第39話 ライの過去④

「ダ、ダルトさん。こいつらも少し動揺してただけなんだ。許してやってくれませんかね」


木から飛び降りたネミコがひょうひょうとした態度でダルトに迫るが、その背中は汗でぐっしょりと濡れていた。その緊張が伝わらないように、ネミコは顔に浮かべた笑みを絶やさないよう全力を努めた。


「ネミコ、お前も殺されたいのか?」


「い、いや。そんなことは言ってないですよ。ほら、ジーナみたいな優秀な奴をそんな簡単に手放しちまってもいいのかと思いまして」


へへへっ、と後頭部をぼりぼり掻きながらダルトを刺激しない程度の反論を口にする。しかし依然ダルトがこちらに向ける視線は厳しいままだった。


「構わんよ。足りなくなったら足せばいいだけだからな」


すでにダルトの瞳の奥には、ジーナやライと同じように揺るぎない決意のようなものを感じた。お互いにそれを悟っているのだろう。ククを抱えたライが一歩踏み込んでダルトたちへ立ち向かおうとするが、それは横から伸びる細くて白い腕によって邪魔をされた。


「ジーナ?何をしているんだ。その手をどけてくれ」


その腕の持ち主であるジーナにそう言うライだが、少したりともその腕をどかすつもりがないらしい。バッと顔を上げたジーナがその態勢のまま小さな声で呟いた。


「逃げて」


「は?」


「ククを連れて一直線に逃げて。絶対に振り返らずに。やっぱり捕らえらていた子供たちも放っておけないしね」


ライは更に困惑した。


逃げて?ならば君はどうなるんだ。


しかし、その言葉を口に出したくても出せなかった。いや、出したところで無駄だということを潜在的に理解していたのかもしれない。この状況、三人一緒に仲良く逃げ切ることができないなんてすでに分かっていたはずなんだ。それでも受け入れたくなかった。


ククを抱えた状態でこの大人数に立ち向かうという無謀を犯そうとしたことが何よりの証だろう。何が何でも否定したかったんだ。自分が直面しているこの現実を。


しかしライと違ってジーナは冷静だった。頭の中で状況を整理し、どうするのが最善なのかを計算していた。ここでもライは自分の未熟さを思い知った。小さい頃は神童だと街中の人間にもてはやされていたことが本当に恥ずかしく感じてしまった。


だからこそ最後くらいは格好つけたかった。


「ジーナ、君がこの子を連れて逃げるんだ。こいつらは私が食い止める」


「おいおいライさんよぉ、お前じゃ十秒も持たねぇって。やめときなよ」

「あんたジーナよりも弱いんだからさ」


正面から降り注ぐ言葉が剣のようにライの身体を突き刺してくる。しかし何も言い返せなかった。自他ともに、ライよりもジーナの方が優れていることは明白だったのだ。


ライは血が流れるほど歯を食いしばり、ククを抱くその力がどんどん強くなっていく。


「ライ、ククが泣いているわ」


ジーナのその言葉にハッとしたライは、腕の中でわんわん泣きわめくククの頭をやさしくなでてあげた。


「彼らが言う通りあなたじゃ足止めをするのは無理よ。だからお願い。私たちのククを守ってちょうだい」


「で、でも!いくら君でもこの数をいっぺんに相手するのは無理だ!」


ライは当然のように反論をする。いくらジーナの実力が飛び抜けているからと言ってこの人数を、しかもダルトまで相手をするのは不可能に近い。


しかしジーナの表情は死んでいなかった。ライに抱かれたククの額にキスをすると、優しい笑みを浮かべて前を向いた。


「大丈夫。私にはがあるから」


「しかし・・・」


『秘策』。それはもちろん夫であるライはそれが何なのかを理解していた。その言葉からジーナのどうしようもなく強い意志を感じてしまった。

しかしダルトも含めて、それ以外の人間は何のことなのか理解していないのだろう。首を傾げたり、興味深そうな視線を向けてきたりと、反応は様々だった。


「もうこれしかないの。お願いだから行ってライ」


「・・・」


ライは言葉を発することが出来なかった。この状況で何もできない自分への無力感、もはやどうしようもない現実への絶望感。それらすべてを飲み込むように、ライは大きくつばを飲み込む。


すると、ジーナがこちらに振り返って「かがんで」と呟く。その言葉に従ってククを抱いたままライは片膝を地面に着く。



「あっ」


「ふふっ、愛してるわ。ライ」


ジーナの柔らかい唇がライの額を小突く。あっけにとられたライは木漏れ日を背にして天使のような微笑みを浮かべるジーナの顔を見た。そしてその瞳に映るだらしない自分の姿を。


ようやく決心した。ライは立ち上げるとジーナを正面に見据える。


「・・・分かった。けどこれだは言わせてくれ」


「なぁに」


「愛してるよ、ジーナ」


「私もよ。ククも、元気でね」


「あぁぅ」


最後に無邪気に笑うククの顔を見たジーナは、とうとう前に振り返ってしまった。


そしてライは地を蹴った。すべてを置き去りにするスピードで、その痕跡を示すように空中には透明に輝く水滴を残して。


「お別れの言葉はそれでいいのか」


「えぇ、あなた達をボコボコにして後で追いつくつもりだから」


「ふっ、ならば見せてみるがいい。お前の言うとやらを」


ダルトの挑発的な物言いにジーナは余裕をもって微笑み返す。そして両手の平を合わせたジーナは詠唱を開始した。















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