第38話 ライの過去③

初めて見た時から綺麗な人だと思っていた。同時期に『融魂の業カルマ』に所属したその女性は、燃えるような赤い長髪に少し吊り上がったような、どこか挑戦的な瞳を携え、その小さな体のどこに隠しているんだと思わせるほどのエネルギーの持ち主だった。


同時期に加入したということもあり、二人の中が深まるのにそれほど時間はかからなかった。いつでも明るくて前向きな彼女に惹かれ、二人は恋仲になり、そして子供だってできた。



なのに、なのにどうしてこんなことになっているんだ。ライは目の前で自分に向けて手をかざすジーナを見て、自分は今夢の中に捕らえらているのではないかと一瞬錯覚した。しかし目の前でこちらを感情のない目で見つめるのは、確かに自分が愛した妻であるジーナだった。


しかし、ジーナがこちらに向ける腕はなぜか震えていて、口元の筋肉をヒクヒクと痙攣させている。


「ライ、私があなたの選択に対して何かを言うつもりはないわ」


ライはジーナの言葉に耳を傾ける。この世界には音もなく、空気もないように、まるで世界には二人しかいないような感覚に陥る。次に吐くジーナのセリフはどんなものだろう。恨みか、怒りか、それとも憎しみか。


今か今かと、その言葉がジーナの口から吐き出されるのを待つ。そんな静寂の中、自分の唾が喉を通り過ぎる音だけが響き渡る。


そしてジーナは口を動かした。彼女の言葉が語られるより前に読み取ってやろうと、全神経をジーナの口元に集中させたライは、一瞬気付くのが遅れてしまった。



ジーナの目から涙が零れ落ちるのを。



「あなたには最後まで味方でいてほしかった」




「────ッ!!|かめの甲羅!!!」




素早く両手のひらを合わせたライに追随するように、地面からせりあがった石の壁が甲羅のようにジーナとライ以外を包み込んだ。




「逃げるぞジーナ!」


「えっ!?ちょっと!!」


素早くジーナを肩に背負ったライは、身体強化魔法を自分の身体に施して全速力で疾走した。



外観からは想像もできないような広さを誇る研究所の通路を、右へ左へと器用に突き進んでいく。


「何してるのよ!こんなことしたらあなただってどうなるか分からないわよ!!」


ジーナはライの大きな肩の上で身をよじりながら抵抗を続ける。しかしその抵抗は虚しく、ライにはほとんど影響がない。


「どうなったっていいに決まってるだろ!!私の使命はお前とククを守ることだ!!それさえできれば後はどうだっていい!!」


「ライ・・・」


ライはついさっきジーナに吐き出した言葉を思い出して、この短い間に何度頭の中で自分を殺しただろうか。


『私は、、、私には果たさなければならない使命があるんだ・・・』


果たさなければならない使命?そんなもの家族が出来た時点で捨てるべきだったんだ。望むもの全てを手に入れる実力なんて自分にはない。世界はそんなに甘くはない。自分がするべきだったのは、手の中にある大切なものを零さないよう全力を注ぐことだけだったんだ。



自分の愚かさに呆れる暇すらないライは、まるで目的地が決まっているかのように迷いなく歩を進め、一つのドアの前で急停止するとその扉を力強く開いた。


「クク!!」


ライの肩から降りたジーナが、ベビーベッドで眠っていた赤ん坊の元へと駆け寄って持ち上げた。


キャッキャ、と父と母の顔を見て無邪気に笑い声を上げる赤ん坊を見て、張り詰めていた空気が解けるようにして、ジーナの表情にも温かいものが表れた。


「ジーナ、急いで逃げよう。あの魔法は私の中でも最高硬度を誇るが、そう長くは持たない」


「でも・・・まだあの子たちが」


「お前の気持ちは痛いほどわかる。けど私たちにはククがいるんだ。頼むジーナ、分かってくれ」


ライは、苦しそうに眉をひそめるジーナの肩をがっしりと掴む。この選択を迫るのはジーナにとって苦そのものだろう。


身を寄せ合って視線に怯えていた子供たちを脳裏に思い浮かべる。やっぱり見捨てることはできない。そもそもあの子供たちを救うためにジーナはこんなことをしでかしたのだ。


その心の内をライに告げようと振り向いたその瞬間、


「あ、あぅ」


服の袖の部分を小さな手で一生懸命掴んだククが、不思議そうにジーナの顔を覗き込む。


「・・・」


その姿にジーナは開きかかった口をいったん閉じて、肺に溜まった酸素をすべて吐き出すように深呼吸をすると、改めてライへと向き直った。


「分かったわ。急いで逃げましょう」


「・・・すまない、ジーナ」


少し時間を食ってしまったが、ようやく二人の方針が一致する。

しかしさっきも言ったように、この研究所は外観に似合わずとても中が広くなっている。これはもちろん空間拡張魔法による効果だ。行儀よく入口まで向かうようでは間に合うかどうか分からない。


だから二人は強行突破に出ることにした。


「ごめんねクク。ちょっとうるさいかもしれないけど」


腕に抱えていたククをライに手渡すと、彼女は議場で放った『王水流の三叉槍トリシューナ』をより凝縮したものを、今度は外気と接している研究所の壁へと放った。


激しい轟音と共に崩れ落ちた壁からは、肌をなでつけるような冷たい風が入り込んでくる。ライはその冷たい風にククを晒さないように、強く抱きしめた。




二人はとにかく走った。森に囲まれたこの研究所から街に出るにはかなりの時間を要する。入り組んだ獣道を器用に突き進み、一瞬たりとも足を止めることなく、すでに三十分は経過しているだろうか。いまだに追手がないのが幸いだが、逆にその安心感がライたちの不安感を煽ってくる。



「まだ追いついてくる気配はないかしら・・・」


「分からん。ただ油断は禁物だ。なんだか嫌な予感がする」


ククを抱えてジーナと同じ速度を保っているライは、なんだか得体の知れない不気味さに身体を身震いさせた。


やはり嫌な予感と言うのは存外に当たってしまうようだ。

背後から迫りくる気配を感じ取ったときにはすでに遅かった。自分たちに追いついた一つの影は、すぐに追い越してしまうとライたちの目の前に立ちはだかった。


「追いつくとしたらお前だと思っていたよ。ネミコ」


「当たり前だろ。あの中じゃ俺が一番速ぇんだよ」


高く生える木の枝に二本の足で立つネミコを、ライとジーナは下から覗き込むように見上げた。しかしネミコの表情は風に揺れる木の葉のせいでよく見えない。


「お願いネミコ。そこをどいて」


「それは出来ねぇ。俺がどいても他の奴らがすぐに追いつく。だから戻れ、さっきのことは俺からもダルトさんに口添えしてやるから許してもらえ。今ならまだ間に合う。それとお前たちのガキに手を出させねぇようにもな」


ネミコは最大限の譲歩をしてくれた。その言葉を脳内でゆっくりと咀嚼したジーナは、覚悟の決まった瞳をもって言い返した。


「駄目よ、どっちにしろあんなところにもうククは置いておけない。やっぱり私にとってはこの子が世界で一番大切なの」


「くそがっ・・・ライ!お前だって使命があるんだろ!?それを果たさなくていいのかよ!」


組織の中で最も仲が良かったネミコには、自分には『使命』があるということを話していた。それがどんな内容なのかまでは聞いていないが、それをネタに何とか踏みとどませようとライに迫る。


「あぁ、もちろん使命は果たす。この二人を守るっていう使命をな」


「おまえぇ・・・」


顔はよく見えないが、おそらく今のネミコは怒りに震えているのだろう。感情の揺れのせいか、魔力が乱れているのがよく分かる。

しかしライたちは生まれたばかりの娘を守るためにもネミコを突破しなければならない。ついさっきまで仲間だと思っていたネミコが、感情をむき出しにして自分たちの前に立ちはだかる。


決して望んでいなかった状況、想像できなかった現実。目の前に広がる景色がただの一枚の絵画だったらいいのに、と無駄なことを妄想していると、ネミコが通ってきた道から更に多くの気配が近づいてきた。


「ちっ…もうダルトさんたち追いついてきやがった」


ネミコが舌打ちをすると、森の奥からいくつもの人影が現れた。


「意外とすぐに追いついたものね。お前ら二人とも・・・もうお終いぞ」


そう告げるダルトの目は猛禽類のように鋭く、口から覗く歯は猫のように尖っていた。








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