第一章 おれの膝枕 ~死地にいる少女~
「……え?」
クリオの顔色が、少しずつ青くなっていた。
「それじゃ、もしかしてわたし以外の誰かが先にロゲ・ドラキスを再現したら――?」
「そうです。特に、もしこの国の魔法士に先を越されれば、陛下にとってのお嬢さまの価値は一気にマイナスになるでしょう」
「ま、マイナス!? ゼロじゃなくて一気にマイナス!?」
「お嬢さまに駆龍侯の地位を継がせる、婿を取らせるといった話がなかったことにされるだけならまだましでしょう。……厄介なのは命を狙われかねないということです」
「……え?」
「この国が独自にロゲ・ドラキスを再現できたとして、次に警戒するのは、他国が同じ力を手にすることです。なら、たとえ再現できなかったとしても、ロゲ・ドラキスの真訣に近いお嬢さまが他国に流出するのはやはり避けたい。とすれば……あとはお判りでしょう?」
すでにロゲ・ドラキスを手に入れたあとでなら、クリオの才能や知識がなくても困らない。むしろ、ロゲ・ドラキスの国外への流出を阻止したいのであれば、クリオを殺してしまうのが一番簡単で確実な方法だった。
「……あちこちで陰口を叩かれていたように、旦那さまは出自のはっきりしない流れ者でした。おそらく陛下は、そんな旦那さまやその娘であるお嬢さまの愛国心を信じきれなかったのでしょう。広大な所領を取り上げたかったのも本音だとは思いますが」
だから――と、ユーリックはつけ足した。
「教官たちにはもちろん、ほかの生徒たちにもロゲ・ドラキスの秘密を漏らしてはなりません。他人に先を越されればお嬢さまの命が危なくなります」
「う、うん、判った……」
神妙な表情でうなずくクリオ。ユーリックはクリオの頭をぽんと撫で、膝に手を当てて立ち上がった。
「――あしたは外出許可が出る日です。もしお嬢さまにその気がおありなら、それこそよその国にでも亡命いたしますか? さすがに入学直後に逃げ出すとは陛下も予想していないでしょうし、案外うまくいくかもしれませんが?」
「じょっ、冗談じゃないわよ! それじゃただ逃げるだけじゃん!」
「お嬢さまならそうおっしゃるとは思っておりました」
リュシアン三世と謁見したあの日、おとなしく婿取りの選択肢を選ぶことなく、五年で父を超えると啖呵を切ったことで判るように、小柄でほっそりした見た目にそぐわず、クリオは負けん気が強い。
もちろん、冷徹に考えれば、クリオが五年で父を超えられるかどうかはかなり分が悪い賭けといえる。ならばクリオが安楽に暮らしていくためには、国王が提示した婿取りの話を素直に受けるのがベターだったと思う。
しかし、クリオは相手が国王であろうと抑えきれない自身の反骨心にしたがって、結果、こうしてゼクソールに入学し、ロゲ・ドラキス再現のために血道を上げることになっている。それもこれも、今となってはすべてリュシアン三世の計算通りだったのではないかと、ユーリックにはそう思えて仕方がない。
もっとも、それをクリオにいえば、この少女はまた変な方向に突っ走りかねない。だからユーリックは何もいわなかった。
「それじゃユーくん、またあしたね」
「はい。お嬢さまもゆっくりお休みください」
午後の授業が終わると、二時間の自由時間をはさんで夕食になる。その後は入浴と自習時間、そして就寝――真面目な貴族の子弟が一定数いるおかげで、寮生活での規律を大きく乱す者はほとんどいないらしい。
「――あ、ユーリックくんお帰り~」
男子寮の自室に戻ると、先に戻っていた同部屋のコルッチョが、ベッドに座ってもぐもぐとパンを食べていた。
「……確か夕食はこれからだったと思うが」
「うん、そだね」
「じゃあそのパンは何なんだ?」
「これはお昼の残りだよう。厨房のおばちゃんと裏取引をして、こっそり回してもらったんだぁ」
コルッチョは王都でも有数の豪商ルペルマイエル家のひとり息子で、三度の飯より食べることが大好きな少年である。ここに入学したのも軍人になるためではなく、心身を鍛錬しつつ、いずれ国の要人となるであろう貴族の子弟たちとのコネ作ってこいと、父親の指示で有無をいわさず放り込まれたらしい。
都で指折りの金持ちの息子とはいえ、身分的には自分と同じ平民で、しかもコルッチョ自身がおだやかで気のいい少年だったため、ユーリックとしては大当たりの同居人といえる。コルッチョが相手なら、堅苦しい言葉遣いや気遣いも必要ない。
何より、食べることが大好きで太っちょのこの少年は、いざという時に買収しやすいのがよかった。
「裏取引はいいが、親御さんが知ったら泣くぞ?」
自分の机に着いたユーリックは、読みかけの本を開いて嘆息した。
「――おまえがここに放り込まれたのは、コネ作りのほかに痩せるためってこともあるんだろう?」
「大丈夫大丈夫、ママにはばれないよう」
「ならいいが」
「それはそうとさ」
コルッチョはユーリックのそばに椅子をもってきて座ると、興味津々といった様子で尋ねた。
「――ユーリックくんはクリオドゥーナさんの従者なんだよねえ?」
「ああ。おれの祖母がバラウール卿のお屋敷ではたらいていたから、孫のおれも何となく流れでな」
「でもさ、そのわりには、何かユーリックくんとクリオドゥーナさんて……距離感近くない?」
「そうか?」
ユーリックはそこで初めてコルッチョを一瞥した。ぼーっとしていて食べることしか考えていないのかと思ったが、意外にこの太っちょは、周りの人間のことをよく見ているのかもしれない。
「主従っていうより友達っていうか……いや、ぼくも主従関係とかよく判らないんだけどねぇ」
「まあ、おれたちは生まれた時からずっといっしょだし、主従関係というより幼馴染みという意識のほうが強いからな。……ただ、さすがにこの年になるとガキの頃のままじゃいられないから、おれも対外的には従者の顔をするわけだが」
ただ、それは自分の立場をわきまえているからということ以上に、自分がまっとうな従者としてふるまわなければ、貴族としてのクリオが周囲から軽んじられるからでもある。そう気づいてからは、努めて従者らしくふるまうようにしていた。
「ふーん、そういうものなんだねえ」
「そういうものだ。これでも苦労している」
「あ、あとさ」
「まだ何かあるのか?」
「ユーリックくんて、どうしていっつも籠手と脛当つけてるの? それ、絶対にはずさないよねぇ? もしかして寝る時もつけてない?」
「おまえは常在戦場という言葉を知っているか?」
「ううん」
屈託なく首を振り、コルッチョはまたどこからか取り出したパンをもしゃもしゃ食べ始めた。
「……おまえ、いったいいくつ調達してきたんだ? というか、じきに夕食だぞ?」
「夕食はまた別腹だよう」
「陸軍にその才能を生かせる分野があれば、おまえも首席を目指せたかもしれないな」
「ふぁい? 首席?」
「何でもない」
小さく微笑み、ユーリックは読書に集中した。ユーリックにはクリオほどの魔法の才能も魔力もないが、それでも、自分の役目は彼女がロゲ・ドラキスを手に入れるためのサポートだと心得ている。
何より、クリオが王族から婿を押しつけられるなどという事態は死んでも避けたかった。少なくともクリオには、自分で配偶者を選べる自由をあたえてやりたい。
それはガラム・バラウールに深い恩義を感じている従者としての思いではなく、ユーリック・ドゼーという思春期の少年としての、人にはいえない正直な思いであった。
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