第34話 神の領域

「ふぅ、すまねぇお前ら。止めようと思ったら結局返り討ちに遭っちまった」


血に染まった壁にもたれかかったハイドはハハッ、とつぶれかけた喉で微笑を洩らす。


「返り討ち??なんであなたがそこまで必死になって止めようとしてくれたの?」


ハイドからしたら、ルウラたちのためにここまで身体を張る理由がないはずだ。一度カルマの護衛についていた自分を邪魔したルウラを恨んでいてもおかしくはない。それなのにどうしてここまでのことをするのか、それがククには理解できなかった。


「あぁ、そういや飯食った時にあんまり話してなかったな。俺は金が必要だってのは何回も言ったろ?そのために汚ねぇこともたくさんやった。けどそんな時にお前らに出会っちまったのよ」


ルウラとククが初めて会った時のことだろう、その時のことを頭に思い浮かべながら二人はハイドの話に耳を傾ける。


「びっくりしたぜ、まさかお前みたいなガキに一発でやられちまうなんて。そんでギルドに戻ったときは終わったと思ったよ」


ハイドはギルドでルウラたちに再開したとき、意識を失いそうになるほどの絶望を感じていた。ルウラたちによって自分のしでかしたことがばれてしまう。そうなればもうここでの仕事は出来なくなるだろう。


しかし現実はハイドが想像していたものとは大きく異なっていた。ルウラはハイドの悪行を報告するわけでもなく、ただただ優しく諭してくれた。そして許してくれた。


「俺さぁ、病気の母親がいるんだよ。もう五年くらいか、俺の家は片親だから母ちゃんが俺を育てるために死ぬ気で働いてくれてたんだよ。そんで悪い男にひっかっかちまった」


母親に言い寄ってきた男は本当に優しい男だった。父親のいない自分のために父親代わりのようなこともしてくれた。しかしそれは全てまやかしであった。


目的は母親が稼ぐ金だったようだ。夫もおらず、息子のために日々身を粉にして働く母親をいいカモだとも思ったのだろう。


「気付いた時にはもう遅かったよ。母ちゃんはぶっ倒れてその男はどっかに逃げた。まぁ死ぬ気で探してすでに殺したんだけどな」


「その母親の治療費を稼ぐために、やましいことに手を出したってわけね?」


ククの発言が図星だったのだろう、あぁと首を縦に振ったハイドは更に話を続ける。


「けどお前のおかげで目が覚めたんだよ」


ハイドは首を動かさずに目だけをルウラの方に向ける。


「俺か?」


ルウラは自分を指差して素っ頓狂な顔をする。


「そうだよ。ずっと違和感みたいなのは心の中にあったんだ。このままでいいのかって。けどお前に言われて気付いたよ」



『人は誰だって判断を間違えることはある。その時に正しい道へと導くには他人の許しが必要なんだ。性根が腐ってない人間は自分のことを許してやれないからな』


ハイドはあの時言われたルウラの言葉を思い出し、目じりから血の混じった涙を流す。


「俺は誰かに止めてほしかったんだ。そしてできることなら許されたかった」


「ちょっと、それ以上喋ったら本当に死ぬわよ!」


ククはハイドの言葉から徐々に生気が失われていくのを感じ、あまり得意ではない回復魔法でその深い傷を癒そうとする。しかし、その手はハイドによって抑えられた。


「気にすんな。自分の状態くらい自分でわかる。お前の回復魔法じゃ俺はもう助からねぇよ」


ハイドは自分の死が近づいていることを感じたんだろう。しかしその目は絶望に打ちひしがれるわけでもなく、迫りくる死に怯えているわけでもなかった。


「けど最後にお前らに会えて、お前らのために死ねるなら…本望かもな」


徐々にハイドの口から吐き出る言葉にも、力強さが失われていくのを感じる。それと共に、ククの手を抑えていた右腕からも力が失われていく。


「心残りがあるとしたら... もう少し母ちゃんと一緒にいたかったなぁ」


血を流しすぎたのかもしれない。青白くなっていく彼の顔の上を、重力に従って透明な水滴が滑り落ちる。


しかし、その水滴が地面に落ちる直前、ルウラが両手の指を絡み合わせて唐突に祈り始めた。


『曇天に覗く神明よ。空よりも広いその心でどうか我らを潤してほしい』


その言葉と共にハイドが突如淡い光に包まれる。隣でその光景を見るククは呼吸をすることすら忘れていた。


(あり、得ない…この状態から持ち直すというの?)


ククは驚愕に満ち溢れたその眼を、術者であるルウラへと向ける。両手を合わせて祈るその姿は、誰よりも神々しく、そして何者よりも温かい。


『しかし天秤は傾き、怒りの炎がその身を焦がす。故に授けよう、悪血ならばその掌に』


詠唱が終わったのか、ルウラはゆっくりとその金眼を開く。美しいその瞳に惹かれるように、ハイドを包む淡い光は強烈な光へと昇華する。


「あ、あれ。どうして生きてるんだ俺は・・・」


「ほんとに、、、治った」


光の中から現れたのは、全快とはいかないまでも、とりあえず死地は通り過ぎたハイドの姿だった。ハイド自身もさっきまで死に体だった自分は嘘だったのか、その考えが頭をよぎるが周囲に飛び散る血を見ればそれが現実だったことを鮮明に教えてくれる。


「俺達のために死ぬとか勘弁してくれよな。俺はそんな重荷を背負って生きていけるほどまだ強くねーんだから。ゔっ、ぐはぁ!!」


「おいルウラ!大丈夫か!」


「ルウラ!!しっかりして!!」


しかしそんなハイドとは反対に、床に四つん這いになって口から滝のように血を垂れ流すルウラ。ついさっきまであんなに元気だったルウラが突如血を吐いたことに二人は驚き、血を吐くルウラの元に駆け寄る。


「だ、大丈夫だから。ちょっと貧血気味なだけd…」

「しっかりしろルウラ!!」「どうしたのルウラ!」

「いや、まじで本当に平気なんでちょっと離れt────」

「お前が死んじまったら意味ねーだろ!!」「そうよ!戻ってきてルウラ!!」




「どけって言ってんだろぉぉぉおおおおおおおおお!!!!!!」




「うわぁ!?」「ちょっ、何よ急に。。。」


「だから問・題なし!!全く平気ってわけではないけど死ぬほどじゃないから!分かったら離れろ!!」


急に吐血するルウラを心配した二人は、四つん這いになるルウラに抱き着いてその安否を確認しようとするが、それはルウラの渾身の叫びによって阻まれた。

しかしそれでもくっつき虫のように離れない二人に対して、ルウラが追い打ちをかけることでようやく一息つくことができた。


「ったく、一旦落ち着けよお前ら」


「だってハイドが治ったと思ったら今度はあなたが急に吐血しだすから」

「そりゃ心配するよなぁ」


ルウラは眉をひそめて二人に叱るような言葉を掛けるが、『心配してくれた』その感情がルウラにも伝わったのだろう。その表情とは反対に肌の色が若干紅潮してるのがよく分かる。


「それよりもあなたのその力は一体何なの。とんでもない馬鹿力だったり。今度はとんでもない治癒力だったり」


流石のククも聞かずにはいられなかった。こんなイレギュラーな存在、ククは今まで見たことがない。今までククの前で見せた化け物じみた膂力だったり、ルウラの口から発せられる言葉の強制力。それに加えてこれほど高度な回復魔法まで使って見せた。ルウラの様子を見る限りどうやら代償はあるらしいが。


「それに関しては俺もよく分かってないんだって。生まれた時からこんな感じで育ってきたし。それよりも今はやることがあるだろ?」


ルウラに諭されてククは本来の目的を思い出す。あまりにも衝撃的な現象に脳みそが持っていかれていたが、それよりも子供と黒ローブの集団に関する情報が先だ。


「あぁ、とりあえずお前たちは二階に行け。そこに扉があるはずだ」


「二階に?」


ルウラとククは二階に続く階段を発見したが、そこにはぽたぽたとこちらまで続く血の跡があった。恐らく戦闘の後、自分の足でハイドがここまで下りてきたのだろう。


「あぁ、どこに繋がってるか分かんねぇけどその扉にあいつらは入っていった。────それとこれ持ってけ」


そう言ってハイドは自分の体を包む黒いローブ、ガウンが言うには伏魔のローブというらしい。ルウラはそれを血に濡れたハイドの手から受け取る。


「それと同じローブがもう一つ二階に落ちてるはずだ。最後の奴が扉に入る前に剥ぎ取ってやったんだ」


「ありがとうハイド。。。あなたはここで休んでてちょうだい。とりあえずは大丈夫そうだけどまだ動けないでしょ?」


「あぁ、正直ここから一歩も進める気がしねーよ」


ハイドは空笑いしながら自分の足をトントンと叩く。しかしその目じりには確かな悔しさが刻まれていた。


「じゃあとりあえず俺たちは行ってくるけど、回復するまで動くんじゃねーぞ」


最後にハイドに対してルウラがくぎを刺し、二人は一階にハイドを置いて二階へと続く階段に足をかけた。



「扉ってこれのことか」


「えぇ、間違いなさそうね」


二階に上がった二人の目の前に現れたのは、空中に浮かぶ人一人が通れそうなほどの小さな扉だった。


「それとハイドが言ってたのはこれか」


「そうみたいね。これは私が頂くわ」


ハイドが剥ぎ取ったと思われる伏魔のローブを、ククが拾い上げて身に着ける。細身な二人には少々サイズが合わないらしく、ローブを着ているというよりローブに着られていると言った方が正しいのかもしれない。


「よしっ、とりあえず入るしかないか」


「えぇ、子供を連れていったんだからこの先は彼らの拠点で間違いないはず」


今一度、身に纏う伏魔のローブをぎゅっと自分の方へと抱き寄せることで二人は気合を入れ直す。


そしてルウラを先頭にして、扉の先に続く空間へと二人は足を踏み入れた。



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