第31話 苦労人同士
「.....ってこともあったりしたんだ。本当にひどいだろ?うちの王は」
「ふふっ、その通りですね。ガウンももう少し理性的になってくれればこちらの負担もかなり減るんですけど、中々上手くいかないものですねー」
「全く持って同感だな」
一方その頃、校舎と校舎に挟まれた細道では、アイドーンとルネットが談笑に花を咲かせていた。戦闘が始まる直前に吐いたお互いの愚痴に、苦労人の二人は妙に共感してしまい、戦闘そっちぬけになっていた。
普段溜まっているうっ憤を理解してもらえることが、こうも精神的な余裕を生み出してくれるのかと感動していたが、いつまでもその甘い蜜に浸っているわけにはいかない。
「・・・さて、話はこれくらいにして私たちもぼちぼち始めなくてはならないな」
「あら、私はまだこうして話しているのも悪くないと思うのですけど」
男を誘うような上目遣いでそう訴えるルネットを無視して、アイドーンは背中に背負った一振りの大剣を引き抜き、それを片手で掴んで構える。
無重力空間にでもいるのだろうか、人の身の丈ほどある大剣を軽々しく持ち上げる膂力は口に出すまでもない。
「そういうわけにはいかないさ、王の命令だからな」
(そうだ。ブルーダ様からの命令…)
そう言って目の前に向けられた女に対する意識が少し散漫となり、ブルーダに命令を受けた時のことを頭に思い浮かべていた。
それはルウラが仕合で使った、ドーム型の拡張された訓練場で部下と共に汗を流している時だった。
「よし、お前たち!いったん休憩だ、しっかり水分を取っておけ!」
部下に休憩を言い渡したアイドーンは、訓練でかいた汗をタオルで拭いていた。
「おーい、アイドーンちゅわーーん!」
パンツ一丁で手を振りながらこちらに向かって走ってくるのは、癖のある金色の髪の毛を肩のあたりまで伸ばした壮年の男性であった。
「せめて服を着てくれよな、、、」
「毎度毎度何をしているんだあの人は」
(あのバカは、、、)
近くで休憩をしていた騎士たちも、まるで不審者でも見るような目で、この下着姿の男に冷ややかな視線を送っていた。かく言うアイドーンも周りに聞こえない程度の声でその男を貶すような言葉を吐き捨てる。そして負の感情を体の外に排出するように大きなため息を吐いた。
「ちょっと、そんな嫌そうな顔しなくてもいいじゃん!」
周りからの冷たい視線を感じたのか、下着姿の男は自分の体を両腕で抱きかかえ、その視線から自らを守るような体勢を取った。
「はぁ、当たり前でしょう。一国の王がそんな恰好で敷地内を出歩くなどあり得ませんから。ブルーダ様」
そう、このパンツ一丁のまるで威厳を感じない男こそ、魔法大国ラマージを治める一国の王、ブルーダ・トンビである。
「別に誰も見てないんだしいいじゃーん。影武者を作るためには必要な犠牲だったのさ」
「また仕事を放りだしたんですね。。。」
「それに関しては心配するな、サーシャイに全部任せておいたから」
今頃、王様に扮した側近のサーシャイが、書類の山に立ち向かっているのを想像すると不憫でならなかった。
しかし、このような出来事はいつものことである。事あるごとに仕事を投げ出しては、その後始末をサーシャイに丸投げ。城内では見慣れた光景だ。
「まぁまぁ、そんなことよりお前に話があるんだよ。訓練が終わったら私の部屋に来い」
「それを伝えるためだけに出てきたんですか?ここで伝えてくださればいいじゃないですか」
わざわざそんな面倒なことをしなくてもここで伝えればいいじゃないかと思ったアイドーンは、心の内をそのままブルーダに伝える。
「あまり人の多いところで話すような内容でもないからな」
「はぁ、そういうことでしたら承知しました」
アイドーンの反応に満足したのか、それだけ言ってブルーダは住まいである王宮へと戻っていった。
「ブルーダ様、アイドーンです。訓練が終わりましたので参上いたしました」
「入れ」
訓練が終わり、シャワーで汗と疲れを流して身体を綺麗にしたアイドーンは、指示された通りに王宮に備えられたブルーダの私室に足を踏み入れる。
「よく来てくれたな。まぁ時間ももったいなし本題に移ろうか」
大きな机を挟んで、椅子に座って何か薄い用紙のようなものを見ていたブルーダは、それを机の隅に置くと真剣な目つきでアイドーンを見据える。
しかしその様子を不審に思ったアイドーンは、ブルーダが机の上に置いた用紙を取り上げた。
「あぁ!やめろお前!!」
一拍遅れてそれを阻止しようとブルーダが手を伸ばすが既に遅かった。
「はぁ、全くあなたって人は。また画家を呼んで描かせましたね?」
「べ、別にいいだろ!!お前に迷惑かけてるわけじゃないんだから」
アイドーンの手からバッと取り返したその用紙の正体は、男女の情交を艶めかしく描かれた、いわゆる春画のようなものだった。この男は度々、画家を王城に呼んではこんな絵を描かせているのだ。
「珍しくあんな顔するから何事かと思いましたよ。それで本題をお聞かせ願いますか?」
「ごほんっ、そうだったな。お前は一週間ほど前にフラテーロ魔法学院が襲われたことは覚えているな?」
「えぇ、正体不明の何者かが襲ったと。確かその襲撃は学院に併設される施設の子が一人連れ去られたんでしたっけ」
「そうだ。そこの学院長であるライ=アンセットが対応することで被害は最小限に抑えられたがな」
フラテーロ魔法学院と言えば、へラブに点在する教育機関の中で最もレベルの高い場所だと言われている。確かそこの学院長もかなり高位の魔法使いだったはずだ。しかしそれと呼びだした要件と一体何が関係あるのかと思っていると、すかさずブルーダが言葉を紡いだ。
「フラテーロ魔法学院は近いうちにまた襲撃を受けるだろう、という情報が入った」
「だろう?その情報は確かなものじゃないんですか?」
ブルーダの言い回しに疑問を持ったアイドーンはその部分を聞き返す。
「まぁ私が最も信用している情報筋だから心配はいらないさ。確実と見てもらって構わない」
最も信用、いったいどこから得た情報なのか気になったアイドーンだが、この人がそう言うのであれば問題ないだろう。いろいろ問題がある王ではあるが、民からの信頼も厚く、城内に仕える者たちからも非常に人気のあるお方なのだ。
「そこで、俺は王としてお前に命令をする」
「────ッ!!」
緊張が部屋中を駆け回る。ブルーダの表情は先ほどまで鼻の下を伸ばして春画を見ていた人物とは大違いだった。
「お前にフラテーロ魔法学院の守護を命じる。襲い掛かる脅威の全てを薙ぎ払え」
(ブルーダ様に命令されるのはこれが初めてだったな)
アイドーンは記憶の中に刻まれた、ブルーダの稀に見せる王の威厳を空中に思い浮かべていた。
ブルーダはあまり王としての権威を振り回すような人間ではない。まるで自分も身分が同じであるかのように、皆に平等に接するお方だ。
そのブルーダがアイドーンに対して、初めて『命令』という形で指示を出した。つまり今回の一件はそれだけ重要な要素が含まれているということだ。
「さっきから他のところに意識が向いているようだけど、やる気はあるのかしら」
ルネットに声を掛けられることで、ようやく目の前の女に意識を向けたアイドーンは、再び大剣を握りなおして、その切っ先を相手に向ける。
「本当にその大剣を使うんですね。この細道だとあまり機能しそうにありませんけど。」
「気にするな、どうせすぐ終わるしな」
アイドーンはまるで問題ないと言わんばかりに剣を構えることをやめない。それが癇に障ったのか、ルネットはアイドーンに対して手のひらを向ける。
「あっそうですか、どうなっても知りませんからね!
ルネットの手のひらから発せられた風のうねりが、周囲の砂埃や葉を巻き上げて一匹の龍へと昇華する。そしてその龍は怒り狂ったように、その大きな
しかしアイドーンに焦った様子は見られない。そればかりか大剣をバッドのように構えると、その大剣に溢れんばかりの魔力を込める。
「これは中々。だがうちの子の方が食いしん坊らしい」
ルネットの魔法の威力を推し量ったアイドーンは、更に魔力を大剣に与える。元々ルウラよりも大きかったその刀身が、アイドーンの魔力を喰らうことでさらに長く、そして横にも広がる。
とうとう片手で支えきれなくなったその大剣を、アイドーンは両手で支える。
猛獣のように太い両腕には、薄紫色の血管がクモの巣のように腕中を駆け巡り、その血管は首元まで昇り、山の様に隆起する。
「うぉぉぉぉおおぉぉおおおおお!!!!!!」
襲い掛かる龍の顎を、アイドーンはその化け物じみた膂力をもって大剣の腹で殴り返す。
「くっ、そんな無茶苦茶な!!」
魔法を剣で殴り返すなど聞いたことがない。あまりに予想外なアイドーンの対応に肝を抜かれたルネットは、彼が大剣に魔力を込めるのと同じように、自身の魔法に更に魔力を込める。
「中々いいじゃないか」
アイドーンは歯を食いしばり、その顔には細かい皺がいくつも浮かび上がる。
身体を支える大地はひび割れ、つんざくような龍の咆哮はアイドーンの鼓膜を揺らす。
(少し力を加えるか)
アイドーンは軋む右足に無理を利かせ、一歩前に踏み出すことで身体を前に倒す。その巨体に詰まった大きな質量の全てを大剣に乗せ、そして一歩、また一歩とアイドーンは力強く地面を踏みしめる。その度にルネットの魔法によって宙を舞う岩片や砂埃が、アイドーンの鋼の肉体を傷つける。
「うそ、これをはじき返すっていうの。。。」
ルネットも魔力を込める手を緩めない。
しかし両者の一歩も引かない攻防は、とうとうその均衡が崩れることとなった。
「ぐっ、しまった!!」
ルネットは足元がふらつき、魔法の制御が一瞬疎かになってしまった。これは恐らく魔力の過放出による影響だろう。
「それを待っていたんだ。おらぁぁぁぁあぁあああ!!!!」
これを好機と捉えたアイドーンは、鞭のように筋肉をピンと張り、力いっぱい押し返す。
「きゃあぁぁぁああああ!!!!」
跳ね返された魔法を直に食らったルネットは、その突風によって吹き飛んでいった。
「ふぅ、そんな実力があるのならばうちに欲しいくらいだ」
壁に衝突して気を失うルネットをみて、アイドーンは彼女の実力を素直に評価した。
「しかしいったい何者なんだこいつらは・・・」
これほどまでの実力者は中々いるものではない。一体この集団の正体は何なのかと探りを入れたくなるアイドーン。
「・・・まぁとりあえずブルーダ様の命令は果たせたから良しとしよう」
しかしその思考は途中で中断することにした。初めての王からの命令を無事果たせたのだ。そう考えると何だか気が抜けたアイドーンは大剣を背もたれにしてずるずると尻もちをつき、天を仰いだ。
「あの少年たちなら大丈夫だろう」
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