第一章 おれの膝枕 ~レティツィアという少女~
「まあ、昼休みのやりようを見るかぎり、きみはそういう手合いではないと思うけど」
口もとを押さえ、レティツィアはくすっと笑った。背筋のぴんと伸びた立ち居ふるまいや凛々しげな言葉遣いのわりに、ふと見せるそうした表情には、やはり年頃の少女らしい柔らかさがある。
「あー、レッチーも見てたんだ?」
「伴侶を捜しにここへ来ているような計算高い子は、貴族の息子を相手に媚びは売っても喧嘩は売らないものだよ」
それを聞いたクリオは、こそこそとユーリックに尋ねた。
「……もしかして今の、わたしのことほめて――」
「お嬢さま、ポジティブなのはよろしいのですが、限度というものがございます」
都合のよすぎるクリオの思い込みを即座に叩き潰すと、ユーリックは小さく咳払いをした。
「――厳密にいえば、喧嘩を売ってきたのはあちらでございます。それをホイホイお買い上げになったお嬢さまの行動は、確かにほめられたものではございませんでしたが、見方を変えれば、あれでお嬢さまに絡んでくるかたがたはかなり減るかと」
「確かにディラド家の御曹司は、衆目の前でひどい恥をかかされたからね。あれを見た生徒なら、よほどのことがないかぎり、バラウールさん――というより、ドゼーくんにちょっかいを出そうとは思わないだろう」
「恐れ入ります」
「ただ、これはあの場にいたみんなが抱いた疑問だと思うけど……ドゼーくんがバラウールさんの魔法だというのは、いったいどういう意味かな?」
「レッチーも魔法を使うんだっけ? 法兵科を希望してるの?」
少女の質問にクリオが質問で返す。またもや妙な愛称で呼ばれたのが気に障ったのか、レティツィアの瞳がわずかに揺れた。
「……だとしたら何かな?」
「歴史に名を遺すような
「なるほど……ただの屁理屈のようにも聞こえるけど、一理あるね。確かにこれはわたしが不躾だったかもしれない」
凍った湖を思わせるレティツィアの瞳が今度はユーリックを捉える。
「……なら、ドゼーくんに聞いても答えは同じなのかな?」
「私はお嬢さまの従者ですので、お嬢さまが明かせないというのであれば、私からは何ひとつ申し上げることはございません」
「残念だな。
軽くかぶりを振ったレティツィアは、スカートの裾を優雅に揺らして去っていった。凛とした気品のある立ち居ふるまいを前にすると、これが同じ一六歳なのかとクリオとついついくらべてしまう。
「……ユーくん?」
「何でしょう?」
「レッチーとわたしを見くらべて溜息ついたよね、今?」
「お嬢さまの気のせいでは?」
「ぜっったい! 気のせいじゃ! ないから!」
「……お嬢さま」
ガントレットの太い指先で器用にクリオの制服についた芝を取り除き、今度はあからさまに溜息をつく。
「せっかく同室になったのですから、少しはレティツィアさまを見習ってくださいませ。――目下のところ、お嬢さまが首席を取る上での最大のライバルはあのかたです」
あの優等生と毎日同室ですごすのは、クリオのように奔放な少女には息が詰まることに違いない。しかしユーリックとしては、レティツィアのような優秀な子のいいところを学んでもらいたかった。
「だってレッチーってば、すぐにお行儀がどうとか、言葉遣いがどうとか、何かにつけて小言いってくるんだもん。わたし的にはマールと交換してもらいたいんだけど」
「ですから、そこは愚痴をお吐きにならずに素直に聞き入れて改善なさってください」
その時、時計塔の鐘が鳴り始めた。放課後の自由時間が終わると、寮生活での数少ない楽しみのひとつといえる夕食の時間がやってくる。
「はいはい、小言はそこまで、ごはんの時間だよ!」
「まったく……」
「そうだ、ついでってわけじゃないけど、今のうちにチャージしとく?」
「お願いいたします」
ユーリックはわずかに身をかがめ、前髪をかき上げた。
「はい」
少女の人差し指が、ユーリックの額に刻まれた六芒星に押し当てられる。そこに人肌のぬくもり以上の熱が生じ、ユーリックは自分の全身を何かが駆け抜けていく奇妙な感覚を覚えた。
「――あっ!?」
卒然、クリオが何かに気づいたように声をあげた。
「ユーくん……わたしの知らないところでジュジュ先生と会った!? 何これ? 何をいちゃついてるわけ!?」
「お待ちください、それはおそらく誤解です」
「誤解!? 誤解じゃないでしょ、わたしにははっきり見えたんだから! 誤解じゃないっていうならどういうことか説明しなさいよ! ほら、ほらほら!」
「そうおっしゃられましても、私にはお嬢さまが何をご覧になってお怒りになったのかが判りかねますので――」
「おい! 騒々しいぞ、そこ!」
少年の髪をぐしゃぐしゃにしようとする少女と、それを防ごうとする少年の攻防に、頭ごなしな声が割り込んできた。
ふたりが振り返ると、てかてかした赤毛のオールバックの若者が不機嫌そうに眉をひそめてこちらを睨みつけている。
「え~と……」
クリオは首をかしげ、それから助けを求めるようにユーリックを見上げた。
「同じクラスのルロイ・ハッケボルンさまです」
ユーリックは小声でクリオに告げた。
「――昼に恥をかかせたディラドさまのご実家と違い、ハッケボルン家は裕福で由緒もあるなかなかの名家でございます。覚えておいてくださいませ」
「おい貴様、今何といった!? なかなかの……何だ、いってみたまえ!」
「いえ、別に何でもございません」
ユーリックは軽く一礼し、クリオに乱された髪や服装を整えた。
「まったく……従者が従者なら主人も主人だな! バラウールくん、きみはこのぼくの名前を覚えていなかったんだろう!?」
「そ、そんなことないよ? ちゃんと覚えてた、うん! 覚えてたよ! るら、ルロイ……くんでしょ? ルロイくんね、うん!」
正直に答えるわけにもいかず、クリオはルロイから目を逸らした。
「あからさまな嘘をいうのはやめたまえ! 本当に無礼だな、きみは! 初日にクラス全員で自己紹介をしたというのに……しょせんは平民上がりということか!」
「ルロイさま、それは違います。お嬢さまがお生まれになった時には、すでに旦那さまは先代陛下より駆龍侯の地位をあたえられておりました。……つまりお嬢さまは生まれながらの貴族ということでございます」
「黙りたまえよ、平民くん! 屁理屈をこねるな!」
ルロイはユーリックを怒鳴りつけ、額に垂れた前髪を撫でつけた。
この貴族の子弟はことあるごとにユーリックやクリオを見下してくる。プライドの高さだけならクラス一、学年一かもしれない。もしこれで成績も優秀な生徒であれば、クリオも強力なライバルとしてしっかりと名前を憶えていたはずだが、あいにくと入学直後の試験の順位ではせいぜい中の上、ユーリックたちを見下せるようなご大層な成績ではなかった。
この若者と接していても得ることはほとんどない。ユーリックは眼鏡を押し上げ、ルロイに尋ねた。
「……じきに夕食の時間です。特に用事がないのであれば、もう行ってよろしいでしょうか?」
「あ、ちょ、ちょっと待ちたまえ! 無論、用はある! あるとも!」
「何でしょう?」
「きみたち、さっきレティツィアと何かを話していただろう? いったい何を話していたんだ? 下手に隠さず素直にしゃべったほうが身のためだぞ?」
「いえ、別にこれといった話は何も」
少なくとも嘘はついていない。あくまで慇懃な態度は崩さず、ユーリックはルロイの疑念を否定した。
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