第2話 おにぎりごろりん

「母さんただいまー」


「お帰りなさいルウラ。さっきすごい音がしたけど、またみんなに遊んでもらってたの?」


「そうだよ!」


母親のアンナは玄関から聞こえてくるルウラの声に反応した。そしてあの騒ぎを『遊び』で済ます母親も、やはり父と同様にルウラのポジティブ具合を促進させる原因の一つであった。


「もうすぐ夕飯だから手を洗ってらっしゃい」


「はーい」



家族全員で食卓を囲った後、ルウラは先ほどまで大暴れをしていた道場へ向かった。


そこにはルウラを待っていたのか、ルウラよりも一回り大きい一つの影があった。


「もういいのかルウラ?」


「お待たせ兄ちゃん、たくさん食べたから今日は負けないよ」


影の正体はルウラの兄であるダイアであった。どこか父であるラースの面影を彷彿とさせるダイアは、ルウラよりも六歳年上で現在十四歳だ。先に食事が終わった彼は動きやすい格好に着替えて、準備運動を行っていたらしい。


「じゃあ始めるか」


毎日のルーチンであるかのように二人は木刀を握りしめ、一定の距離を保って互いに向き合った。


「おらぁ!」


相手の動きをうかがっていたのか、しばらく均衡状態が続いていた。しかしその均衡はダイアによって破られることとなった。10メートルはあったであろう彼我の距離を初手の踏み込みだけで詰め寄ってきた。


「当たんないよ!」


大きく振りかぶったダイアの一撃を容易くかわしたルウラは、その小さな体からは想像のつかないような重たい蹴りを放った。

その蹴りを木刀の腹で受け止めたダイアだったが、完全に衝撃を受け止めきれなかったのだろう。勢いを殺しきれず身体を後退させた。


「ったく、相変わらずの馬鹿力だな」


ダイアは痺れる両手で再度、強く木刀を握りなおすことで気を引き締める。


しかしルウラは休みを与えることなど許さなかった。畳みかけるように斬撃をお見舞いすることでさらにダメージを蓄積させる。


( 今日こそ勝てるぞ!! )


この勢いを失うわけにはいかない。本能でそう感じ取ったルウラは、更にギアを上げて畳みかける。その濁流のような乱打はダイアを圧倒し、心の中にある不安すら押し流していった。そして、ダイアはとうとうその手から木刀を放してしまった。


「俺の勝ちぃぃぃぃぃい!!!」


のけ反った身体に渾身の一撃を食らわすため、大きく振りかぶったルウラはこの時点で自身の勝利を確信した。


「当たんねぇよ」


「がっ、、、」


何故か意識がもうろうとしている状況に疑問を覚える隙すら与えられることなく、ルウラの意識は深い海の底へ沈んでいった。






「起きたか、ルウラ」


どうやらしばらく眠っていたらしい。自室で目を覚ましたルウラは、天井の染みを数えながら少しの間ぼおっとしていた。


「勝ったと思ったんだけどなぁ」


「ははっ、最後に油断したな」


ルウラに敗因があるとしたらそれは慢心だろう。最後の最後でダイアの反撃に気を配れなかったルウラは、下から打ち上げられた掌打に気付くことすらなく、そのまま顎を撃ち抜かれて気絶してしまった。


「兄ちゃん、わざと木刀離したでしょ?」


「ははっ、それはどうだろうな。ただこの村の子供の中だったら俺が一番強いんだぞ?その俺にこれだけ善戦できれば大したもんだろ」


「でも兄ちゃん魔法・・使ってないじゃん」


そう、ダイアにはルウラにない魔法という奥の手があった。


「そうだけど俺の超常はあんまりだから大した魔法は使えねぇよ」


ダイアは父と同じく暴状の祝福が多くを占める。だから今のダイアに使える魔法はせいぜい身体能力を強化することくらいだ。


「これで500連敗かぁ」


ルウラは、ハァとため息をつくと両手を横に広げて大の字のように布団の上に寝転んだ。


この一対一の立ち合いが始まったのは、ルウラが六歳のころだった。

ある時、居間にあったリンゴを無邪気に笑いながら片手で握りつぶすルウラを偶然見かけたラースがその異常性に気付き、当時12歳だった兄であるダイアと立ち合いをさせてみた。それ以来とりつかれたように毎日立ち合いをし、お互いに競い合い高めあう、良きライバル関係となった。


「どうする、明日もやるか?」


ラースの問いかけにルウラは首を横に振った。


「いや、明日は秘密基地に行くからやめとくよ」


秘密基地、ルウラたちが住むこのセンシン村はそこまで広いというわけではなく、秘密基地を作るような場所もない。しかし、兄であるダイアにする教えていないルウラだけの居場所がどこかにあるらしい。


「また行くのかよー。そろそろ俺にも教えてくれよ、その秘密基地ってやつ」


「駄目だよ!みんなに秘密にするから秘密基地なんだよ?」


「そうかよ、どうせ明日早く起きるんだろ?だったら今日はもう寝とけよ」


「わかってるよ、おやすみ兄ちゃん」


疲れた体が眠りを求めていたのか、数分もしない間にルウラはすやすやと寝息を立てて眠っていた。




「カァー、カァー、カァー」




翌朝、カラスの鳴き声によって目が覚めたルウラは一日分の食料をリュックに詰めて秘密基地へと出発した。


ルウラが住んでいるセンシン村は大陸の端にある、いわゆる秘境と呼ばれるような場所に位置している。ここは自然豊かな土地で、動物や植物などたくさんの種類が共生している。

そしてルウラの秘密基地とは村から少し離れたところにあるのだ。


誰にもばれないようにこっそりと村から出ていったルウラは、整備のされていない森の中の獣道を器用に進んでいく。


歩くこと数十分、今までとは明らかに雰囲気の違うところに出た。


「よし、やっと着いた!」


鬱蒼とした木々の間から溢れる木漏れ日が、ルウラの体をやさしく包み込む。視線の先では、少し傾斜になっているところの先にある小さな泉が、陽の光を反射させてキラキラと輝いている。

この小さく開けた場所こそが、村の誰にも知られていないルウラだけの秘密基地だ。


「相変わらず気持ちいいなぁ」


ルウラは地面に生える雑草のベッドに身を放り出した。


しかしなぜこのような目立つ場所が村の誰にも気づかれていないのだろうか。

その理由は森の中は危険だから、と村の中では森の奥まで進むことを老若男女問わず固く禁止されているからである。ましてや子供一人で森の中に入るなど論外。そりゃ誰にも気付かれるわけがない。


そして、森の中に入ってはいけない最たる理由は魔物にある。


この世ならざるもの。自然の摂理から外れたその化け物は、人類にとっての長きに渡る天敵でもある。ある時は人が襲われ、またある時は国すら崩壊させる。センシン村も魔物の被害を最小限に抑えるため、村を堅牢な柵で囲ったり、魔物を相手にするための自衛団が存在する。その組織の長こそルウラの父であるラースなのだ。


ならば、何故ルウラはこんな森の奥まで進むことができているのか。


それはルウラがアホだからだ。救いようのないアホだからである。


あの好奇心の塊のような子供たちでさえ、魔物の怖さについては口が酸っぱくなるほど大人たちに説かれているため、誰も森の中に入ろうとしない。

しかしルウラは別だった。ラースとアンナは何度も魔物の怖さについて説明しているが、いつもボケーっとしながらその話を右から左へと聞き流す。そんなことがありルウラは、魔物のことをちょっと愛嬌のない動物程度にしか思っていない。


しかしそれにも理由があった。


実はルウラがこの秘密基地へ向かう道中、何度も魔物には遭遇していた。しかしその魔物たちの中にはルウラを襲わない固体も存在するのだ。これは本来あり得ないことである。魔物というのはよほどのことがない限り、見境なく人間を襲う生き物だ。もはや人類を滅ぼすために存在しているといっても過言ではない。


これがルウラのアホな考えを促す原因の一つだ。このことは村の中でも有名なことだが、理由はいまだにわかっていない。中には祝福を受けなかったから人間として認識されていないなどと、馬鹿なことを言う者までいる。そんなやつはラースの愛の拳で一撃だ。


そしてもう一つはルウラの常識はずれな強さにある。時々襲ってくる魔物もルウラにかかればリンゴを握りつぶすのと大差ない。いまだ魔物に苦戦したことのないルウラは、魔物という存在の脅威がいまいち理解できていないのだ。


「あれ、結構寝ちゃったかな?」


どうやら日光の気持ちよさのせいで、居眠りをしていたらしい。

自分のお腹が減っていることに気付いたルウラは、家を出る前に握った不格好なおにぎりをリュックから取り出した。


「ふふっ、ここで食べるおにぎりは最高においしっ────、あぁっ!!」


おにぎりを包んでいる竹の皮を広げたとき、不格好なおにぎりが不規則な動きでゴロゴロと地面を転がってしまった。


「ちょっと待ってよ!」


転がっていったおにぎりを追いかけようとしたが、時すでに遅かった。


重力に従って転げ落ちたおにぎりは、子供一人がギリギリ入れそうなほど大きな木の根の間に吸い込まれるように入ってしまった。


「最悪だぁ、でも土がついたくらいじゃまだ食べられるよね」


そこら辺の雑草ですら食ってしまう雑食のルウラにとっては、おにぎりに土がついたところで何の障害にもならなかった。


しかし、おにぎりが転がった先に根を張っている木に到達したルウラは、強烈な違和感に襲われた。


「なんだこれ・・・」


ルウラは呼吸を浅く繰り返しながら、その木へと自分の手を持っていく。

木に触れたルウラは自分が何かとんでもないものに触れたという直感があった。

今まで感じたことのない力の奔流。ルウラは尻尾付きであるため、魔力を扱うことも、感知することすらできない。しかしそんな人間でも断言することができる。


これは魔力であって、魔力でははない。


魔力よりもさらに恐ろしく、悍ましい力。


しかし何故だろう、怖くない。


ルウラは自分の心の内を言語化してみようと試みるが、どうしてか上手くいかない。これは明らかに異質なものだ、そして怖いものだ。この力を父や兄、村の者が感じ取ることができるのならば、誰もが恐怖に慄くことだろう。しかしルウラはそれが恐ろしいものだと頭では理解していても、拒絶をする気になれない。その矛盾に一種の気持ち悪さを感じたルウラはとうとう膝をついてしまった。


「うっ、おぇぇ」


空っぽの胃から胃液を吐き出したルウラは、恨めしそうに目の前の巨木を睨みつけた。


「はぁはぁ、何だったんだろう今のは」


普通の人間ならばここで一旦引いて、親や村の者に相談をするだろう。

しかしここにいるのは、あのルウラ=スティングだった。ポジティブモンスターであるルウラはこの程度で引く男ではない。


「よし、さっきのは俺が急に触っちゃったから巨木さんも怒ったんだよね。次はきちんと挨拶をしてから触らせてもらおう」


仕切り直しと言わんばかりに巨木から10メートルほど距離をとったルウラは、まっすぐに巨木の元へ再度、歩き出した。


「じゃあ今度こそ。失礼し────」



そして言葉を言い終える前に、ルウラは忽然とその姿を消してしまった。








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