第一章 おれの膝枕 ~嫌な夢~
☆
「…………」
エニシダの大木の根元に座り込み、ユーリックは本を読んでいた。あぐらをかいた膝の上には少女の頭が乗っている。授業が終わってここへ来るなり、クリオはユーリックの膝を枕にしてずっと昼寝をしていた。
「…………」
空いている左手で何とはなしにクリオの髪を撫でていると、急にその手を掴まれた。
「……お目覚めですか、お嬢さま」
「……ん」
「ふだん夜更かしがすぎるのでは? 講義中の居眠りだけは絶対に――」
「謁見の日の夢を見ちゃった……」
冷たい
「らしくもなく弱気なご様子ですが、陛下を相手に啖呵をお切りになったことを、いまさら後悔なさっておいでなのですか?」
「後悔はしてないけどさ――」
クリオはゆっくりと身を起こし、大きく溜息をついた。
この少女にたぐい稀な魔法の才能があることは間違いない。しかし、それはガラム・バラウールの娘という生まれによるもので、いわば天賦の才である。磨かなければ光ることなく腐るだけだった。
そして娘の才能を磨いている最中、ガラム・バラウールはこの世を去った。残ったのは磨きかけの珠玉――クリオドゥーナだけだった。
「このゼクソールを首席で卒業するのはかなりの難事です。特に
「それは判ってるんだけどね」
「しかも、最終的に法兵科を目指すとはいえ、ほかの科目もおろそかにすることはできません。ひとつでも不可があれば進級できないのですから」
「それも判ってるんだけどね」
「そうおっしゃるわりには学業に身が入っていらっしゃらないのでは? 呑気に昼寝などしている暇はございませんよ?」
「だから! いちいち! うるさい!」
つらつらと小言を繰り出すユーリックをさえぎり、クリオはあざやかな金と赤の髪をかきむしった。
「ってゆ~かさ、そもそもの話、仕方なくない、あの時は?」
「何がでしょう?」
「だーかーらー! 謁見の時の! あの! やり取り! 陛下との! あの場はああいうしかないじゃん!?」
「そうでしょうか? ほかにも何かやりようはあったと思いますが」
「ユーくん何いってんの!? あそこでわたしがおとなしくハイハイいってたら、わたし、どこの馬の骨とも判らない婿を押しつけられてたんだよ!?」
「どこの馬の骨という表現はおやめください。お相手は陛下がお選びになられるお身内の若さまでしょう。具体的にそれがどなたなのか存じませんが――」
「じゃなくて!」
クリオはユーリックが読んでいた本を取り上げると、少年の両手を握ってぶんぶん揺さぶった。
「――ユーくんはそれでいいわけ!? わたしが王族のボンボンなんかと結婚しちゃうんだよ!? ほかの! 男と! 結婚! だよ!?」
「それは――」
クリオに迫られ、ユーリックは珍しく言葉を濁した。
「ねえ、どうなの!? そこんとこどう思ってるわけ、ユーくんは!?」
ユーリックの膝の上に無遠慮にまたがり、ずいずい顔を近づけ、クリオはかさねて問いただした。眼鏡の奥でユーリックが不機嫌そうに眉をひそめていることに気づいているくせに、少女はさらにむにむにと少年の頬を左右に引っ張り始めた。
「ほらほら、どうなのよ、ほら!」
「……この際、私個人の考えは関係ないかと。お嬢さまがこうしたいとお決めになったことであれば、私はそのために全力を尽くすだけですので」
「何それ? はぐらかしてるの?」
「いちいちわめくのはおやめください。はしたないですよ」
日没が静かに忍び寄っているとはいえ、まだ芝生の上にはちらほらとほかの生徒たちの姿もいる。ただでさえ有名人のクリオが大声でわめいていれば、いやでもその耳目を惹いてしまうだろう。
「そうやってすぐにごまかすし……」
可愛らしい少女らしくもない舌打ちをして、クリオは身体の向きを変えた。
「別にごまかしてはおりませんよ」
膝の上にクリオを抱きかかえる恰好になったユーリックは、本を拾い上げて芝を払い落とした。
「――私はお嬢さまの従者ですから、私の考えよりお嬢さまのお考えが優先されるのは当然でしょう。……ただ、その上で私の意見をお聞きになりたいのであれば、私もお答えしますが」
「じゃあ聞かせてよ。ユーくんはどう思ってるわけ?」
「単純至極な話でございます。お嬢さまはお嬢さまがお気に召すお相手とご結婚なさればよろしいのです。お嬢さまもそうお考えになられたからこそ、陛下のご提案を一蹴なさったのでしょう?」
「あのね、わたしが聞きたいのはそういうことじゃないの。わたしがどこかの誰かと結婚するって聞いて、ユーくんはどう思うかってことを――」
「誰が結婚するって?」
その時、ユーリックとクリオの横合いから少女の声が飛んできた。
「……これはレティツィアさま。お見苦しいところを」
これさいわいと、ユーリックはクリオの両脇に手を差し入れて膝から下ろすと、素早く立ち上がって声をかけてきた少女に一礼した。
「いつもお嬢さまがお世話になっております」
「ちょっとやめてよ、別にわたし、レッチーのお世話にとかなってないから」
「それをいうならきみこそレッチーと呼ぶのはやめてくれないかな? 何度もいっているよね?」
ふたりの前に立ったのは、西日を受けて王冠のように輝く金髪の少女、レティツィア・ロゼリーニだった。この国でも指折りの名門ロゼリーニ家の一員で、文武両道、品行方正を絵に描いたような優等生である。ユーリックやクリオと同じ一年一組の生徒であるだけでなく、クリオとは寮の部屋もいっしょだった。
「――それで、誰が結婚するのかな?」
「は? 結婚? 何の話?」
「きみたちが結婚がどうとかいっていたように聞こえたけど?」
「あらやだ、レティツィアさまったら、人の話を盗み聞きしてらしたの?」
クリオは芝居がかった口調でレティツィアを皮肉ったが、あれだけ大きな声でわめいていれば、その気がなくとも耳に入ってしまうだろう。レティツィアがふたりの会話の断片を聞きつけたのは、つまりはクリオの慎みのなさの証左であった。
ともあれ、ひとまずはこの場をごまかそうと、ユーリックはレティツィアに話を振った。
「――実際のところ、男子生徒はともかく、女子生徒の中には、結婚相手を捜すためにここへ入学するかたがたも少なくないと聞きますが、それは本当でしょうか、レティツィアさま?」
「そうだね。わたしもそういう話はよく聞くよ」
やはりレティツィアもどこかで読書をしていたのか、小脇に本をかかえたまま、冷ややかな夕風になびく髪を押さえた。
「え? 結婚相手を捜しにって……どういうこと? ちょっと気になるんだけど!?」
「ここで学ぶ男子生徒の大半は貴族の子弟だろう? 貴族の子弟でここをつつがなく卒業できたとなれば、入隊後はかなりの高確率でエリートコースに乗ることができる。つまり、結婚相手としてはかなりの優良物件というわけでね」
「あー! 要するに、早いうちに唾つけとくってこと? でしょ?」
「……言葉のチョイスはともかく、つまりはそういうことだよ。うちのクラスにも何人かそういう子がいるし」
「へえ……」
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