3.ドラマ鑑賞の休憩中


「あ〜、結構観たなぁ! ちょっと休憩しようぜ」


 和希の一声で私は一時停止を押した。

 ドラマ鑑賞の休憩とは? と少し疑問に思ったものの、集中したから目を休めよう、気分転換に別の話をしよう、おそらくそんな意味なんだろうとすぐに理解できた。


 ファストフード店の紙袋やプライドポテトの容器、ビールとノンアルコールチューハイの缶などがテーブルいっぱいに広がっている様は実に賑やかだが、肝心の中身は全てから。口寂しさを満たすものはもうない。


 つまらなそうにそこを眺めていた和希が何か閃いたようにぴんと背筋を伸ばした。くるりとこちらを向いた顔、その瞳は少年のようなあどけない輝きを放つ。


「なぁ! コンビニすぐそこだし私ちょっと行ってきていいか。飲み足りねぇんだわ」


 言うと同時に和希の手はバッグの方へ伸びていく。私はそれを両手で素早く押さえた。


「飲み過ぎは良くない。何故なら急性アルコール中毒の危険性があるから」


「えぇ? 私にとっちゃこんぐらい普通だよ。トマリは大袈裟だなぁ」


「理由はもう一つ。もうすぐ二十二時になる。女性がこんな時間に出歩くのは危険だ。何故なら不審者がいるかも知れないから」


「仕事のときなんてもっと帰り遅いけど?」


「仕事のときは素面しらふじゃないか」


 和希はお酒に強いし堂々としてるし遠目からは男性に見えるかも知れない。

 そうとわかっていても私は譲れないのだ。

 重なった手が汗ばんでもなお力を緩めることはできない。


 やがて和希の顔に諦めという名の笑みが浮かんだ。


「トマリ、わかったって」


「うちにはお菓子もジュースもある。和希になら分けても構わない」


「わかったよ。心配してくれたんだろ。ありがとな」


 安堵して、やっと手を離すことができた。

 彼女がバッグを元の位置に戻すのを見届けてから立ち上がる。


「何か持ってくるから待っていてほしい。そのついでに私は一服してくる」


「いや自分は煙草吸うのかよ! ずるいぞコラ! 私の感動を返せ!」


 何やら不満を投げつけられたが、そもそも私はお酒を一滴も飲んでいないのだ。これくらい許されても良いのではないだろうか。


 キッチンの換気扇を回し、そのすぐ下に置いてある筒状の灰皿の蓋を開ける。見慣れた煙草の箱の中からすらりと細い一本を取り出し軽く咥えて先端にライターの火を近付ける。

 ゆっくりと吸い、煙を吐き出すといつも私の中に居座り続けている不穏な何かが紛れていく気がした。


 今となっては和希だけかも知れない。いけないと思ったことを真っ直ぐ伝えられる相手は。

 ふと思い出していた。


 社会人になったばかりの頃、私も何度か飲み会に出席した。その度にあの癖が出た。

 自分がアルコールを受け付けない体質であるがゆえに、どんどん飲み進めていく人を見ているだけで心配になって口を挟まずにはいられなかった。

 ノリが悪いと言われるだけならまだ良かったのだが、「早く帰りたいだけじゃないの」と先輩の一人が不機嫌そうに言い出したのをキッカケについに声さえかからなくなった。


 付き合い自体は続けたかった人とさえやがては距離が開いて、彼らがSNSに投稿する楽しそうな写真を一人で眺める立場になっていた。


 胸が詰まるような感覚が再び押し寄せると私は更に深く吸い込んだ。落ち着くのはほんの一時いっときだとわかっていても。

 回想の歯車は動き出すとなかなか止まらない。


 いつもそうだ。私の真意が正確に伝わることなどほとんどない。

 人々は何故か言葉の裏にある何かを探ろうとして、時に大きくはき違えるのだ。

 何故捻じ曲げる。何故ややこしくする。私の言うことに裏などない。

 それなのに……


「げほっ!」


「おい大丈夫か、トマリ」


 風が吹いている場所でもないのに突如煙が顔面にかかって涙まで滲んだ。

 いい加減やめろと言われているみたいだ。何がなのかはわからないが。



「そういえばさ、この間休憩室であの人に会ったよ」


 お菓子やジュースを両腕いっぱいに抱えてリビングに戻ったとき、和希がそう切り出した。

 ドサ、と一度にテーブルの上に置いてから彼女の方を見るとにんまりとした笑みを浮かべている。何やらもったいぶっているのだけは伝わってくる。


「あの人って?」


「あんたの前の職場の上司」


相原あいはら店長のことか」


「違う違う。男だよ。なんだっけ〜、私まだうろ覚えなんだよな。ホラ、苗字が名前みたいな人」


 確かに和希の記憶はいい加減なときがある。だけどどういう訳が例えがまとを得ているから大体すぐにピンとくるのだ。


「……千秋ちあきさん?」


 私だってほぼ確信を持っていたはずなのに疑問形のように語尾がうわずったのは何故だろう。

 和希の表情はすぐにぱあっと晴れた。


「そう! 千秋なんとかさん!」


「千秋カケルさん」


「あ〜、そうだっけ? 確かエリアマネージャーなんだってな、あの人。たまに店舗に来るっていう」


「私は退職した身だから現在のことは知らないが、おそらく」


 私の元上司について和希がこんなにも詳しいのにはもちろん訳がある。

 今年の二月まで私がいた職場はショッピングモールの中にあるアパレルショップ。和希は競合店、つまり同じモール内にあるショップのスタッフなのだ。

 同業者はときに情報交換の為に互いの店を行き来するし、あのショッピングモールの休憩室は全テナントが共同で使っていた。ゆえに他店であっても顔を覚えたり親しくなることもあるのだ。私も和希とはそうやって知り合った。


「トマリさ、エリアマネージャーのことフルネームで覚えてんだ? たまにしか来ない人なのに」


「あ、いや……それは」


 私は思わず目を逸らしてしまった。

 それでもまだちらついている。期待に満ちた顔をした和希の残像。やっと気が付いた。


 何処がうろ覚えだ。私の反応を見ようとしただろう、確実に。


 まんまと引っかかってしまったのは少し悔しいが仕方がない。

 淡々とお菓子の袋を開けたりなどしながら話を続けた。


「千秋さんの名前くらい覚えているのは当然だ。あの人には大変お世話になったのだから」


「そうだろうねぇ。仲良かったもんね、あんたたち。まだ連絡取ったりしてんの?」


「する訳がないだろう。連絡先などすでに消去した」


「えっ! なんで消すんだよ、もったいねぇ! 退職したからって別に縁切らなくたっていいだろ」


 コーラのペットボトルを開けるとプシュッと高い音がちょうど和希の語尾を遮った。

 少し泡が溢れた。だけど私はそのまま飲んでいって……


「縁を切ったのではない」


 途切れ途切れに答えた。炭酸に時々喉を詰まらせつつ。


「もう関わる理由がないだけだ」


 和希と目も合わせられないまま。

 無理もない。実際は自分に言い聞かせていたのだから。



「お似合いだと思ったんだけどなぁ」


 しばらく経った頃、和希の口から本音が零れた。もう隠す気もないのだろう。

 心の波紋が落ち着いたように思えた私はもう一本のコーラを和希に差し出す。


「誤解をさせてしまったかも知れないが千秋さんとは本当に何もなかった。それに私に彼氏がいることは和希も知っているだろう。もう六年の付き合いになる」


「あー……あの束縛男」


 和希の声色が1オクターブほど下がったように聞こえた。コーラを受け取ったものの蓋は開けようとせず代わりに唇を尖らせている。


「あいつさ、私が女が好きだって言ったらどうするんだろうな。こうして泊まりに来てんのも浮気とか言われんのかな」


「和希がカミングアウトしたいのならそうすればいい」


「嫌だよめんどくせぇ。それにトマリだって問い詰められるぜ、多分」


「わかってもらえるまで説明するしかないだろう」


 気怠そうに頬杖をつき、静止した画面を眺めている和希は何か物思いにふけっているのかはたまた何も考えていないのか。


「まぁトマリは全くタイプじゃねぇけどな」


「理屈っぽい上にヤニくさい時点で対象外、そう言っていたな。覚えているよ」


「私そんなこと言ったっけ?」


「言った」


 良かった。嫌なことを思い出していた訳ではなさそうだ。

 和希も複雑な事情を抱えている。気の利いた言葉が使えない私はあまり触れないようにすることくらいしか出来ないのだが。


「和希ははじめくんのことが嫌いかも知れないけど、肇くんは悪い人なんかじゃない。少し心配性なのは事実だが」


「少しどころじゃねぇだろ、あいつは。それにトマリは自分を受け入れてくれる男なら誰でもいい人って言いそうだからなぁ」


「私も肇くんが好きだよ」


「まぁいいけどよ……」


 和希が煮え切らないような表情をしている。何故だろう。

 私自身は納得しているつもりなのに周りは心配している、そういうことが今までにも何度かあった。


「わりぃな、私お節介なところあるから余計なこと言ってるかも知れないけどよ」


 私の困惑が伝わってしまったのか和希は柔らかい微笑みを浮かべた。申し訳なさそうな。寂しそうな。

 だけど私の肩に触れた手は力強く、熱っぽい。



「覚えておけよ、トマリ。あんたにだって選ぶ権利はあるんだ」



 そうだ。

 いつだったか同じようなことを言われた気がする。

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