4.夢の中では会っている


 繰り返しになるが、私の彼氏である北島きたじまはじめは決して悪い人ではない。


 私が専門学校を卒業して一年目の頃に同級生たちと集まることになったのだが、同窓会と呼ぶにはあまりに自由な飲み会で先輩も後輩もサラッとその場に混じっていた。

 同級生のサークル仲間であった肇くんは後輩として参加していた。私の一学年下なのである。


 出会った頃の肇くんは私とファッションの系統が近かったように思う。

 周囲からはホストみたいだと言われていたが一応本人が目指していたのはそういう方向性ではなく希望していた職種もそちらではなかったらしい。天真爛漫な性格と愛想の良さが相まってそう見えた可能性もありそうだ。


 肇くんが熱心に私に話しかけているのを見た同級生の友人が連絡先の交換を勧めた。

 その後は友人を交えて会うようになり、いつの間にか距離が縮まって交際へと発展していた。


 年下とはなかなか可愛いものだ。最初の頃はそう思っていた。母性本能をくすぐられるという感覚が私も多少はあったのだ。


 だけど肇くんが大人の男になっていくのにそう時間はかからなかった。

 社会人になってからはみるみるうちに変わった。ホストと言われていた頃の面影はなくなり、営業職に適した好青年のような外見になった。

 更に言うと外見だけの話ではないのだ。彼の目は常に前を見据えていて歩を進める度に不要なものが削ぎ落とされていくかのよう。


 しっかりした人になった。私よりもずっと。

 こういうのを“年相応”と呼ぶのだろうか。


 一方で二年ほど前から肇くんの言動に余裕がなくなってきたような気がする。それは次第にはっきりと伝わってくるようになった。


 和希が肇くんを嫌っている理由は間違いなくあれだ。

 半年ほど前だったろうか、肇くんの部屋にいるときにメッセージアプリに和希から遊びの誘いが届いた。私のスマホはロック画面にも通知が表示されるようになっていた。

 私がシャワーを借りている間にそれに気付いた肇くんは“和希”という名前を見て男と勘違いし、ロックを解除して「誰だお前」と返信してしまったのだ。

 和希のアイコンは顔写真などではなくお気に入りのバイクだ。だから尚更迷わなかったのだろう。


 戻ってきた私は呆気にとられた。私のトーク上で二人の喧嘩が勃発していたのだから。


 時間をかけて説明し、肇くんにはなんとかわかってはもらえたのだが、こんな事情で二人のお互いの第一印象は最悪のものとなったのである。



 シャワーを終えてリビングに戻ると和希はクッションを枕にして横になっていた。

 私は彼女の肩を軽くゆすってみる。


「和希、風邪ひくよ」


「ん〜、あぁ……だいじょう……」


 うん、簡単には起きそうにないな。なんとも幸せそうな寝顔を見ているとむしろ起こすのが可哀想になるくらい。


 シャワーは明日の朝に貸せばいいだろう。酔った状態で裸になり身体を洗うなど想像するだけで怖い。


 私は寝室から夏用布団を引っ張ってくると、それで和希の身体をそっと覆った。うちのリビングは暖かいから冬用ではおそらく暑すぎると考えてのことだ。

 リビングの電気は完全には消さず保安球にした。これは彼女がトイレに起きたりなどしたときつまずかないようにする為。


 私はいつも通り寝室で寝る。リビングを後にしようとしたときその言葉は届いた。


「トマリぃ……幸せになれよぉ……」


「和希……」


 振り向いたときには豪快ないびきを立てていたが。


 つくづく思う。和希は良い友人だ。

 夢の中でまで私の幸せを願ってくれるくらいなのだから。


 だけど、幸せとは一体なんなのだろう。



――覚えておけよ、トマリ。あんたにだって選ぶ権利はあるんだ――



 今夜彼女とは沢山の話をしたはずなのに、その部分だけが脳内で繰り返し響く。

 気が付いたらもう呟いていた。


「だからって、千秋さんはないよ。さすがに」


 蘇るあの人の姿はもうだいぶぼやけている。第一印象でカリスマ美容師かと思ったくらい個性的な髪型をしていたはずなのにその形さえ今では曖昧なのだ。

 こうやっていつかは忘れていくんだろう。


 胸の内で再び波紋が起きる前にと早足で寝室に向かい電気を消して布団に潜った。


 一時期とても近くにいたから嫌というほど知っている。

 あの人と私とでは時間の流れどころか生きる世界さえも違うのだ。



 そう自分の中で結論付けてそんなに時間もかからず眠りに落ちたのだが、私はどうやらあの人の夢を見てしまったようだ。


 いつもそうなのだが夢の詳細など私はそんなに覚えていないのだ。

 あれは不思議なもので波打ち際に描いた文字のように時間が経てば跡形もなく掻き消されてしまう。

 そして私自身、幻とも呼べるそれにこだわりも持っていない為、記憶しておこうと努力したこともない。


 夢を見ている間も夢だとなんとなく理解していた。だから何が起ころうと期待もしなければ驚きもしなかった。


 しかしどういう訳か声だけが鮮明に残り続けている。


「トマリ」と呼ぼうとして「桂木さん」と言い直したこと。

 自分で突拍子もない話を出したくせに時間差で照れ笑いしたことも。

 まるであの頃のようだった。



 じんわり広がっていく朝の気配を感じてなお、確かに話したという実感だけはあるものだから私の感情は宙ぶらりんになり、そして何故か泣きたくなった。


 前の職場を辞めて二ヶ月。

 それでもまだ続いているこの現象の正体を私はまだ知らない。

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