドにも聞かれてはまずいようなお話が」

 もしそういう話をしながら紅茶を楽しむなら、いちいちメイドを下がらせたり呼びつけたりするのは面倒だった。そんなことをするくらいなら、最初から自分でサーブするほうがわずらわしくなくていい。

「ふむ……わしの二三人の孫たちの中で、一番勘がいいのはおそらくおまえだな、レティツィア」

「ありがとうございます、おじいさま。――ただ、正確には、おじいさまの孫は全部で二五人おります。父やおじさまがたに隠し子がいなければの話ですが」

「……あえて欠点を捜すとすれば、おまえにはやや自分の才をひけらかそうとしがちなところがある。それも若さのせいといってしまえばそれまでだが、時にそれは無用の反感を買う原因ともなる」

「そうかもしれません。ですが、わたしが些細な間違いを指摘したところで、おじいさまはご不快になったりしないでしょう?」

「そうだな……しかし、時には韜晦することも必要なのだ」

「覚えておきます」

 紅茶の用意をすませ、レティツィアはテーブルをはさんで祖父の正面に座った。

「――それで、わたしに内密のお話とは何でしょう?」

「別に内密も何もないのだがな……陸軍学校ゼクソールのほうはどうだ?」

「どうだとは? おじいさまの孫があそこで学ぶのは初めてではないでしょう?」

「そうだな。これまで多くの息子や孫たちがゼクソールで学んできた。――だが、孫娘であそこに入学したのはおまえが初めてだ。ほかの年頃の従姉妹たちが、化粧やらダンスやら恋愛小説やらに夢中なのを横目に、おまえだけが、女だてらに軍人になるといい出した。言葉遣いまで兄たちに似て……」

 フルミノール王国屈指の名家ロゼリーニ家は、古くから武門の家系として知られている。しかし、レティツィアが把握しているかぎりでは、一族の中に軍人の道を選んだ女はひとりもいない。

「おじいさまはわたしが軍人になることに反対なのですか?」

「反対するつもりはないが……ただ、おまえにはいろいろな才能がある。そこでなぜ軍人を選んだのかが気になってな」

 ジャコモは紅茶から立ち昇る湯気を見つめたまま、カップを手に取ろうともしない。この老人がかなりの猫舌だということを知っているのは、二五人の孫たちの中では、特に可愛がられてきたレティツィアくらいのものだろう。

「――わたしは、フルミノールこそが覇者たるにふさわしい国だと信じております」

「覇者……?」

「そうです。だからこそ、我が国をないがしろにする他国がわたしには許せない。わたしが軍での出世を目指すのは、わたし自身の手でアフルワーズをはじめとした諸国を討ち払い、もう一度この国に栄光の日々を取り戻すためです」

「そうか……何となく流されて軍に入ったおまえの兄たちに聞かせてやりたい言葉だ」

「長生きなさってください、おじいさま。いずれわたしが、兄たちを顎でこき使うさまをご覧に入れますから」

「頼もしい言葉だ……しかし、おまえがそういう考えであれば、やはり話しておこう」

「何でしょう?」

「“地龍召喚ロゲ・ドラキス”のことだ」

 ようやくジャコモがカップに手を伸ばし、適度にぬるくなった紅茶をひとすすりする。レティツィアは目を細め、のどと唇を湿らせた祖父の次の言葉を待った。

「確かおまえは、バラウール家の娘と同室だったな?」

「そうですが……あれは偶然ではなく、おじいさまの差配でしたか?」

「わしというより、陛下とわし、だな」

「陛下が……?」

「今のこの国にとって、駆龍侯の欠けた穴を埋めることが急務なのはおまえにも判るだろう?」

「はい」

「だが、正直バラウールの娘では駆龍侯の代わりはまだ務まらぬだろうな。父親の急すぎる死によって、あの娘も、ロゲ・ドラキスの真訣にはたどり着いていなかったと見える」

「では……?」

「陛下はロゲ・ドラキスの真訣を求めておられる。真の愛国心を持ち、決して国を裏切らぬ者が、かの大地の龍をあやつる秘法を手に入れることができれば、おまえの望む未来はすぐにでも現実のものとなろう」

「クリオドゥーナ・バラウールは信頼に値しない、ということですか?」

「宮廷内では、あれを素性の判らぬ流れ者の娘と見る向きが多い。少なくとも、国の未来を賭けられるほどではないとな」

 だからこそ信頼できる者の手でロゲ・ドラキスの真訣を掴まなければならない――国王や祖父のその考えはレティツィアにも理解できる。レティツィアがクリオと同じクラス、寮でも同室になったのは、つまりはロゲ・ドラキスの手がかりを掴むスパイ役にするためなのだろう。

「確かにあまり胸を張れる役目ではないが……嫌か?」

「いえ、嫌ということはございませんが」

 自分の役割を伏せてクリオに接し続けることについては、さほどの抵抗はない。たとえレティツィアが断っても誰かが代役になるだけだし、だとすれば、自分が務めるのがもっとも成功率が高いとも思う。

「ただ、そう簡単に手がかりが掴めるものとも思えませんので」

「それほど用心深いのか、あの短気そうな娘が?」

「いえ、クリオドゥーナ・バラウールのほうではなく、彼女についている従者というのが、年に似合わず抜け目がなさそうな少年で――」

「……確かにいたな、そのような若者が」

 カップをソーサーに置き、ジャコモは長い髭に触れた。何か考え込む時の、これが祖父の癖だった。

「とはいえ、やはり鍵を握るのはあの娘であろう。そちらの従者のほうはおいおい考えるとして、おまえはクリオドゥーナ・バラウールから目を離すな。いずれあの娘の魔法士マージとしての実力も見えてこようしな」

「はい。ご期待に沿えるよう、このお役目、務めさせていただきます」

 レティツィアは石造りのベンチから立ち上がり、ジャコモに向かってふかぶかと一礼した。

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