第一章 おれの膝枕 ~ばあやのタルトは世界一!~
「……ユーリックや」
オーブンに薪を足していたマウリンは、自分よりはるかに大きくなった孫を呼びつけ、低く抑えた声でいった。
「おまえ、いったい何が気になるんだい?」
「特に何がということはない。ただ、今のお嬢さまの立場は微妙だからな。用心しておくに越したことはない」
「そういうものかい?」
「旦那さまがいらしたら、たぶんそういうよ」
ユーリックはマウリンを手伝ってティーカップをあたため始めた。
「ふ~……やっぱりだら~っとできるっていいわ~」
スリッパをぱたぱた鳴らして下りてきたクリオは、ソファに座って溜息をついた。
「お嬢さま、またそのような恰好で……」
アプリコットのタルトをテーブルに運んだマウリンは、下着の上にキャミソールをひっかぶっただけのクリオを見て、あからさまに眉をひそめた。
ガラム・バラウールの生前から、クリオは屋敷の中でこういう気楽すぎる恰好ですごすことが多く、マウリンに顔をしかめさせていた。そもそもガラムが魔法の探求以外には興味をしめさない偏屈な学者肌の男だったために、その娘として生まれたクリオも、いわゆる貴族らしいたしなみやふるまいとは無縁だったのである。
「だってさ~、寮で同室の子がガチガチの優等生で、いちいちわたしの礼儀作法にツッコミ入れてくるんだもん。ぜんぜん気が休まらなくってさ」
「素晴らしいご学友じゃありませんか」
タルトをナイフで切り分けながら、マウリンはぶつぶつと呟いた。
「――そういうご学友と同室なら、お嬢さまの礼儀も多少はましになるんじゃございませんか?」
「マウリンまでそんなこといわないでよ~」
テーブルに顎を乗せたクリオは、ふたたび重苦しい溜息をついた。
「――いくら何でもあの子は厳しすぎるって。もう外出日だけがわたしの心のオアシスなんだから、ばあやの前でくらいだらけさせてよ~」
「お嬢さまったら……」
いろいろと口うるさいところはあるものの、結局マウリンは――ユーリックに対しては厳しいのに――クリオには甘い。礼儀作法の話題を苦笑で切り上げ、マウリンはクリオの前にタルトの皿を置いた。
「……釈然としないな」
「何がだい、ユーリック?」
「何でもない」
自分とクリオのあつかいの差にやや不条理さを感じつつも、ユーリックはティーポットにお湯をそそぐためにキッチンに向かった。
「ユーリック」
孫を追いかけてきたマウリンは、ふたたび声をひそめ、
「――旦那さまがお亡くなりになったからって、おかしな気を起こすんじゃないよ?」
「……は? どういう意味だ?」
「だから……確かにおまえはお嬢さまと姉弟同然に育ってきたけれど、それでもお嬢さまの従者であることに変わりはないんだ。まかり間違っても、お嬢さまに手を出したりするんじゃないよ?」
「何をいい出すかと思えば……
ユーリックは呆れ顔でかぶりを振った。
「――おれがこうしてふつうの人間並みの暮らしができるのはお嬢さまのおかげなんだぞ? お嬢さまがその気になれば、おれは一瞬で動けなくなるんだ。手を出すも何も、おれの生殺与奪はお嬢さまが握ってるってことはばあちゃんも知ってるだろ? なのに何を心配してるんだ?」
「あんたがお嬢さまを力ずくでどうこうするなんて、そんなことはわたしだって心配してやしないよ。でも……年頃の男女の間にはあるだろ、いろいろと?」
「いろいろ? まあ……あるかもしれないよな」
紅茶が出てくるのを待ちきれず、早くもタルトに舌鼓を打っている少女を肩越しに見やり、ユーリックはうなずいた。
「だからさ!」
ユーリックを押しのけ、沸騰したお湯をティーポットにそそぎながら、マウリンはいった。
「……万が一そういう雰囲気になったとしても、あんた、自分の立場をわきまえて、ちゃんとアレしなさいよ?」
「すればいいのか」
「やんわりたしなめなさいよってことだよ! 馬鹿だねぇ、この子は!」
マウリンは使っていたミトンをユーリックの顔に投げつけた。
「――侯爵家を復興した暁には、お嬢さまにはそれにふさわしい名家から婿さまを迎えなきゃいけないんだから……」
「……判ってる。従者としての立場はわきまえてるよ」
「ならいいけど……ほら、あんたはそれ持ってきて」
ぶつぶついいながら、マウリンはポットとカップをトレイに乗せて運んでいく。ユーリックはずり落ちた眼鏡を押し上げると、アマンドのはちみつ漬けが入った小さな壺を持って居間に戻った。
「ユーくん! これこれ! ばあやのタルト、すっごくおいしいの!」
ユーリックがマウリンとキッチンでおしゃべりをしている間に、すでにクリオはアプリコットタルトをひとりで三分の一も食べきっていた。
「……太りますよ?」
「いいのいいの、寮の食事じゃこんなおいしいお菓子、ぜっったいに! 出ないんだから! この機会に食べ溜めとかないと! ――ほら、ユーくんも! はい!」
クリオはユーリックを自分のすぐ隣に座らせると、フォークで大きめに削り取ったタルトを少年の口もとへと運んだ。
「はい!」
「……は?」
「だからほら、あなたも食べてみなってば。わたしひとりだけで食べてるのって何かアレじゃん?」
「…………」
ぐいぐい来るクリオのいきおいに負け、ユーリックは渋い表情でタルトを受け入れた。テーブルの向こうでマウリンがもっと渋い表情をしていたが、クリオはそれにまったく気づいていない。
クリオのために甘めに作られているタルトを紅茶で胃の底に押し流し、ユーリックは首をこきこき鳴らした。
クリオは昔から、ユーリックを自分の従者ではなく、同い年の幼馴染みか、もっといえば弟か何かだと考えているふしがあった。そこから来る特別な親しさのせいで、おたがい一六歳になった今でも、クリオは隙あらばこういう馴れ馴れしさを見せる。それを十年以上もすぐそばで見てきたからか、マウリンはあらためてユーリックに釘を刺したのかもしれない。
「…………」
溜息を隠して紅茶をすすったユーリックの膝に、のすっと何かが乗った。
「あ~、やっぱりばあやの作るお菓子は最高ね~」
いつの間にか残りのタルトもたいらげていたクリオが、ソファの肘掛けのところに両足を乗せ、ユーリックの膝に頭を預けて横になっていた。
「お嬢さま、またそんな……お休みになりたいのでしたら、二階のベットで――」
「いいのいいの、別に本気で眠いわけじゃないもん。夕食ができるまでだらだらして、胃腸のはたらきを活発にしようと思ってさ」
「お嬢さま……それはただの怠け者の発言にしか聞こえませんが?」
「いっとくけど、もしわたしがホントに寝ちゃったとしても、勝手に動かないでよ、ユーくん?」
「判っております」
紅茶を飲み干してカップを置いたユーリックは、ちらりとマウリンの顔色を窺った。
「――――」
マウリンはさらに表情を険しくしていたが、それ以上は何もいわず、無言で食器を片づけ始めた。たとえユーリックにそのつもりがなくても、クリオのこの甘えっぷりを見れば、マウリンが心配になるのも無理はない。
無遠慮な少女の頭を撫でながら、ユーリックはいった。
「……あまり口うるさくするつもりはございませんが、時と場所に合わせたふるまいくらいは身に着けてくださいませ」
「そこは大丈夫。否応なくレッチーに教え込まれてるから」
「たびたび申し上げておりますが、知識は実践してこそ意味があるのですよ?」
そう苦笑する一方、あの優等生がクリオに何くれとなく気を配るのは、やはりロゲ・ドラキスの秘密を狙っているからだろうかと、ユーリックはふとそんなことが気になってしまった。
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