第1話



 もう一人の女は、至福の時を今、味わっていた―――。


 魅惑的な女だ。革張りのソファに座り、悠然と足を組み替える。

 ミニのニットワンピから、引き締まった美しい太ももがのぞく。ぽってりとした肉感的な唇が、グロスで光り艶めかしい。



 今しがた女は、目の前の男に「もう会う気はない」と事も無げに切り出した。


 婚約者を捨ててまで、自分の元に走った男に――。



 人間が本当にどうしようもなくなると、他人を傷つけ他人の幸せを破壊する事でしか悦びを感じられなくなる。

 そんな事を言ったのは誰だっけ――誰だか知らないけど、その通りだ。私は29年の人生で、どれだけ他人の幸福を破壊してきただろう――女は思う。




 男は、何を言われているかわからないように呆けた顔をして立ち尽くしていた。


 男の後ろには、タワマン高層階からの夜景が広がっている。



 いい男だ。長身で顔も整っている。おまけに職業は一級建築士。結婚相手を探す世の女性にとって、長男でなければ完璧といったところか。



 それでも女は、惜しくはなかった。誘惑したのは、男が学生時代の知人の婚約者だったから――それだけだ。

 この男に限らず、そもそも男と安定した交際など求めてはいない。恋愛など退屈な人生の暇つぶしでしかない。まして結婚など、おとぎの国の話だ。






 男が感情を押し殺して、搾り出すように言った。

「待てよ、俺は婚約を解消してまで―――」


「知らないわ、そんなこと。あなたが私に夢中になって勝手に別れたんでしょ」

 女は長い髪をいじりながら、めんどくさそうに返す。



 広いリビングに静寂が満ちる―――。



「ああ……、婚約者のところに戻ったらいいじゃない。幸せな家庭が築けるわよ、きっとあの子となら」

 

 そう言い放った女の胸に、ドス黒い愉悦がじんわりと湧き上がる。




 だが――、それはすぐに驚愕と絶望に変わる。


 女は、知らなかった―――。


 男がひた隠しにしている性癖を。

 男が、過去に人知れず一度だけそれを解放し、闇に葬り去った事を―――。

 狂気ともいえる衝動を抱えている事を―――。



 だから女は目の前の男に勝ち誇り、汚物を見るような視線を送り続ける。



 男の顔が、紙のように白くなっていく―――。




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